06 悪役令嬢の密談 3
「ふああ……」
顎が外れそうなほど大きな欠伸をしたエミリーを見て、マリナが呆れた。
「礼儀作法の先生が見たら卒倒するわよ」
「いいの、今は自由時間」
各種習い事の家庭教師がいない時間、エミリーは専ら寝ていることが多くなった。その傍らでマリナはレースを編み、アリッサは読書に励むのだ。ちなみに、ジュリアは父侯爵とヴィルソード邸に外出している。
「今朝も一番遅くまで寝てたでしょ、エミリーちゃん。どうしたの?具合悪い?」
アリッサがエミリーの額に手をやり、平熱だわ、と呟く。
「毎日戦ってるの」
「誰と?」
「分かんない。どこかの魔導士と」
「邸から出たこともないエミリーが、どうして戦うっていうのよ」
「あっちから来るの。呼んでない!」
寝不足でいらいらしたエミリーは、頭を預けていた枕を叩いた。
「一年以上、毎日毎日、家の中を遠見魔法で覗いてやがるのよ!まったくどこの変態野郎なんだか!おかげでこっちは結界防御で体力が保たないっての!」
「エミリー?」
普段おとなしいエミリーが、これだけ怒りを露わにするのだから余程しつこいのだろう。マリナとアリッサは妹が不憫に思うものの、自分達には彼女のような強力な魔力がない。遠見の魔法のような上級魔法に太刀打ちできる力を持つのは、魔力が高い者が多い侯爵家でもエミリーだけだろう。
「手伝ってあげられなくて、ごめんね」
アリッサが寝ているエミリーの髪を撫でると、彼女はふぅと安心したように息を吐く。
「コーノック先生に相談してみたらどうかしら」
「そうよ。私もそれがいいと思うなあ。先生優しいし、かっこいいし……」
胸に手を当て、夢見る乙女のごとく視線を彷徨わせると、眉を吊り上げたマリナの顔に留まり、目が離せなくなった。
「……アリッサ?まさか、あなた、コーノック先生にときめいたりしてないわよね?」
「ち、ち、ちがいマス!一般的な意味で、かっこいいって言っただけで!」
「黒髪黒目のとんでもない魔力を持つ弟がいるって自慢していたわね。先生は間違いなく攻略対象の兄なのよ?」
「うう……」
「相談して先生と仲良くなって、マシューと関係が深まったら嫌だ。一人で何とかする」
攻略対象の一人、ヒロインが入学する王立学院の魔法科教師。黒髪黒目の超級魔導士マシュー・コーノック。貴族ではないが魔法の圧倒的な才能を認められて、学院長に請われて魔法科の教師になったという設定だった。彼女達の家庭教師が言うように、魔力が高い自慢の弟であれば、間違いなく学院に現れるだろう。関係ない赤の他人でいるためには、マシューの兄が家庭教師で侯爵家に来るなんて論外である。
「先生の口から、弟のマシューにエミリーの情報がもれている可能性は高いわ」
「あれだけ毎回、エミリーちゃんを絶賛していればね。自慢の生徒を隠しておくはずないもん」
エミリーは嫌だ嫌だやめてやめてと頭を振る。王都壊滅の魔王エンドを思い出しては、魔王怖い魔王怖いと震えている。
「入学したら、目をつけられるでしょうよ。困ったことね」
「ただでさえ、私達が四つ子だってだけで、目立って仕方ないのに……」
「……え、えええ、遠慮したい。入学したくない」
魔王怖い、魔王怖い、魔王怖い……。エミリーはお経のように唱え始めた。
「学院の方が結界で守られているから、家にいるより覗きもされないと思うわよ」
「入学までエミリーちゃんの精神力が続けばいいけど……」
◆◆◆
それからしばらくして。
昼食を終えた頃、一週間ばかり出かけていたハーリオン侯爵が帰宅した。
昼夜逆転状態のエミリーを除く三人は、玄関ホールで父を出迎えた。
「お父様!おかえりなさい!」
二階から続く階段の手すりを滑り降り、ジュリアが父に抱きつく。侯爵はよろめきながら受け止め、やれやれといった表情で娘の頭を撫でた。
「ただいま、ジュリア」
マリナとアリッサにも声をかける。
「ただいま。長いこと留守にしていて悪かったね。予定より手間取ったものだから」
侯爵夫人は首を横に振り、夫を労う。
「事がことですもの。時間が必要なのはわかりますわ」
「皆、先に部屋へ行ってくれ。私は彼を連れて行くよ」
「彼?」
「彼ってだあれ、お父様」
口々に尋ねる娘達の背を押し、侯爵夫人は部屋へと戻った。
「お前達も知っていると思うが……」
寝起きのエミリーを含む四人の娘と妻に、侯爵は渋い顔で話を始めた。
「我がハーリオン家の領地は、分家に管理を任せているのだが、この度分家の当主夫妻が馬車の事故で亡くなられた。私は本家の当主として葬儀一切を取り仕切るため、領地へ赴いた。領地の管理人だった夫妻には、息子が一人いてな。本来であれば一番近い親戚に養育してもらうのが筋だが、彼の大伯父は高齢で独身。子供の世話は難しいと言われた。そこでだ」
ハーリオン侯爵は五人の目を代わる代わる見た。
「我が家に養子として迎え、育てることに決めた」
「あなた、そんな大事なことを……」
「すまない。当座の領地管理人を探すのに手間取ってね。手紙を書いている暇もなかった」
「お父様、その子は?」
「私達より小さい子なのね。お世話が必要なんですもの」
「おねえちゃんて呼ばれたい」
「……私が呼んであげるわよ」
「まあ、待て。慣れない長旅で彼も疲れている。部屋に案内させたから、着替えたらこちらに来るように言ってある」
「自分で来れるの?」
「結構大きい子なのね」
旦那様、と執事のジョンが声をかけた。部屋のドアが開き、人が入ってくる気配がした。
「おお、来たな」
侯爵は頼もしい笑みを浮かべ、ドアの前へ進み出た。