04.口づけはお日様の味。
***前回のあらすじ***
ダグとユスは、お互いに惹かれあう。少しずつ距離が縮まる2人。だが、ある日村に出掛けたユスは、村に来ていた騎士に、ダグの事を尋ねられた。彼らはダグを探しているらしい。恐れていた日が、やってきた。
私は、ずっと口を噤んでいた。村の人たちがしきりに私に話しかけて来たけれど、私の耳には届かなかった。
帰っちゃう。ダグが、私を置いて。
──判らない。私、ダグに会うまでどうやって生きてきたっけ……?
ダグの居ないあの小屋で、どうやって生きて行けばいいの……?
血の気が引いて倒れそうになった私を、騎士の人が支える。気遣ってくれたらしい騎士に誘導され、村の人が持ってきた木箱に座らされた。私はぎゅっと膝に置いた手でスカートを握る。何て答えれば良い? 知らないと、嘘をつく? ダグは帰りたいかもしれない。 そんな事をしたら、私は私が許せなくなる。きっと今まで通りダグの顔を見る事さえ出来なくなる。
なら、知っていると言う? そうしたら、ダグは私を置いて行ってしまう。あの人の、本来いるべき場所へ。ダグが居なくなる。嫌。離れるのは、嫌。ダグが好きなの。ダグの傍に、居たいの。もう私は一人では生きて行けない。
私は村人と騎士に囲まれて、逃げる事さえもう出来ない。
ガラガラと馬車の鳴る音にビクっとなる。私とダグを引き裂く、とても怖い音。いや。こないで。お願い時間。止まって。
馬車が、止まった。
人の降りて来る音がした。
周りの人が、道を開けた。
迎えが、来たんだわ。後はもう、引き離されるだけ。
私は、ゆっくり立ち上がり、馬車でやってきた人の方を見た。
ただ怯えて黙ってダグが連れていかれるのを待つなんて、嫌。
ぎゅっと私は拳を握る。被っていたフードを取った。見慣れてるはずなのに、村人が怯えた様に一歩下がる。馬車から降りて来た人たちも、私を見て目を見開いた。怖がられても良い。魔法は使えなくても、私は魔女だ。私に怯えて逃げかえって欲しい。呪う力なんて無いけれど、そう思われても構わない。私に出来るただ1つの虚勢だった。
……だけど、彼らは私を恐れてはくれなかった。そうね。当然だわ。彼らは騎士だもの。私の様な小娘を、恐れる筈なんて無かった。まっすぐに黒髪の男が私を見る。私とよく似た赤い瞳。
「ダグラス=ルトラールをご存知か?」
私は、答えられない。答えたくない。嘘も、本当の事も、言いたくない。ぎゅっと唇を噛む。
長い銀の髪の人が、私の前に出た。美しいアイスブルーの瞳。男の様に振る舞っては居ても、何処か上品で高貴な空気があった。
──この人……。女の人だ。私の心がざわりとする。
「私は、クリスと言う。ダグラスの── ダグの友人だ」
ダグ──。 彼が覚えて居たのは、この人が呼ぶこの愛称だったのかもしれない。友人。そう言ったけれど。もしかして、この人は──。この人も、ダグを好きなのかもしれない。真剣な目に射竦められる。私は息を飲んだ。
私がダグと過ごしていた間、この人はずっと苦しんでいたのかもしれない。彼女の後ろから身を乗り出す様にして二人の男が私に声を掛けて来る。
「あ、俺はヴィー!」
「チェスターだ」
私はぼんやり、この3人を見つめた。凄く、必死な、真剣な顔だった。
「脅かしてすまなかった。私達は数か月前、森に巣くう魔物の討伐を行う為にコンフォートに来ていて、その討伐の際に崖から落ちてしまったダグをずっと探していたんだ。大事な、友人なんだ。だから、彼の生死だけでも、ただそれだけも判れば良い。生きていて欲しい、それだけなんだ。だから、もし貴女が何か彼の事を知っているのなら────」
