07.クェレヘクタ国の片隅で。
***前回のあらすじ***
シェリナに勧められ、ロンバートとシェリナは王都へと訪れた。あれから一度も会わずにいた母フローティアに面会を果たした。長く蟠っていた心が晴れていく様で、ロンバートは長い冬が終わった事を感じていた。
「──そう。そんなことがあったんだ?」
幼馴染であり、元婚約者のクリスティアナの休憩時間、ロンバートはシェリナと幼いマシューを連れて騎士団の詰所へと訪れていた。
小さなマシューは物怖じせず、屈強な騎士達相手にはしゃいでいる。
シェリナの淹れてくれたお茶を飲みながら、久しぶりにロンバートとクリスティアナは2人で話をした。
ロンバートが恋の病にどっぷり嵌り、愚策に愚策を重ね、クリスティアナを断罪しようとしたのが遥か昔の事の様だ。
クリスティアナの隣には死神と恐れられた騎士団長セドリックが寄り添い、自分の隣には、愛しい妻と息子が居る。
穏やかな時間が流れていた。
今になって思えば、こうなる事が必然だった気がしてくるのだから、現金なものだ。
色々な事があった。
クリスティアナを妻に迎えるのだと思っていた。
だが、才能の無さが、認めて貰えない悔しさが、目を眩ませた。
いつの間にか、クリスティアナを見返したい。クリスティアナに負けたくない。そんな気持ちに捕らわれていた。
シェリナが好きだった。身分の差があろうとも、シェリナを妻に迎えたかった。
その為に、周りが見えなくなり、結果クリスティアナを最悪の形で断罪するという愚行に走ってしまった。
今なら自分がどれだけ愚かだったか判る。
けれど、犯した罪は悔いたところで無かったことには出来はしない。
それでも、クリスティアナはそれで良かったと笑ってくれた。ロンバートは恥ずかしいような、嬉しいような気持ちに満たされる。
「──ロン。私はもう、あなたには必要ない?」
カップを置きながら、静かな微笑を浮かべ、クリスティアナがロンバートに、念を押す様に聞いた。
ともすれば誤解を招きかねないセリフに、事情を知らない若い騎士がぎょっとした顔でこちらを見る。
少し離れた場所で他の騎士達と共にマシューを眺めていたセドリックは、クリスティアナの言葉に視線を向け、複雑な顔を浮かべたが、小さく肩を竦めただけだ。
「クリスが俺に仕える事をずっと望んでくれてたのは判ってるよ。俺はお前にあんな酷い事したのにな」
ロンバートが破顔する。その表情は、憑きものが落ちた様に穏やかだ。確かに今、ロンバートが主体となって納めるオッド領は、大きく変わり始めている。
今後様々な問題も出て来るだろう。王妃となるべく知識を蓄えたクリスティアナが傍に居れば、確かに救われる事も多いだろう。
「ありがとうな、クリス。だけど、俺はお前が居ると駄目なんだ」
クリスティアナは静かに笑みを向けてくれている。以前はその笑みが馬鹿にしているように見えたものだが。
元々目つきが鋭いクリスティアナのこの表情は、冴え冴えとしたアイスブルーの色も相まって酷く冷たく見えるのだが、その奥に見える優しさを思い出した今なら、その視線が自分を見守るものだったことが判る。
「お前と居ると、俺は甘えてしまうからな。俺はもう、自分に言い訳をしたくは無いんだ。俺にはもうシェリナもマシューもいる。ちゃんと自分の足で立てる。大丈夫だ」
正直なところ、クリスティアナは能力が高すぎる。
クリスと居ると、自分と比べてしまう。自分をクリスの位置まで引き上げたくなる。評価を受けたくなってしまう。
けれど、否応なく判ってしまうのだ。自分にはクリス程の能力はない。
シェリナは、等身大のロンバートを認めてくれる。
等身大で居られる様になって、初めてロンバートは自分がクリスや弟のサーフィス、王太子の立場という濁流に流され、溺れて居た事に気が付いた。
髙い能力も評価も要らない。今のオッド領の生活は、自分を大きく見せる事も、必要ない。等身大の自分のまま、民と向かい合う事で、ようやく自分の力で立てるようになった。
