79 悪役令嬢は毒薬を呷る
「よし。できた」
にやり。笑みがこぼれた。
ハーリオン侯爵家の地下にあるエミリーの研究室は、地下だというのに魔法球で明るく照らされ、風魔法で換気も完璧である。マシューによる遠見魔法の力を感じなくなり、夜はエミリーにとっては楽しい実験の時間となっていた。
一口に魔法薬と言っても、実質は薬草の知識をベースに魔法のエッセンスを加えたものが主流で、前世で言うところのサプリメントのようなものが多かった。エミリーは、魔法を感知する能力に長けており、市販の魔法薬に何の魔法がかけられているかすぐに分かった。後は薬草さえ揃えれば、自分で魔法薬が作れる。
アリッサとアレックスの婚約の話を聞いて、すぐに実験室に籠り、魔法薬作りに没頭していた。換気用の小さな窓から光が差し込むところを見れば、朝になったのか。予定より作成に手間取ってしまった。完成した魔法薬は無味無臭無色透明の液体だ。薄紫色の小さな瓶に流し込み、しっかりと蓋を閉めた。
パンパンとローブの埃を払い、エミリーは侯爵の自室に向かった。
「お父様は?」
部屋の前を歩いていた従僕に問う。侯爵は明け方に外出したようだ。
「いつお戻りになるの?」
「存じません。国王陛下からの急ぎのお召しと伺っております」
「そう」
すぐにでも薬の効果を確認したいところだが。残念だ。
「お母様は?」
「奥様はマリナ様をお連れになり王妃様のところへ。ジュリア様はヴィルソード侯爵様のお屋敷にお出かけです」
「そう」
家族は出かけてしまったようだ。アリッサは不貞腐れて寝ているし。何だ。つまらない。
昼寝でもしていれば誰か来るだろうか。エミリーは手近な部屋に入り、こぼれないように薬瓶をテーブルに置くと、長椅子に横になり目を閉じた。
◆◆◆
ドサッ。
「いてっ……何すんだよ、ジュリアン!」
ヴィルソード家に馬車が着くなり飛び降り、ジュリアは玄関先で出迎えたアレックスに掴みかかった。弾みで後ろに倒れたアレックスが植栽に突っ込む。
「婚約したことをなぜ言わなかった!」
頭についた葉を払い、アレックスは目を丸くした。ジュリアは続けた。
「婚約なんて、大事なことだろう?……それを、親友の私に隠していたのか」
男のふりをするときは自分を「俺」と言うジュリアだが、気が昂っているので言い回しに気を配れない。
「ジュリアン……」
アレックスはジュリアから目が離せなかった。紫色の瞳から涙が溢れている。
「私は、お前にとってその程度の存在だったんだな。親友だと思っていたのは私だけで」
すぐさま立ち上がり、アレックスはジュリアの両肩を掴む。
「離せ」
「嫌だ」
「親友でも何でもない奴に触られたくない」
「嫌だ。離さない。……何を誤解してるのか知らないが、俺は婚約なんかしていない」
「本当か?」
涙目でアレックスを見上げると彼の頬が赤くなる。
「父上は、伯爵家に断りを入れたと言っていたからな」
「伯爵?うちじゃないのか?」
「ハーリオン家?そ、そんな話があるのか?」
アレックスの声は明らかに動揺している。親同士が決めた、彼の知らない話なのだろうか。
そう思うとジュリアの気持ちに少し余裕が生まれ、指で涙を拭う。
「アリッサが、オードファン公爵家のレイモンドと付き合ってるのは知ってるだろ」
「ああ。お前の家に行くたびに、何度も惚気られたからな」
「二人がキスしているのをお父様が見たんだって」
「げ」
「だろ?で、どうやら噂になってるらしくてさ」
アレックスは貴族の噂話に興味はないし、騎士団長の父も(効率の良い筋トレ法の話以外は)噂に疎い。初めて聞く話だった。
「怒ってお前とアリッサの婚約を決めた」
「何だって!?」
「私、や、俺もびっくりしたよ。マリナがお父様に話をつけに行ったけどダメで」
「俺聞いてねーし。……なあ、アリッサは家にいるのか」
「いるよ。外出禁止だもん」
「直接話して、何とか両方の親を説得する方法を探したい。俺は、婚約なんてしたくない」
想いの籠った目で見つめられ、ジュリアは胸が苦しくなった。巻いている布を締めすぎたのかもしれない。
「……分かった。一緒に家に行こう」
杞憂に気づかれないように笑顔を作れば、アレックスも少し微笑んだ。
◆◆◆
「アリッサはまだ寝てるの?」
「はい。何度か朝のお支度に伺ったのですけれど、ベッドから出たくないと仰せで」
「はあー」
ジュリアは髪を解き、大げさにかきむしった。後ろを振り返り、アレックスに向かって
「今日はダメみたい。折角来てくれたのに悪いね」
と謝った。
「いや、いいんだ。気にすんな、また機会はあるだろ」
「どうだかなあ」
長椅子に座りテーブルの上を見る。薄紫色の小瓶が目に入った。
「これ……」
「薬?」
「ああ、エミリーの魔法薬だよ。ええと……紫の瓶は確か、滋養強壮だったかな。よくお父様に作ってあげてるんだ」
「へえ。効くのか、それ」
「疲れてる時に飲むといいんだよ。あと、激しい運動の前にも」
「じゃあ、剣の練習の前に飲んでみようぜ。また作れるんだろ?」
「うん。半分ずつね」
「えっ……」
アレックスは口ごもった。効果がある薬を一人占めしようとしていたのか。
「戦いはフェアじゃないとな。ああ、寄越せ、先に飲むから」
「ちょっと待て」
「お前が先に全部飲んだらたまらないからな。……ん、く。ほら、残り半分だ」
薬瓶を手渡され、しばらくそれを眺めていたアレックスだったが、一気に呷るとテーブルに瓶を置いた。
「……い、行こうぜ、練習」
「そうだな」
二人は中庭に走り出て行った。




