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死んだレイの話

 手術室を飛び出して、走る、走る、走る。時空でもねじ曲がっているのか、病室までがひどく遠い。道中の影を避け、黒をかわし、走って―


「つ、ついた…!」


 わずかに息を切らした澪は、それでも喜色満面で見慣れた病室番号の掲げられた札に触れる。ハルは澪の背を撫でた。


「よかったわね、澪ちゃん」


「ハルさんのおかげです!よかったぁ…」


「…ねえ、澪ちゃん」


「はい?」


「本当に中に入るの?」


「もちろんです!病室に戻れば安心ですから!」


「…そっか」


「せっかくですからハルさんもどうぞ。入院生活長くて、個室なんですよ私」


「そうね、せっかくだから」


 澪はハルの温かな手を引いて、病室へと入る。きちんと扉を閉めて鍵までかけて、それでやっと澪は大きく息を吐いた。


「はーよかったぁ…これでもう大丈夫ですよ、ハルさん」


「…………………………」


「…ハルさん?」


 ハルは一点をじっと、表情のない顔で見つめていた。澪もそちらへと視線を向ける。


「あ…お父さん、お母さん!」


 ベッドのそばに立っていたのは澪の両親だった。澪はハルの手を離し、ベッドに駆け寄る。


「いつ来てたの? 次のお見舞いはしあさってだって言ってなかった?」


「…………………………」


「ねえ、お願いしてたお菓子買ってきてくれた? あれなら田中さんも食べていいって言ってくれて…」


「…………………………」


「…お父さん? お母さん?」


 澪の言葉にも背を向けたまま無反応な両親に、澪は首を傾げる。両親の顔が見える場所に回って、澪はぎょっと目を見開いた。


「ど、どうして泣いてるの!?」


「貴女、本当に気がついていなかったのね。いえ、気付こうとしていなかったのかしら?」


「なに、どういうこと!?」


 澪はハルに詰め寄る。


「道中避けてきた黒い影達。手術室で貴女を襲おうとしたアレら」


「……………いや、」



「本当にあれが生きたモノだと思ったの?

ねえ、(れい)ちゃん」



「やめて!」


 看護婦の言葉に、澪は耳を塞いで窓際まで寄る。

 両親が泣きながら見下ろすベッドの中に、点滴に繋がれた澪が眠っていた。

 誰がどう見ても、死んでいるような顔色で。


「どうして死んでしまったんだ、澪…」


「やだっいやだっ! お父さんお母さん、私ここにいる! 死んでない!」


「闘病で長く入院してた貴女。腕に点滴の跡があるわね、点滴はどうしたのかしら?」


 看護婦は一歩、また一歩と近づいてくる。澪は強く耳を塞いだが、ハルの声は遮ることができない。


「どうしてあんなにもしっかりと走れていたの? 最初はほんの少しの距離だけで肩で息をしていたのに、ここに着くころにはほんの少し息を整えるだけになっていたわね?

他にも、何かあるんじゃないかしら。貴女が気付いていない…気付こうとしていないだけで」


「ち、ちが、生きてる、」


「多分貴女、あの手術室ではまだ死んでいなかったのね。アレが生死を間違うはずないもの。

けれどこの病院に来たということは、生死の境をさまよっていた。そうして、今。

…間に合うかと思ったのだけれど、駄目だったみたいね。

人間いつかはそうなるけれど、その名の通りになったわね、(れい)ちゃん」


「……………、生きてる」


「ねえ、だから貴女、私と―」


「生きてる、生きてる」


「澪ちゃん?」


「生きてる、生きてる、生きてる、生きてる、生きてる、生きてる、生きてる、生きてる」


 澪はベッドの中の身体に手を伸ばした。すり抜ける。手を伸ばす。すり抜ける。手を伸ばすすり抜ける手を伸ばすすり抜ける手を伸ばすすり抜ける手を手を手を手を手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手









◇◇◇


「…駄目ね」


 看護婦はひとりごちた。少女は誰に目もくれず、触れられないモノと化した自身の亡骸に手を伸ばし続けている。

 看護婦は数十年前からこの病院に囚われていた。新しく清潔に立て替えられても、どこにも行けないまま、ずっと。自身の職業や服のこともあるから、意味のない診察や検診や回診の真似事をして過ごしていたのだけれど。

 ここにいるものは大半が影と化している。きちんと人の形をしているのは稀、それらもまともに言葉を交わせるものはいない。


「残念だわ。きちんと言葉を交わせたから、ようやく共にいてくれるモノが現れたのかと…思ったのに」


 頬に手を当て、看護婦はため息を吐く。少女は看護婦に目もくれない。


「影になるかしら、それともあの医者のようになるかしら。

私のようになってくれると嬉しいのだけど…駄目そうね」


 看護婦は名残惜しげに少女を見て、もう一度ため息を吐いた。

 踵を返して、1人で病室を出る。


「戻らなくちゃいけないわ。そういえばカルテが書き途中だったわね」


 病室の引き戸が、静かにぱたん、と閉じられた。

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