第48話
それは馬の男だった。
馬の男である。
文字通り、馬の顔をした男だった。
リーリエルは高速で接近してきた馬男の蹴りを受け、大きく吹き飛ばされていた。
「オリガ様、ご無事ですか?」
震えながら立つ仮面の女の前に、馬男が跪く。
「こ、この程度、なんてことありませんわ……」
「合図がありませんでしたが、状況を見て私の独断で止めさせていただきました。
申し訳ありません」
「……よろしくてよ。
お手数かけましたわね」
「任務ですから。
さて」
馬男が目をぎょろっと動かして、リーリエルを捉える。
リーリエルは右側を前面にして、半身で構えた。
「ここからは、オリガ様に代わり私がお相手いたします」
「くっくっく」
リーリエルは笑った。
額には大粒の汗が浮かんでいる。
「不足ない。来い、殺してやる」
「よい覇気です」
馬男が一歩前に踏み出して、リーリエルが大きく腰を落とした。
一触即発の息苦しいまでの空気で満たされる。
リーリエルが魔力を練り上げ始め、馬男が前傾になり、
「ガイゼル、手を貸しなさい」
女の声が静かに響いた。
意思の強さを宿した紅い瞳の女は、仮面を手にしていた。
「オリガ様!? 仮面を!?」
驚く馬男に、女はさらに強く告げる。
「ガイゼル、早くなさい!」
「はっ!」
馬男が一礼し、仮面の女――オリガを抱えた。
いわゆるお姫様抱っこである。
馬男に抱きかかえられながら、オリガはリーリエルを睨みつける。
「ワタクシはオリガ。獣王国第一王女、オリガ。
あなた、名前は何といったかしら?」
「リーリエルだ」
「リーリエル……その名、刻みましたわ。
次に会うときは、絶対にあなたを地に這いつくばらせ、泣かせてさしあげます」
オリガが馬男の腕を引くと、馬男が大きく跳躍した。
着地後も軽快に走り、あっという間にその姿を小さくしていく。
他の仮面の者たちも、馬男達に合わせて退いていった。
「リー君、大丈夫!?」
「……あぁ」
ミーナが走ってきて声をかけるが、リーリエルの目は未だ仮面の者たちの姿を追っていた。
一斉に退いていく彼らの姿は、ほとんど見えなくなっていた。
「滅茶苦茶速い人たちだと思ってたけど、まさか獣人だったなんて。納得の身体能力だよ。
あ、リー君、獣人はわかる?」
「あぁ、俺のいた世界にもいた。
単独で行動することが多く、群れることはなかった」
「うん、そうなんだよ。
獣人って、あんまり集団行動しないイメージなんだけどなぁ」
「この世界の獣人は、皆があのくらいの実力は有しているのか?」
「まさか。あの人たちは、全員がかなりの強者だと思うよ。
でも、一体何が目的だったんだろうね?
戦いはしたけど、結局何もせずに帰って行っちゃたし…………って」
ミーナがリーリエルの左手を見て、むーと唸った。
「……リー君、何か言うことは?」
「奴の攻撃には気づいていた。あの小娘と戦っているときから、幾度も視線を感じていたからな。
完全に防御は間に合っていたが、恐ろしく鋭い蹴りだった。
この身体、頑丈さが取り柄なのだがな」
「あんまり無茶ばっかしちゃダメなんだからね、もう!」
ミーナがガヴリーを呼ぶ。
リーリエルの折れた左腕を見て、ガヴリーは「んげっ!?」と引いていた。
◇ ◇ ◇
仮面の者たちが去り、一行は移動を再開する。
リーリエルの骨折はガヴリーの回復魔法で完治しており、馬車の中で待機していた。
暇を持て余したガヴリーが言う。
「デグレアだっけ?
あの人、この先はもう大丈夫だって言ってたけど、何でわかるんだろ」
「そりゃあ、もう襲ってこないからじゃないか?
