09 変身の術
洞窟の中に差し込んでくる月明りがクズノハの裸身を照らし出す。
「……アッシュ」
クズノハは近づいてくるとオレに体を寄せたが、オレも服を着てないからピトッとくっついてきたクズノハの体の柔らかさがダイレクトに伝わってくる。
「ちょ、ちょっと待ってクズノハ」
オレは慌ててクズノハを引き離してクズノハの肩を持った。
「えっと……早くないかな?」
オレはこの姿になったクズノハとは今日あったばかりなのだ。まだ、気持ちの整理がついていないんだけど……。
クズノハは首を傾けた。
「えっと……一週間一緒に添い寝をして、私がアッシュの人生に首輪をつけていいかと聞き、アッシュは抱きしめて答えてくれました」
そのときのことを思い出しているのだろうか、クズノハは嬉しそうに宙を見つめている。
えっと、その時はクズノハが子ギツネだっとときで飼い主になる覚悟はあるけど、旦那になる覚悟はしてなかったよ?
首をなめるのがクズノハの愛の告白だって言うのも知らなかったし……
「そして、私は白無垢を着てアッシュのもとにおヨメにきました。
順調に段取りが進んでいると思うのですが……今日は『初夜』ですし」
初夜ということばを口にしたクズノハの白い肌が一気に全身真っ赤になった。
真っ白いクズノハの体が赤く染まっていくさまはとても美しくてオレは見とれてしまっていた。
「たしかに、ヨメ入りの日だから『初夜』なんだけど、えーと、段取り踏めばいいってわけでもなくて、そのね」
なんとなくこのまま流されるのに違和感がある……
「そうだ、オレはクズノハのこと何にも知らないだろ?
ヒト型になれるのも、料理がうまいのも今日知った」
そうか、違和感の正体はオレがクズノハのことを知らないからか。
そして、オレのこともクズノハに知ってほしいんだ。
「二人で出かけたり、お話したりしてもう少しクズノハのこと知りたいよ。
時間はたっぷりあるんだから、急がなくてもいいだろう?」
クズノハは頷いてくれた。
「私もアッシュのこと知りたいです」
クズノハは尻尾を振り回している。
あの、腰も揺れてるんだけど……
「あと、服着てくれないか。
なんでもいいから」
「……では、私のことをもっと知っていただくために、今から変身をしてみせますね」
クズノハは嫁入り道具から小さな葉っぱを取り出して頭に乗せると、両手を組み何やら呪文を唱えだした。
「化生も魔障も夢狭間、獏から逃れ現に堕ちよ!
ハイカラさんに、なあれッ!」
すると、ポンっと音がしてモクモクと白煙が上がりクズノハを包み込んだ。
「な、なんだ? ハイカラさん?」
子ギツネに変身するのか? オレは服を来てくれって言ったんだけど……
煙が収まると、クズノハはヒト型だったが今度は白一色じゃない着物を着ていた。
「アッシュ。
どうですか、女袴。私好きなんですよねえ」
あ、そうだ。『ハカマ』っていう奴だ。
クズノハは赤茶色の袴に白を基調に花を散らした艶やかな着物を合わせている。
白無垢みたいな正装ではないし、豪華さはないけどこっちの方が可憐で動きやすそうだ。
「可愛いよ。動きやすそうだし、いいと思う」
「良かったです、アッシュにも気に入ってもらえて。
袴に足元はブーツを合わせるのが、今東方の島国で流行っているんですよ」
クズノハはくるくるとオレに見せつけるように回って見せた。
「今のは、服を早く着る魔法?」
「違いますよ」
クズノハは褒められて嬉しかったのか、オレに抱きついてきた。
「おい、せっかくのお気に入りの服が灰になってしまうぞ」
「大丈夫ですよ」
クズノハは離れようとしない。
そのままじっとしていた。
「せっかく可愛い服なんだから、灰になったらもったいないだろ」
「ほら、灰になっていませんよ」
先ほどのようにクズノハは着物の袖を握りくるくると回っていた。
あれ? 灰が落ちない。
着物も袴も確かにオレの身体に触れたのに、ちっともボロボロになってはいない。
「服に早く着替える魔法ではなくて、洋服を着た私に変身したんです。
だから、この着物も袴も道具ではなく、私の一部ですから灰になったりしませんよ」
「本当か?」
