夫は妻を拗らせる / 妻の嗜み
短いお話2つです。
【夫は妻を拗らせる】
「──……セド?」
「──ん?」
「そろそろ離して欲しいんだけど」
「駄目」
一体何故こうなったのか。クェレヘクタの郊外に2人は屋敷を構えた。仕事が終われば一緒に帰る。今日は少し仕事が残っているからとセドリックが部屋に籠ったのが1時間ほど前。クリスがお茶を運んでいったのがその30分程後だ。ノックをして部屋に入ると、真剣な顔で手招きをされ、何だろうと不安に思って近づくと、そのまま腕を掴まれ引き寄せられて、結果セドリックの膝の上に座ってしまう格好になってから、セドリックは片手で書類を確認し、もう片手はガッシリとクリスの細い腰に回されて離してくれない。一体何がしたいのか。
「あのね? セド。これでは仕事にならないでしょ?」
恥ずかしいやら緊張するやらで落ち着かない。膝からの脱出を試みて、そろそろ30分が経過する。逃げ出そうとすると耳に噛みついてくるのだから始末が悪い。その度にひゃっと悲鳴を上げて膝の上へと戻される。動けない。
「いや。この方が捗る」
何でだ。おかしすぎるだろう。書類にサインをしていたセドリックが、ふっとクリスを見つめ、目を伏せて、あ、っと口を開ける。うー、と眉を寄せながら、クリスは運んできた焼き菓子を半分に折ってからセドリックの口に運んだ。指先に舌が触れてどきんと鼓動が跳ねる。
この甘々な男の一体どの辺が死神だと言うのか。言い出したヤツをとっ捕まえて小一時間説教をしてやりたくなる。
セドリックはちゅ、と音を立て、クリスの指先に口づけてから、もぐ、と焼き菓子を咀嚼する。甘すぎて逃げ出したい。執務の時までこれでは身が持たないとクリスは熱く吐息を吐き出す。体中が熱を帯びている。甘やかされ過ぎて困ってしまう。
「──美味い」
「……そう、良かったね。……ところでね? セド? そろそろ降りたいんだけど」
「却下」
嫌だ、とセドリックが回した腕でぎゅっと抱きしめる。甘えん坊か。夫は妻を拗らせている様だった。
***
【妻の嗜み】
「……ふっ……っ。ぐすっ……、ぅっ……」
「奥様……。もう、おやめ下さいませ。ご無理をなさらなくても……」
「駄目、だっ。私がっ……、私が、やると、決めたんだから……っ」
クリスの瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちる。その瞳は真っ赤だ。ずっと鼻を啜る。拭っても拭っても涙が溢れて来る。こんなにも、辛いだなんて──。
クリスに付いて騎士爵家の侍女頭に収まったマリエッタが、眉を下げてそっと手を伸ばし、クリスの眼もとへハンカチを当て、零れ落ちる涙を拭った。
現在、クリスとマリエッタは、屋敷の厨房に居た。クリスの手には包丁が握られている。そうしてまな板の上で細かく刻まれているものは、そう。玉ねぎである。
「染みる……っ。こんなに、玉ねぎを使う料理が辛いだなんて……っ」
くぅーっと顔を顰め、クリスは必死に玉ねぎを刻んだ。愛する夫に料理を作りたい、そう言いだしたのはクリスだった。貴族であれば女性が厨房に入る事は無い。だが、騎士爵であれば別だ。無論厨房には、新たに雇った料理人が居たが、セドリックが何気なく漏らした一言で、俄然クリスの闘志に火が付いてしまった。
発端はチェスターだった。昼食時に、チェスターが最愛の妻の愛妻弁当を持参し、それを見たセドリックがついポロっと、「俺もいつかクリスの作る料理というものを食べてみたいものだ」と漏らしてしまったのだ。こんな事を聞いては、意地でも食べさせたくなるではないか。
大見え切って作ってやると言った手前、出来ませんでしたとは言えない。言いたくない。そして現在、料理長の指導のもと、初の料理に挑戦中だったりする。
簡単なものにすればいいものを、無駄に負けず嫌いのクリスが挑戦しているのはミートローフだ。鬼気迫る様子で玉ねぎを刻むクリスに、料理長は止めることも出来ず、黙って牛すね肉や鶏の骨、野菜に香辛料でスープを取っていた。
***
「……これは?」
「……その……。ミートローフを作るつもりだったんだ……」
テーブルの上に鎮座するのは、ボロボロになった何か。所々がコゲコゲになり、カットしたつもりがぐしゃりと崩れて悲惨な事になっている。周囲に並んだ料理人の作った美しい料理に並び、尚更にその惨状が際立っていた。
「無理に食べなくて良いよ。私が責任を持って食べるから……」
涙目状態でミートローフのなれの果てを手元に引き寄せたクリスの手を、セドリックが引き留める。
「俺に作ってくれたものなんだろう?」
「でも……」
クリスが引き留める前に、セドリックはフォークで崩れるそれを掬い、口に運ぶ。マリエッタが息を飲み祈る様に手を組んだ。様子を見に覗きに来た料理長もはらはらと見守った。もぐ、と咀嚼をするセドリックに、クリスがおろおろとする。
「ま……不味かったら吐き出して良いから! マリエッタ、フキンを──」
ふっとセドリックの口元が緩んだ。
「美味いな」
「「「!!」」」
目を見開いたクリスに、セドリックがくす、っと笑う。
「多少崩れちゃいるが味は良いぞ。ほら」
セドリックがフォークでもう一度掬い、クリスの口元へと差し出した。恐る恐るクリスはそれを口に含む。
「……美味しい……」
見た目は酷かったが、味は確かに悪くなかった。クリスの顔に笑顔が浮かぶ。マリエッタと料理長も顔を見合せ満面の笑みを浮かべた。セドリックはフォークでミートローフっぽい何かを突いては口に運ぶ。
「クリスが俺の為に作ってくれたものなら、どんなものでも美味いに決まっている。クリスの心が籠っているものが不味いわけが無いだろう?」
「セド……!」
夫の言葉にクリスが感激に瞳を潤ませる。少しずつ、クリスの料理の腕も上がり、数か月が経過する頃には、料理長の作る料理には及ばずとも、それなりの見た目の料理が週に1度、食卓に並ぶようになった。
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