少なくともあの連中に関しては」
ガヴリーの問いに、ベルグが答えた。
「あの連中って、さっきの仮面の?」
「そ。馬面……ってか半獣化した馬の獣人がいただろ。
俺らが移動してる方向には、獣王国がある」
「え? なにそれ?
獣人がボクたちを気に入らないから突っかかってきたってこと?」
「そうとも考えられるけど、連中、かなり手を抜いてようだし。
本気の襲撃とは思えないな」
「馬車を奪おうとするわけでもなく、破壊しようともせず。
遠目から弓を射るだけではね」
「うぅん、確かにテキトー感はあったよね。
……え? なんでそんなこと?」
ガヴリーが首を傾げたところで、馬車の中に入ってきた者がいた。
デグレアである。
「毎度のことだ。
かの国に行く際、こうした実戦を望まれることがある」
デグレアが胡坐をかいて座る。
ガヴリーは謎のプレッシャーを感じて、ベルグとイレーヌの陰に隠れた。
ガヴリーがいなくなって、隣になったリーリエルが顔を向ける。
「実戦だと?」
「獣人たちは、こちらの者と戦うことを望んでいた。
獣人は魔法が不得手だからな。
魔法を使用する者と戦える機会は、獣王国では貴重だそうだ」
「魔法って……」
ミーナがリーリエルを見る。
確かにリーリエルは、打撃術を使用していたが、それは身体能力向上の類であり、通常の魔法戦とは異なっている。
「いつもは集団戦だが、今回はあの娘……獣王国の姫だが、あの娘が戦えればよいとのことだった。
もちろんただ戦えばよいというものではない、実戦に即した相応の危険を伴うものだ。
お前が突出したおかげで、結果的にはスムーズにいったな。
あれだけ打ち合えば、あちらも満足したことだろう」
「………」
掌で転がされていたようで、リーリエルの胸中は面白くなかった。
ベルグが呆れて言う。
「チラっと噂に聞いたことはあったが、まさかそんな馬鹿げたことを……って思っていたんだけどよ。
本当にこんなことやっていたとはな」
「まことに馬鹿馬鹿しいが、無視することもできんのが現状だ。
我が国は今、獣王国と揉めるわけにはいかんからな」
「これ以上敵は作れない?」
イレーヌの問いかけに、デグレアは顔をしかめた。
「……敵などいない。今はな」
話は終わりだとばかりに、デグレアは立ち上がった。
「次の街で別動隊と合流する。
お前たちが同行するのは、それまでだ」
◇ ◇ ◇
デグレアの言葉通り、街に到着すると迎えがあり、新しい馬車がひとつ用意されていた。
3番目の馬車から、デグレアに手を引かれて降りてくる者がいる。
それは女だった。
半透明のヴェールで顔を隠しているが、真っ白な髪が肩下まで流れていた。
リーリエルが見ていると、女が顔を向けた。
「………」
顔を向けたのはわずかな時間。
女はデグレアと共に新しい馬車へと乗り換えて、馬車は街中へと移動していった。
「さて、そんじゃあ今日は宿とるか。
ゆっくしてから、のんびり帰るとしようぜ」
「ここは畜産が盛んで、肉料理がおススメだって聞いてるわ」
「ひゃっほー、じゃあ今日は肉パーティで打ち上げだね!
早く行こ、ミーナ!!」
「わわっ、待ってよガヴちゃん!」
4人が歩き出してから、リーリエルは思い出したように後を追った。
(……妙な気配だ。
敵意は感じられないにもかかわらず、まるで心臓をわしづかみにされたようだった)
リーリエルの呼吸は無意識に浅いものとなっている。
気付いたときには、背に冷たい汗をかいていた。
「兄様」
「なんだ?」
「獣人の姫と戦っていた女の人。
あの人の名はなんと言うのですか?」
「……リーリエルだ」
「リーリエル」
「気になるか?」
「いえ、目が合ったので」
「そういえばあの娘、馬車に何が乗っているのかといたく興味を持っていたな」
「そうですか」
白髪の女が息を吐く。
「あの人は……」
(もしかして、私のような…………)