───ああ。
今にも泣きだしそうな、苦しそうな、縋るような眼。私には、出来ない。もしも私がその場に居合わせたら、そうして彼の消息が途絶えてしまったら。どんなに苦しいだろう。そう思ってしまったら。もう、黙っている事も出来なかった。言いたくない。言いたくない。言いたく──
「────知って、います」
私の気持ちと裏腹に、私の口から本当の事が付いて出てた。わぁっと歓声が沸き起こる。彼女の瞳が歓喜に潤む。ズキンと胸が痛んだ。喜び合う人たちの中、私の心だけが冬になってしまったかのように冷えて行った。
***
私は、彼らを私の小屋へと案内をした。ダグは急いで戻るからと出かけて行った。あれから結構長い時間が経ってしまっている。きっともう小屋へと帰っているはずだ。私は歩きながら、ぽつぽつと彼を見つけた時の事を話した。
「──何故、黙っていた?」
黒髪の男に問われ、私は一瞬言葉に詰まった。
「あなた達が、ダグを連れて行ってしまうと思ったからです」
「あー、ごっつい鎧着た男に詰め寄られたら普通なんかしでかして捕まりそうに見えるもんねぇ」
軽い口調でそういうのは、柔らかい金髪の男だ。少し、ダグの口調に似ている。
「心配しなくても、私達は彼を捕らえに来たわけでは無いよ」
銀の髪の女性が、柔らかく微笑んだ。その頬が僅かに上気しているのは、彼に逢える喜びの為か。きっと、良い人なのだろう。なのに、私の心は彼女のそういう表情にどんどん凍り付いていく様だった。
森の木立の向こうに、私の小屋が見えて来る。ダグと過ごした、私の小屋。ダグはいつもあそこで薪割をしていた。あの木の枝は何度無理をするなと言っても直ぐに懸垂を始めてしまった枝。あの辺でいつもダグは素振りをしていた。涙が零れそうになる。嬉しそうに顔を見合わせる彼女達が憎らしく思えてしまう。私は、嫌な子だ。こんな私、ダグに好きになって貰う資格、無い。
「……此処です」
手が、震える。この扉を、開けたくない。今更拒めるはずなど無いのに、往生際が悪い私はなんてみっともないんだろう。
この戸は、こんなに重かったかしら。手に上手く力が入らない。ぐ、と扉を開く。ギィ、と軋んだ音がした。
***
「ダグ!!」
真っ先に飛び出したのは、金髪の男だった。そのままダグの首に飛びつく。
ダグの眼は、私を見ては居なかった。自分にしがみ付く金髪の青年を。黒髪の男を。大柄なグレイの瞳の青年を。そうして、彼の瞳が彼女を見た。
「……ヴィー?チェスター!団長!──クリス!」
彼の顔に、満面の笑みが浮かぶ。
……ああ。彼の記憶が、戻ってしまった。喜ばしい事の筈なのに、私は素直に喜べない。
──彼が、いつも私を呼んでくれたその唇が、彼女の名前を呼ぶ。心が引き裂かれてしまいそう。駆けだした彼女の長い銀糸の様な髪がさらりと靡き、私の横を通り過ぎる。瞳から零れ落ちた涙の雫がきらきらと開け放った扉から差し込む陽の光に煌めいた。彼女を追った黒髪の男も、大柄な青年も、彼女がダグに抱きついた直ぐ後に彼を抱きしめた。
私は、一人取り残された様に、その光景を見つめて居る事しか出来なかった。
***
「ダグラス。お前これからどうしたい?」
黒髪の男性──セドリック様の言葉に、私は血の気が引いてしまう。耳を塞いでしまいたい。嫌。聞きたくない。震えが、止まらない。
私の不安をよそに、ダグが晴れやかな顔で笑う。
「団長、俺、王都には戻りません。此処に残ります。俺、肩をやっちゃったんです。だから騎士はもう続けられません。それに案外自給自足の生活って俺に向いてるっぽいんですよね」
……え?