等身大の自分で居る為には、クリスが傍に居ては、きっと自分はまたクリスの眩しさに目が眩み、クリスに引っ張られるようにして自分を見失ってしまうだろう。
ロンバートは、自分なりに民と向き合っていきたいと思っていた。
そんなロンバートの想いを、民はきちんと受け止めて、支えようとしてくれる。
能力の低いロンバートだからこそ、出来ることがある。民一人一人と向き合える。今はそう、思っていた。
クリスはそんなロンバートの気持ちを理解した様だった。
元より細い目を細め、シェリナへと視線を向ける。
「今更ながらだけど、良かったね。ロンにはやっぱりシェリナが似合いだと思うよ。オッド領の管理はロンに向いていると思う」
「ああ、俺もそう思う」
ロンバートとクリスティアナは顔を見合せ、笑った。
***
もっと騎士と遊ぶと駄々を捏ねてギャン泣きするマシューを抱き上げ、シェリナは先に馬車へと乗り込んだ。
母となったシェリナはすっかり頼もしくなっていた様だ。
以前の様に飛びついてくる事も無く、クリスティアナは、少しだけ寂しくも思う。
「──クリス」
「ん?」
「お前にはやっぱり、ドレスやリボンは似合わない。着飾ったお前より、騎士の格好のお前の方がお前らしい」
ロンバートの言葉に、クリスティアナは目を丸くした。てっきりもう忘れていると思ったセリフ。幼い頃に交わした、クリスティアナが騎士になりたいと思った切っ掛けになった言葉だった。
「お前には俺の騎士になるよりも、この国の騎士としてこの国の剣となり盾となって欲しい。サーフィスの事、頼んだぞ」
「──騎士の名にかけて」
美しい所作はそのままに、クリスティアナの見せた礼は、騎士としての矜持が見て取れた。氷の令嬢と呼ばれた面影は、今のクリスティアナからは伺えない。
「お前には、セドリックが似合いだよ」
もう、クリスティアナへ詫びるのは止めにしよう。結果として、これが最良だったのだから。
目を丸くして、かぁっと頬を赤らめ、隣に立つセドリックと見つめ合うクリスティアナに、ロンバートは可笑しそうに笑い、馬車へと乗り込んだ。
「元気で」
「お前もな」
馬車はゆっくり走り出した。
泣き疲れたマシューは、シェリナの膝の上で、すやすやと寝息を立てている。
「シェリナ。ありがとう」
王都へ来て良かった。父に、母に会えて良かった。シェリナでなかったら、彼女が居なかったら、きっと今の自分は無かっただろう。
そっとシェリナの手を握ると、シェリナは幸せそうに笑った。
***
──あれから数十年。
オッド領は目覚ましい発展を遂げた。ロンバートの計画通り、噂を聞きつけ、多くの街から貧しい者が次々と集まる様になったのだ。
ロンバートは彼らに無償で家を与え、仕事を与え、村は街へと変化し、街が発展をすれば、大勢の商人達がやってくるようにもなった。
最初は半信半疑だった難民達も、仕事を得る事と生き生きと良く働き、収入が得られる様になれば率先して税を納め、納められた税により、街道は整備され、領地は驚くほどに豊かになっていった。
貧民達により発展を遂げた街の名は、希望を意味するエスペランサと名付けられ、素朴で優しい街の景観は、今や有数の観光地として多くの人が訪れる。
ロンバートの功績により、男爵家は子爵家へと陞爵し、更に数年後には伯爵へと地位を上げ、ロンバートとシェリナの物語は、今でも多くの吟遊詩人によって語り継がれ、歌となって多くの国民に愛されている。
ロンバートとシェリナは、三人の子に恵まれ、晩年は息子のマシューに家督を譲り渡すと、領地を見下ろす小さな屋敷に居を構え、静かな余生を過ごしたという。
ロンバート=オッド、享年72歳。愛する妻と子に看取られて、その最後は眠る様に穏やかだったという。その僅か一月後、シェリナも後を追う様にその人生を閉じた。
死の間際まで寄り添って生きた二人の墓は、今もクェレヘクタ国の片隅で、オッド領を見下ろす丘の上から、愛する領地を見守っている。
~Fin~
大変お待たせいたしました! やっとここぼれ話、『クェレヘクタの片隅で』完結です。次は、かるのさんからのリクエスト、『あなたをお慕いしています』執筆致します!