77 閑話 ハーリオン侯爵の決断
【お父様視点】
アリッサに外出を禁じた翌朝。従僕が携えた分厚い封筒を目にし、私は何事かと訊ねた。
「アリッサお嬢様がお手紙を」
「手紙?」
手紙の域を超えた、まるで本のような厚みがあるそれは、従僕の話では確かに手紙らしかった。一晩中手紙を書き、入りきる封筒がなかったのを手作りしたという。唖然としていると、廊下の向こうから娘達が歩いてくる。
「おはようございます、お父様」
マリナが今日も完璧な令嬢然とした振る舞いで私へ挨拶を述べると、男物の服を着て髪を結わずに垂らしたジュリアが眠そうな目で頭を下げる。半分寝てるな、これは。
「アリッサとエミリーはどうした」
「エミリーはいつも通りよ。夜中まで魔法薬を作っていたの」
侯爵家が何者かに覗かれていると真夜中まで起きている生活だったが、覗きがなくなっても昼夜逆転のままなのか。困ったものだ。
「アリッサは……さっき寝たとこだよ」
「ジュリア!」
アリッサが寝ていなかったのは姉妹の間の秘密事項だったのか。ジュリアはついうっかり漏らしてしまったようだ。
「一晩中手紙を書いていたようだね」
マリナが渋い顔をして斜め下を見る。
「相手は、公爵家のレイモンドか」
「てっ、手紙くらい、出したっていいじゃないか!」
ジュリアが食って掛かってくる。普段ペンを持たないお前が手紙を書いたなら、成長したなと褒めてやるところだが。今回は違う。
「これは、私が預かる」
「お父様!」
驚く従僕から手紙を奪い胸元にしまう。分厚すぎて服装が不恰好になってしまう。失敗したな。
「お前たちも、くれぐれも行き過ぎた交際はしないように。分かったな」
何か言いたげなマリナとジュリアを残し、私は王宮へ向かった。
◆◆◆
王の執務室は城の中央にある。ほど近くに宰相であるオードファン公爵の執務室があり、私が差し掛かると控えていた騎士が礼をする。
「宰相はいるか」
「はい。中に」
「……失礼するぞ」
中に入ると、オードファン公爵フレデリックは手紙に目を通しながら、いくつかの山に振り分けているところだった。
「ああ、今日は早いね。アーネスト」
「お前の方が先に来ていただろうが」
「陳情の手紙が多くてね。……さてと、用向きは?」
フレデリックは手紙を束にすると、椅子から立ち上がり私に歩み寄った。
「図書館の、噂についてだ。聞いていると思うが」
「勿論」
眼鏡をかけた瞳を細め、薄い唇の端を上げて笑う。この男がこういう笑い方をする時は、だいたい碌なことがないのだが。
「……仕組んだのはお前か」
「おや、気づくのが早いね」
「何年付き合っていると思っている。不自然な程噂の拡散が早いからな」
「君がうんと言わないのが悪い。陛下だってアリシア様だって、君のところのアリッサ嬢とうちのレイモンドは似合いだと思っていらっしゃるよ」
「お前の刷り込みだろう」
「そうとも言えるな」
にやり。またフレデリックは意味ありげに笑う。嫌な予感がする。
「あと三・四年もすれば、既成事実を作って結婚に持ち込むこともできる」
「馬鹿を言うな!」
勢いよく胸倉を掴んで威嚇するも、宰相は薄い笑いを浮かべて私を見るだけだ。
「君が二人を引き離さなくても、あと二月もしないうちにレイモンドは王立学院へ入学する。寄宿舎に入っているうちは、アリッサ嬢とも会えなくなるのだぞ。今のうちに恋人と愛を語らいたいと思うのは無理ないだろう?」
冷酷そうなこの男の口から愛だの恋だのと言われて、私は宰相夫妻の仲睦まじさを思い出す。公衆の場でいちゃつきたがるのは親譲りか!
「だとしてもだ。私は二人の婚約を認めていない。娘にも外出を禁じた」
「可哀想に。悪魔のようだな、君は」
「お前も少し、息子に言って聞かせたらどうだ」
「言っているよ。この子だと思ったら、何があっても逃すなってね」
「ハッ。言ってろ。お前が噂をばらまいたところで、逆効果だからな。アリッサは別の男と婚約させる!」
噂を打ち消すには、人々が食いつきそうな別の噂を広めるのが手っ取り早い。アリッサには悪いが、レイモンドとの噂はデマだったと信じさせるには、他の男を婚約者に据えればいいだろう。幸いにも我が家は筆頭侯爵家だ。持参金も破格で、息子の妻に欲しいという貴族はいくらでもいる。
「……本気なのか、アーネスト?」
フレデリックが笑みを消して私を見た。玉座の間で他国の大使と面会する時のような真剣な面持ちだ。
「本気だ。もう、目星はつけてある」
これ以上議論するつもりはない。私は踵を返して部屋を後にした。
家に帰りついてから、今朝手紙を持っていた従僕が、おずおずと私に問うてきた。必ずレイモンドに渡すよう、アリッサに言われていたのだろう。
「旦那様、その、お手紙は……」
その時初めて、私は手紙をなくしてしまったことに気が付いた。




