79-2 悪役令嬢は毒薬を呷る(裏)
【アレックス視点】
二階から窓の外を見ていた俺は、門を開けて入ってくる馬車に見覚えがあった。
――ジュリアンだ!
執事に叱られながら階段の手すりを滑り降り、玄関を走り出て出迎える。従僕が開けるより早く馬車のドアが開き、ジュリアンが転がるように出てきた。
……えっ?
ドサッ。
「いてっ……何すんだよ、ジュリアン!」
髪をふり乱したジュリアンが俺に飛びかかってきた。紫色の瞳が怒りで煌めき、俺は息を呑んだ。
「婚約したことをなぜ言わなかった!」
こんやく?
誰が?
「婚約なんて、大事なことだろう?……それを、親友の私に隠していたのか」
ぽろぽろと涙を零し俺を見る。すごく悔しいんだろう。
「ジュリアン……」
喜怒哀楽の分かりやすい奴だけど、泣くのは殆ど見たことがなかった。
「私は、お前にとってその程度の存在だったんだな。親友だと思っていたのは私だけで」
親友?
ああ、そうか。俺達は親友なんだ。唯一無二の。
俺にとってジュリアンの代わりは他にいない。ジュリアンにしたってそうなんだろう。
「離せ」
俺はジュリアンの肩を掴む手に力を込める。離したら帰ってしまう。
「嫌だ」
「親友でも何でもない奴に触られたくない」
「嫌だ。離さない。……何を誤解してるのか知らないが、俺は婚約なんかしていない」
伯爵家三家から令嬢との縁談が来ていたが、断って欲しいと父上に言ってある。
「本当か?」
濡れた睫毛が揺れ、少し赤くなった宝石のような瞳が瞬く。上気して赤くなった頬に涙の跡がついている。こんなに取り乱すほど、こいつは俺のことを……。こそばゆいような気持ちがして顔が熱くなった。
「父上は、伯爵家に断りを入れたと言っていたからな」
「伯爵?うちじゃないのか?」
「ハーリオン家?そ、そんな話があるのか?」
ハーリオン侯爵家には五人の子供がいる。王太子殿下の婚約者(候補)のマリナは除くとして、誰を?あまり外で見かけない二人だから印象が薄いが、アリッサもエミリーもジュリアンと同じ銀髪に紫の瞳だったように思う。性格は内向的で、ジュリアンとは似ても似つかないが。
「アリッサが、オードファン公爵家のレイモンドと付き合ってるのは知ってるだろ」
「ああ。お前の家に行くたびに、何度も惚気られたからな」
そう言えばうち一人は相手がいたんだったな。
「二人がキスしているのをお父様が見たんだって」
「げ」
気まずいことこの上ないな。俺だってキスしてるのを父上に見られたら……。
ついジュリアンの赤い唇に目が行く。ダメだ、落ち着け、俺。こいつは男だぞ。
「だろ?で、どうやら噂になってるらしくてさ」
「怒ってお前とアリッサの婚約を決めた」
「何だって!?」
レイモンドと本以外に興味がなさそうなアリッサと、俺が?
勘弁してくれ。剣で語り合えないインテリは一緒にいて話題に困る。
「私、や、俺もびっくりしたよ。マリナがお父様に話をつけに行ったけどダメで」
「俺聞いてねーし。……なあ、アリッサは家にいるのか」
俺を連れてハーリオン邸に戻る道中、ジュリアンはずっと黙ったままだった。時々窓の外に目をやっては溜息をつく。憂いを帯びた表情が綺麗で、俺はちらちら盗み見ていた。アリッサがジュリアンと四つ子でそっくりだろうと、これほどドキドキしないだろう。
ドキドキ?いやいや、男にドキドキするのはおかしいだろ。
何なんだ、この動悸は。
◆◆◆
アリッサが部屋から出てこないと聞いて、俺は寧ろありがたいと思った。起きていれば直接話し合って解決策を考えようかと思ったが、ハーリオン家に来たのも半分はジュリアンと過ごすための口実だった。
「今日はダメみたい。折角来てくれたのに悪いね」
無造作に髪を解いたジュリアンは、まるで活発な女の子のようだ。ジュリアンがハーリオン家の嫡男でなく、マリナのような普通の令嬢だったら……俺達は出会うことはなかっただろう。
薄紫色の小瓶に入った薬を見つけた。
「疲れてる時に飲むといいんだよ。あと、激しい運動の前にも」
「じゃあ、剣の練習の前に飲んでみようぜ。また作れるんだろ?」
「うん。半分ずつね」
「えっ……」
小さい瓶はどう見ても直接口をつけなければ飲めない。
「戦いはフェアじゃないとな。ああ、寄越せ、先に飲むから」
俺が先に手をかけた瓶を横から奪い取り、ジュリアンは蓋を開けた。
「ちょっと待て」
「お前が先に全部飲んだらたまらないからな」
瓶の口から薬を呷る。華奢な首に目が行く。喉が上下する。
「……ん、く。ほら、残り半分だ」
これを飲むのか?
ジュリアンの飲みかけを。
付き合いは長いが、俺達は同じティーカップを共有したことはない。使用人が人数分用意してくれるので、他人が口をつけた飲み物を飲むことなどありえない。
ありえない、のだが……。
――飲んで、いいよな?
俺は、ジュリアンが半分飲んだ魔法薬を一気飲みした。薬は殆ど残っていない。
薬に濡れた唇を手でふき取るジュリアンを見て、また変な動悸が俺を苛む。
「……い、行こうぜ、練習」
婚約だの何だの、いろいろあったせいで少しおかしくなっていたのか。
こういう時は練習に限る。
「そうだな」
いつものように笑った幼馴染の顔に安堵して、傍らに置いた練習用の剣を取った。




