第58話
リーリエルとガヴリーはギルドを出て歩いていた。
宿の方向へ向かってはいるが、明確に目的地としているわけではなかった。
「……ねぇ、リー。
ミーナは大丈夫なのかな?」
「知らん。適当なところで戦闘を切り上げて逃げるにしても、ケルベロスがそれを易々と許すとは思えん」
「そっか……そうだよね」
ガヴリーは肩を落として歩いていた。
リーリエルはギルドでのやり取りを思い返す。
(ミーナの行動、コリンの様子からして、この街の結界がケルベロスに対して機能するかは怪しい部分があるな。
ケルベロス限定でまったく意味がないのか、単順に強大な力には太刀打ちできないのか、どちらかは知らんが……。
結界の効果を過信して、このままこの街にいるのは危険だ)
「ガヴリー、荷物をまとめておけ。
街を出る用意をしろ」
「街を? なんで?」
「ここが戦場になる可能性が高いからだ」
「うぇ? だって結界があるんだから街の中は安全なんじゃ……」
「おや、リーリエルさんではないですか。こんにちは」
声をかけられ、リーリエルは顔を上げる。リーリエルは知らぬ間にうつむき気味になっていた。
声の主は、街はずれの教会の神父バルビナだった。
両手に小さな男の子と女の子を連れていた。
「バルビナか。
どうした、こんな場所で」
「はは、私もたまには外出しますよ。
今日はこの子たちを連れて買い物です。
育ち盛りな子たちですから、食料はいくらあっても足りません」
バルビナと手を繋いでいる子供たちは、ガヴリーに気づくとぱっと顔を明るくした。以前に教会で遊んだことを覚えていたのだ。
子どもたちがガヴリーに近づいたが、リーリエルを見て「ぴゃあぁッ!?」っと声を上げて、ささっとバルビナの後ろに隠れた。
子供たちはリーリエルのことも覚えていた。
前にリーリエルが教会を訪れた際、滅茶苦茶に子供たちをガンつけており、未だ恐怖の対象であった。
(軟弱だな)
リーリエルは自分に怯える子供を前にして思った。
何の力も持たない、人の陰に隠れることしかできない子供たち。
「ちぃっ!」
無意識にリーリエルは舌打ちする。
ひどく苛立っていた。
その様子に、バルビナはいつもニコニコと閉じていた目を薄く開けた。
「何かありましたか?」
「バルビナ、お前もこの街を出るんだな」
「街を、ですか?」
「死にたくないのであればな」
リーリエルは山に目を向ける。
「今、あの山で強大な魔獣が暴れている。
アレが街までくれば、ひとたまりもないだろう」
「魔獣が? ではこの音や振動はその魔獣が?
それは…………なるほど。しかし、街には結界がありますし……」
「お前たちは皆一様にそう言う。
しかし、本当に街中の安全が保障されているのであれば、なぜ街の衛兵どもは慌てた様子なのだ? なぜ街を警らする衛兵の数が少ない?」
「それは……」
「根拠は他にもある。
信じる信じないは、お前の自由だがな」
おそらくバルビナは信じないだろう。
リーリエルはそう思いながら言ったことだったので、続くバルビナの言葉に虚をつかれた。
「その根拠は、今ミーナがさんが、ここにいないことも関係していますか?」
「…………」
「なるほど」
バルビナが眉を寄せて考え込む。
バルビナは、以前にセルビオから伝えられていたことを思い出していた。
(護衛の冒険者は、強い人がいい。
強くて、お人好しだとなおいい……でしたか。
まったく、一体何をやったというのでしょうか、彼は。
…………いえ、今はそれよりも……)
熟考するバルビナの視線は遠くに向けられていた。
「困りましたね。やはり、難しい」
「難しい? 何がだ?」
「街を出たとして、私が教会にいる子供たち全員の面倒を見ることは容易ではありません。
いえ、実質不可能と言えるでしょう。
では次善策として、どうするべきか考えなくてはなりません」
「……お前は、信じるのか、俺が言ったことを」
リーリエルの言ったことは、結局のところ推測に過ぎない。
結界は、魔獣ケルベロスに対して有効に働かない。
リーリエルは確信に近い考えだったが、リーリエルの考える根拠をすべて並べたところで、それは決して確実な証明となるものではなかった。
しかし、バルビナはそんなリーリエルの内心を知ってか知らずか、断言する。
「ええ。貴方はくだらない嘘を吐く人ではありませんし、貴方のその目は信用できます。
であれば、備えるに越したことはないでしょう」
「……ならば街を出ろ。
命あってのことだろう」
リーリエルの言葉に、バルビナは苦笑した。
「その通りです。
ですが私は、その後のことも考えずにはいられないのです。
仮に街を出たとして、この手の子たちは救えても、あの子たち全員は救えない。
私はそこまで強くはありません」
「手に余ることを考えても仕方があるまい」
「ええ。ですが、それでも考えてしまいます」
穏やかな口調の中に、確かな力込められていた。
「神父にあるまじきことですが、こう見えて私は強欲なのです。
あの子たちの誰一人として、欠けることを望みません」
その強い意志に、リーリエルは気圧される思いだった。
バルビナの薄く開いた目が、リーリエルを捉える。
「ミーナさんはあの場にいて、魔獣と戦っているのですね?」
「……そうだ。まだ生きているか、それとも逃げおおせたかは知らんがな」
「彼女は絶対に退きませんよ。そういう方です」
「…………」
リーリエルは、ミーナと別れるときのことを思い返す。
口調は緩かったが、堅い決意が明らかであり、その瞳に迷いは感じられなかった。
だからこそ、リーリエルは説得を放棄し早々に離脱することを決めたのだ。
「彼女が退けば、子どもたちが傷つき命を失うかもしれない。
そういう状況であれば、彼女は決して退かないでしょう。
たとえ、その結果、彼女が死んでしまうとしても」
「なぜそんなことが断言できる?」
「おや、それは私よりもリーリエルさんの方が理解していると思っていましたが?」
「何を言う。あいつのことなど、俺はロクに知らん」
「ではリーリエルさんは、街の結界に効果がないとして、本当に彼女の気が変わって逃げると思いますか?」
バルビナの質問に、リーリエルは拳を握った。
(ミーナはこの神父と、ガキどもが大事らしい。
自身の命と天秤にかけ、傾くほどに。
到底理解はできんが……)
本当に?
ふいによぎった言葉に、リーリエルは顔を上げた。
視界に入ったものを見て、リーリエルは理解する。
そう、リーリエルは理解していた。とっくに理解してしまっていた。
無意識にリーリエルは歩き出す。それは宿とは違う方向だった。
それまで黙っていたガヴリーが、慌てて聞いた。
「リー、どこ行くの!?」
「用事が出来た。お前は街を出ろ」
「用事って……あ、ちょっと、リー!?」
ガヴリーの質問には答えず、リーリエルは走り出した。
時間が惜しい。
わずかな時間すらも、これ以上無駄にするわけにはいかなかった。