私は息を飲んだ。──残る? 此処に、居てくれるの? 本当に? ね、と言う様にダグが私を見てにっこりと笑う。私は思わず笑みを返した。
***
少しして、ダグはあの綺麗な人──クリス様と、2人きりで小屋の外へと出た。……やっぱり、恋人同士だったのかもしれない。少し申し訳ない気持ちになる。その間、私はセドリック様と、ヴィー様、チェスター様にダグを見つけた時の事を話して聞かせた。ヴィー様が、嬉しそうに私を見る。
「それにしてもダグが生きてて良かったよ。それにこーんな可愛い子に助けて貰うなんてさ。ダグも幸せ者だねー」
私はその言葉に俯いてしまう。普段なら、嬉しかったかもしれない。でも、彼女の事を思うと私の不安は中々拭えなかった。ダグは肩をやってしまったと言ったけれど、グリズリーも倒しちゃう腕前だもの。ダグが続けたいなら、続けられるんじゃないかしら。ヴィー様は気にせず話を続ける。
「ダグはさー、結構おっちょこちょいなとこあるからねー。ユスちゃん、ダグの事宜しくね?」
に、と歯を覗かせて笑うヴィー様に、私は目を見開いた。 ……今、何て?
「ぁ、俺たちがダグを連れて行っちゃうと思った? さっきさ、クリスも言ってたでしょ? 俺らはダグが生きててくれたらそれでいいの」
「うんうん。……で、式は上げるのか? それとももう上げたのか?」
チェスター様の言葉に私は飲んでいたお茶を吹きだしそうになった。
「ぁ。その様子じゃダグってばまだ告白してない感じー? もー、しょうがないなぁダグはー。ダグが此処に残りたいのはユスちゃんが居るからに決まってんじゃん」
「え……。でも、クリス様は……」
「クリスは俺の女だ」
「えっ?!」
「ひゅーひゅー」
じゃあ、あの友人っていう言葉は、本当に言葉通りの意味だったの? 私はヴィー様の言葉や、嫉妬していた事が恥ずかしくなって顔を覆った。
***
その日の内に、クリス様達は帰って行った。皆晴れやかな笑顔だった。私達は森の外れで馬車が見えなくなるまで見送った。
「──良かったの?ダグ」
「えぇー? ユスは俺に帰って欲しかった?」
「まさか!」
私はダグの拗ねた様な言葉に、慌てて首を思いっきり振ってしまった。ダグが可笑しそうに笑う。それから、ふっと真顔になって、彼は私と向きなおった。私は彼の真剣な顔に顔が熱くなるのを感じる。
ダグは私の前に跪き、腰に下げた剣を抜き、横に向けて地面へ置いた。抜き身の剣に揃えた指先を乗せる。私は息を飲んで彼の仕草を見つめた。まるで物語の王子様の様。
「──ユス。騎士を捨てた俺だけど、俺の魂は騎士としての誇りを失わない」
私は彼の言葉に、耳を傾ける。ドキドキと苦しくなる胸を押さえ、じっと彼を見つめた。彼の手が、私の指先を捕らえる。鼓動が大きく跳ねた。
「私、ダグラス=ルトラールは今この時よりルトラールの名を捨てる。そしてこの先如何なる事があろうとも貴女を護り抜くと天地神明に誓おう。麗しの白き乙女、ユス。俺は心から貴女を愛している。どうかこの俺の妻となり、命尽きるその日まで、俺と共に生きて欲しい。俺はもう、貴女なしでは生きられない」
彼がポケットから箱を取り出し、中に入っていたリングを私の薬指に通し、私の指先に口づけた。
私は、嬉しくて、あまりにも幸せ過ぎて、涙が溢れて止まらなくなる。好きが溢れて溺れてしまいそう。
もう、お別れだと思った。離れ離れになるのだと思った。ダグを失う事が怖くて堪らなかった。怖かった分、私の中で喜びが膨れ上がる。幸せ過ぎて怖い程。
「は、い……っ!」
私はそれだけ言うのがやっと。ダグラスがぱぁ、っと笑みを浮かべる。私の大好きな、お日様みたいな眩しい笑顔で。両手を広げたダグの胸に、私は思いっきり飛び込んだ。
ダグの両手が私の頬を包み込む。
初めての口づけは、蕩けそうな程甘く優しく、蜂蜜色のお日様の味がした。
──Fin.
ご閲覧・ブクマ、有難うございました!最終話、ちょっと長くなりましたが、こぼれ話1個目、ユスとダグのお話、これにて完結です。ご感想で『出来るんじゃないかなー』っと仰って下さった萌葱さん、有難うございました!次のこぼれ話は2度リクエストを下さったカネ吉&イリスさんからのリクエストにお応えして、クリスとセドのその後のお話になります。此方も順次綴っていきますー。