オレはおそるおそるクズノハへ近づいた。
「信じられないなら、もう一度確かめてください」
クズノハは両手を広げてオレを待ち構えていた。
オレは吸い込まれるようにクズノハに抱き着いた。
背の高いクズノハだから、ちょうど胸のあたりにオレの顔が来る。
「オレ、もっと大きくなるからな」
「アッシュ、気にされてるんですね。
でしたら、私もっと小さく変身できますよ」
「いいよ。オレもっと背が伸びる予定だし」
「では、私が栄養たくさんの料理をつくりますからいっぱい食べて大きくなってくださいね」
抱きあってからしばらくたったはずだけど……
「灰にならない」
「この着物も袴も私ですからね」
オレもヒトと触れ合っていいんだ……
誰とも心が通じ合うことはないんだと、ヒトと触れ合うことなんてありはしないと思っていたオレだけど、なんだか生きているのを許された気がした
クズノハはぎゅっと抱きしめる手に力を入れた。
――オレとクズノハは横になって互いの話をした。
『クズノハ・テンコ』
とある神に仕える守護獣、『天狐』という妖狐だったが、任務中に大ケガをしてしまい魔力のほとんどが抜け出てしまったそう。
魔力のない守護獣など不要と、非情にも処分を言い渡され氷狼フェンリルが追手として差し向けられたそうだ。
そうか、クズノハも帰る場所がないのか。
帰る場所のない者同士、辺境で生きていくのも悪くはない気がした。
オレもいままでのことを話した。
「私はキツネですから、アッシュが裸でも気にしませんよ」
そう言ってくれたクズノハと手をつないだまま寝てしまった。
☆★
トントントン……
包丁の音で目が覚めた。
「アッシュ、目が覚めました?
今朝ごはん用意してますからね」
顔をこちらに向けたクズノハであるが、包丁を握る手は休めない。
とても美味しそうな匂いが洞窟の中に広がっていた。
「なんだか、包丁の音が心地よくて気持ちよく目覚めたよ。
ご飯を作ってもらえるって嬉しいもんだね」
グウッとオレのおなかが鳴った。
「フフ、もう少しだけ待ってくださいね。
美味しいごはんいっぱい作っていますからね」
クズノハは鼻歌を歌いながら手際よく朝ごはんの準備をしていた。
「変わったエプロンだね」
「これは、割烹着っていうものですよ」
白くてシンプルな割烹着にオレは近づいて触ろうとした。
「あ、これは普通の服なので触ると灰になりますからね」
おっと、気を付けよう。
「もうできましたよ、テーブルの前に座っていてくださいね」
オレは行儀よく座って待つ。
ご飯の準備という作業をするときでさえ、クズノハは一つ一つの動きがとても洗練されていてきちんと躾けられていることがわかる。
生き生きと食事の準備をするクズノハにみとれている間に、目の前には朝ごはんが並んでいた。
「では、どうぞ。
味噌汁、イビルサーモンの焼き物と、米飯です。
東方の一般的な朝ごはんですよ」
オレは魚は水場に入れないから狩れないのでクズノハが取ってきてくれたんだろうね。
その気遣いが嬉しかった。
「「いただきます!」」
昨日と同様にクズノハがオレにご飯を食べさせてくれる。
「アッシュ、口を開けてアーンしてくださいね」
「アーン」
クズノハがお箸でオレに食べさせてくれる。
パアアァン
乾いた音がした。銃声か?
「今の音、銃声か」
「冒険者が紛れ込むわけはないんですが……何か目的があってきたのでしょうか。
私もオオカミほどではありませんが、鼻が利きます。
微かな硝煙の匂いと、少しだけ血の匂いも混じっていますね」
クズノハはオレに箸を運ぶ手を止めない。
「クズノハ、ごめん。
ご飯冷えちゃうけど、助けに行くよ」
「……アッシュはお人よしなんですから。
そんなことでは損をしますよ。
だから、私も助けてくれたんでしょうけど」
クズノハはくすくすと笑いながら立ち上がった。
「人助けに得も損もないと思っているけど……今は損はしないと思っているよ」
なあ、クズノハ」
「アッシュ、それって……」
「急ぐぞ、クズノハ」
オレはクズノハの言葉を聞き終わる前に外に出た。
「アッシュ、待ってくださいませ」
遅れてクズノハも割烹着を脱ぎ捨てるとオレを追いかけてきた。