67 悪役令嬢は兵士を一喝する
「ねえ、マリナちゃん」
ひそひそと姉の耳元に囁く。
「どうして私がマリナちゃんのふりを続けるの?マリナちゃんがやればいいのに」
「アリッサにジュリアの真似はできないでしょう?」
運動能力が格段に違う。アリッサは頷くしかなかった。
「大変だろうけど、もう少しだけ頑張ってちょうだい。地下牢潜入は、あなたにかかってるんだから」
「そうね。分かった、やってみるね」
深呼吸をして胸を張る。すっと視線を落とし、目を見開く。女王然とした空気を身に纏わせる。
「どうかしら?」
「いいわね、アリッサ」
「あら、言葉が女の子みたいになっているわよ、ジュリアン?」
扇子を口に当ててにっこり。
「あー、わかったよ。やりゃあいいんだろ、こんな風に」
男言葉でジュリアンになりきったマリナは、大股で廊下を走り、腰に手を当てて三人を振り返った。
「さっさと行こうぜ!置いてくぞ」
地下牢への入口には兵士が立っていた。
「用のない者は入れてはならぬと言われております。お引き取りを」
「用がない?……わたくし、ここに収監されている魔導士に用がございましてよ?」
アリッサの過剰なお姫様ぶりにマリナが小さく吹き出す。エミリーは細かく震えている。
「ご用、とは?」
「此度の爆発では、偶然魔導士と一緒に倉庫にいた我が妹が、関与を疑われているのです。巻き込まれただけなのに部屋に閉じ込められ、泣いておりましたわ。ああ、可哀想なエミリー。わたくし、魔導士に一言言ってやらないと気が済まないんですの。そこをお退きになって」
「や、しかし……」
「退きなさい!」
アメジストの瞳が冷たく輝く。
「ヒッ……」
「セドリック殿下の婚約者で、未来の王妃であるわたくしの、言うことが聞けないのね」
「も、申し訳ございません!」
ひれ伏した兵士を横目に、三人は地下への階段を下りて行く。簡単には戻れないように、細く長い階段になっている。
「さっきのでよかったかなあ?」
「いい、いいよ、うん」
マリナが笑いを堪えられないでいる。
「大根役者」
エミリーがにやりと笑う。
「アリッサもやればできるんだな。あれくらいの迫力があれば……」
「迫力があれば、何かしら?」
「いや。こっちの話だ」
窺い見たマリナから視線を逸らし、レイモンドは続く階段を見た。
「長いな」
「マシューが怪我をしていたら、ここを上がれない」
エミリーが残念そうに息を吐いた。どんな様子か想像もできない。自分は治癒魔法を使えない。瀕死でも助けてやれない。
「出る手段は別に考えましょう。エミリーの手が自由になれば、転移魔法で帰れるでしょう」
「皆簡単に考えてるようだが、俺達はマシューを脱獄させるんだよな?」
「そう」
「それはここに閉じ込めておけという、王の御判断を無視することになるが」
「だから?」
立ち止まったエミリーが、レイモンドの腕を引いた。手錠を隠すために組んでいた腕が解かれる。
「……弁解もできず、死ぬまでここに入っていろと?」
「死ぬまでとは言ってない。王宮で爆発事件なんてそうそうないだろうから、どういう処分を下すべきか、陛下も迷われているんじゃないか」
「処分はすでに出ているわ。箱を持っている宰相閣下にお会いしたのよ。全属性の魔法を抑える腕輪を入れていたって」
「マシューは何も魔法が使えなくなっちゃったの?」
「腕輪をつけられて牢屋の中、か」
「恩赦がなければ出られない」
魔王への道をまっしぐらだ、とエミリーは思った。レイモンドがいるため、姉達と乙女ゲーム云々の話はできない。魔力を吸収する魔導具で封じられて、牢に入れられたマシューはヒロインへの想いを爆発させ、魔導具のみならず街を破壊する。
アメジストの瞳に影が落ちる。
――不毛な議論をしている暇はない。
ドン!
「う、おい!」
レイモンドを突き飛ばし、エミリーは牢へ続く階段を駆け下りて行った。
◆◆◆
アレックスがいなくなった後、ジュリアはドレスを着ようと奮闘していた。
着なれないドレス、しかも一人で着なければならない。
「脱ぐときはどうにかなったんだけどなあ」
背中のボタンは、自分で外せないところは二つくらい引きちぎってしまった。残ったボタンは留めたものの、背中が不恰好に見えてしまう。
「こんな後姿じゃマリナのふりはできないし……あ、そうだ」
黒い上着を手に取る。背中を向けて寒さに震えたジュリアに、アレックスがかけてくれたものだ。
「これを羽織れば背中は見えないから……完璧だな」
先刻の奇妙に優しいアレックスの言葉を思い出し、ジュリアは小さく吹き出した。
車寄せまでマリナのふりをしながら堂々と行くだけだ。楽勝だ、と思っていたのだが。
「……令嬢ってどうやんの?」
大股でスタスタ歩きながら、ジュリアは困惑していた。礼儀作法の授業で言われたことはさっぱり覚えていない。もう少し真面目にやっておけばよかったと後悔する。
「知ってる人に会わなきゃ大丈夫だよね」
マリナのように薄く化粧をしていないので、扇子で口元を隠して誤魔化しているが、立ち居振る舞いだけはどうにもならない。
長い廊下を抜ければ、あと少しで車寄せだ!と意気込んだのも束の間、向こうから知っている顔が来るではないか。
「おや、マリナ嬢、一人なのかな」
オードファン宰相は親しみのもてる笑みを向けてきた。
「……は、はい」
なんでここにいるんだ!陛下のところに行ったんじゃなかったの?
「王宮から退出される前に、セドリック様にご挨拶しなくていいのかい」
「え、ええ。急いでおりますの」
ちらりと扇子から視線を上げれば、宰相の目がキラリと光った気がする。
――ヒィー。絶対不審に思われてるよ!
「……そうか。一人で帰っていいのかな。妹さんは……」
ギクリ。
「いいんです、ジュリアはアレックスと帰るそうですから!」
「そうか。ジュリア嬢はアレックス君と仲がいいね」
「申し訳ございません、閣下。私、急いで……」
「引き留めてすまなかったね。気をつけて帰りなさい」
「ありがとうございます。では、失礼いたします」
慣れないカーテシーを一瞬だけして、ジュリアは急ぎ足で車寄せに向かった。
≪王太子妃候補のマリナ嬢≫がアレックスの上着を着ていたのは何故か、残された宰相が首をひねっていることに気づかずに。




