64 悪役令嬢は擬態する
エミリーが閉じ込められた客用寝室は、王宮の二階にあった。窓の外を見る限りでは、一階はそれほど天井が高い部屋ではないらしく、地面からの高さも……。
「高い」
エミリーは眉間に皺を寄せた。
マシューを助けに行く方法はすぐに思いついた。
乙女ゲーム『永遠に枯れない薔薇を君に』では、ヒロインが王太子妃に決定した後、ヒロインと恋仲であったマシューは王宮の地下牢に幽閉されていた。手首を鎖で壁に繋がれ、魔力を吸収される特別な牢だった。牢が彼の魔力を吸収しきれず崩壊し、半狂乱でヒロインを探したマシューは王都を破壊しつくすのである。
――まずい。非常にまずい。
マシューが探すヒロインはまだ現れていないが、地下牢がマシューの魔力を吸収しきれない可能性は大いにある。幽閉するのを一刻も早く止めさせないと、今度は地下から爆発が起きる。ゲームの結末を細かく知っているのは姉妹の中でも自分だけだ。暴走する彼を止められるのも、恐らくは……。
「ここから、出る!」
……と意気込んだものの、唯一の脱出口である窓は、想像以上に高かった。
「この高さで二階って、マジ?」
つい、唇の片側だけを上げて笑ってしまった。というか、笑うしかないレベルだ。
こういう時は、カーテンやシーツを切ってロープにして降りる、なんてのが定番だと思う。しかし、カーテンは高い天井から吊るされていて、ちょっとやそっとじゃ取れそうにないし、客用寝室のベッドは使う時にベッドメイクするのか寝具がない。
「困った……」
こんな高さ、風魔法で簡単に降りられるのに。
◆◆◆
「殿下の部屋に忘れ物をしたんだ」
王太子の部屋には誰もいなかった。ドアを出て呼び止められたレイモンドは、平然とした顔で兵士に言う。王太子セドリックの側近候補(ほぼ決定)である彼は、私室に呼ばれることも多かったため、警備の兵士とも顔なじみのようだった。
「あの、レイモンド様」
兵士はおずおずと彼に尋ねる。深緑色の瞳が鋭く兵士を見る。
「何かな」
「マリナ様も、何かお忘れになったのですか?殿下やアレックス様と一緒に部屋をお出になられたとばかり思っておりました」
――この人、私とマリナちゃんを間違えてるんだわ!
「彼女は……」
人違いだと説明しかけたレイモンドの袖をきゅっと引くと、眉を顰めて振り返る。
「何だ」
「よろしいんですのよ、レイモンド様」
アリッサは胸を張り、わざと鷹揚な態度を取った。嫌味な貴族に会った時に、マリナが取る常套手段だった。
「私は殿下に頼まれて忘れ物を取りに参りましたの。陛下とお話があるから、私に代わりに取りに行ってほしいと……それで」
にっこり、優雅な微笑っと。
「先に我が妹のところへ参るようにとおっしゃられたのですけれど、私、殿下のお部屋以外は存じませんの……」
さも残念そうに視線を落とす。そして、ちらりと兵士の目を見る。見た目十五、六歳の少年兵士は、美少女に見つめられて頬を染めた。
「連れて行っていただけませんこと?……ね、お願い、ですわ」
意味ありげに上目使いで見つめ、くすっと笑う。兵士は真っ赤になって口をパクパクさせた。
「ご、ご案内いた、たします。さ、どどう、ぞ、こちらに……」
――やった。釣れた!
先に立って歩く兵士の後ろで、レイモンドが苛立ちながらアリッサを見た。
廊下の角を兵士が曲がった途端、アリッサは壁に押し付けられ、深く口づけられたのだった。
◆◆◆
オードファン公爵が抱えていた箱を開けたセドリックは、驚きのあまり間抜けな声を上げた。
「……空っぽ?」
「はい。中身は使っておりますのでね。そうですなあ、あと数年は箱から出したままかと」
「何の箱だったんだ?母上のネックレスか何かだと思ったんだが」
「いえ、これは魔道具の箱でございます」
「国宝の魔導具って何でござるか」
アレックスが忍者のように尋ねた。マリナは額に手を当て俯く。
「強力な魔導具を欲しがる国は多いものです。これには全属性の魔法を封じ込める腕輪が入っておりました」
――マシューだ!
マリナとジュリアが目を見合わせて頷く。
「腕輪って、外してしまったら終わりじゃないか。ねえ、マリナ」
大抵自分で外せないようになっているのに、何を言っているのかこの王太子は。
「ご心配には及びませんよ。私しか、解除できる暗証番号を知りませんので」
宰相は王太子に礼をする。心なしか急いでいるところを見れば、マシューに腕輪をはめたと王へ報告に行くようだ。
「あんなものがあったなんて……」
宰相の姿が見えなくなってから、マリナが溜息をついた。
「少なくとも何年かは魔法を使えないみたいだね。魔導士から魔法を取り上げるなんて、父上が決めたことでも、酷いよ。あんまりだ」
「騎士から剣を取り上げるようなものだよね」
「何だよ、許せねーよ」
「アレックスに許してもらおうなんて、陛下も思ってないんじゃない?」
「そうね」
「僕もそう思う」
「酷え、皆して……」
アレックスはしょげている。マシューに魔法で助けられて以来、彼の中で「魔法ってすげえかっこいいよな」ブームが訪れており、いつか魔法剣が使えるようになりたいとさえ言っていた。
「下された処分を見る限り、マシューは閉じ込められていると見て間違いないわ。魔法が発動しないように作られた部屋にね。……本当に国王陛下とお話しされるおつもりなのですか、セドリック様」
マリナは王太子の覚悟を再確認した。
「当たり前だ!僕は、マリナに頼られる男になるよ」
力強く頷くセドリックは、マリナの手を放そうとしなかった。
手汗がすごい。
「無理をなさらなくてもよろしいのですよ、殿下。私達で何とかいたしますから」
「でも……」
「マリナと二人でエミリーを連れて帰るよ。マシューのことはさ、うちのお父様が戻ってきたら相談する。それでいいよね、マリナ」
「ええ」
ジュリアには何か考えがあるのだとマリナは思った。とりあえず乗ってみるしかないわ。
「アレックスはセドリック様についててよ」
俺も行きたいとごねるアレックスをセドリックに押し付けて、ジュリアはマリナの手を取り歩き出した。
「ねえ、ジュリア」
「うん?」
「あなたの作戦を教えて」
「名付けて……ノープラン?」
「何ですって?お父様に相談するのも嘘なの?」
「決めてないよ。まずはエミリーを見つけなきゃ。アリッサはいないけど、三人で考えればきっといい案が浮かぶって」
二歩先を歩くジュリアが振り返る。
「困ったときは、いつもそうしてきたじゃない?」
マリナは「そうね」と苦笑して妹の肩を叩いた。




