05-2 悪役令嬢はドラゴンを狩る(裏)
王都の町はずれ。背後に森を、手前に小さい橋を渡した小川を持つその家は、どこか陰鬱とした気を放っていた。日が当たらない北側の窓を、手紙を携えた小鳥が叩いたのは、コーノックがハーリオン家での授業を終えて、王宮の魔導士宿舎に帰った日の夜遅くだった。
「……」
小鳥の様子を訝しげに見て、室内を魔法で出した光の球で照らし、少年はベッドから這い出ると、窓を開けて小鳥の嘴から手紙をひったくる。チチッと鳴いて小鳥は闇へ消えていく。黒い睫毛に縁どられた黒い瞳が白い鳥を追う。
「……ああ、兄さんか」
手紙と小鳥から感じる魔力の波動から差出人を特定すると、鬱陶しい長い黒髪をかき上げ、インクでしたためられた文字に目を走らせる。風魔法で伝令すれば早いのに。
◆◆◆
親愛なるマシューへ
やあ、元気かい?
青白い顔で魔法球を弄ぶお前の顔が目に浮かぶよ。
たまには外で遊んでみたらどうだい?
僕は王宮でうまくやっているよ。だから、心配しないように。
魔導士達は根暗ないい人ばかりだし、団長はおじいちゃんだから、時々手が震えて魔法が僕らに当たりそうになるけれど、それはそれで戦闘訓練みたいで面白いよ。
マシューも王立学院を卒業したら、宮廷魔導士になってはどうだい?
団長の知り合い(と言っても国王陛下なんだけど)のお友達が娘の家庭教師を探していると聞いて、やってみないかと僕に話が来たんだ。
魔導士として王宮に出入りしているとはいえ、うちは貴族じゃないし、ご令嬢の相手をするのは緊張する。本当はお断りしようかと思っていたところ、ハーリオン侯爵本人が直々に僕に頼みに来たんだ。どんな家庭教師も追い返してしまう娘だが、何とかして魔法を学ばせてやりたいんだそうで。魔力の高いお前に見合う先生を探そうと、父さんと母さんが方々を駆けずり回っていたのを思い出して、どこの親も同じだなと思ったよ。
今日のメインはここからだ、マシュー。
僕は心から驚き、喜んでいるんだ。
彼女は素晴らしい!エミリーは最高だ!
ハーリオン家の令嬢は四人いて、そのうち一人は魔法より剣が好きだとかで、三人に魔法を教えることになった。今日は練習の初日で、魔法の実力を見るべく三人に課題を出してやらせてみた。ところが、竜だよ!竜!
本物の竜が落ちてきたんだ!竜なんて見るのは久しぶりだから、僕も目を疑ったよ。
鱗は赤だったから火竜だと思う。撃たれて翼を怪我して落ちてきたんだ。
ああ、ごめん。興奮しすぎた。
つまり、令嬢の一人・エミリー嬢は、風魔法で竜巻を出し、上空にいた竜を撃ってしまったんだよ。すごいよね。まだたった八歳なんだよ。無詠唱で花も咲かせるし、他にもいろいろできるって聞いた。
大人になったら、お前のいいライバルになるんじゃないか?
僕は今から楽しみで仕方ないよ。
明日は西の森へ魔物討伐に出る。ゴブリン程度しかいないはずだ。すぐ戻れると思う。
早く戻れたら、家に顔を出そうと思ってる。特製キッシュが食べたいなって母さんに言っておいて。
兄より
◆◆◆
マシューの兄は王宮に勤めている。魔導士達は王都周辺の森から魔物が侵入してこないよう駆除に忙しく、貴族の令嬢の家庭教師をしている暇なんてないはずだ。王の友達だか何だか知らないが、権力を笠に着て無理を強いているに違いない。
令嬢が少しくらい……いや、竜を撃ち落としたのだから少しではないが、魔力が高くて教え甲斐があるとは言っても、子供の相手は疲れるものだ。能天気なところがある兄も、すぐに音を上げて辞めたいと言うだろう。侯爵の期待に沿えなかったら、宮廷魔導士として出世も見込めない。これは、罠だ。兄を貶めるための。
「ハーリオン侯爵、か」
遠見の魔法で侯爵家の様子を探り、兄が家庭教師をしている時間だけでも、監視することができればいいのだ。兄に不都合が生じるような事態になったら、直接乗り込んでやる。大人でも難しい転移魔法さえ、この十五歳の少年には容易い。
「ライバル?……フン、バカにするな」
整った顔を怒りに歪めると、髪の毛で隠れていたもう一方の瞳が赤く発光し、握り潰した手紙が手のひらの上で炎に包まれる。跡形もなく消滅した。
右手を上げて開いていた手を握り、手首をくるりと一回転させる。室内を照らしていた光の球が消え、代わりにぼんやりと風景が浮かぶ。
「……ここだな」
石造りの柵を回らせ、美しい庭園を備えた豪邸が、マシューの眼前に描かれる。風魔法と光魔法の合わせ技により発動する遠見の魔法である。
「暗くてよく見えないが……ああ、ここから感じる」
マシューはハーリオン侯爵邸の上空から全体を俯瞰している。ここから魔力の気配を感じとり、兄が言っていた令嬢が本当に実力者なのか調べてやろうと思っていた。建物の二階、大きな窓がある部屋に、特に強い魔力を持つ者の気配がする。窓が閉められておりこれ以上部屋の中には入りこめないが、ベッドが四つある。可愛らしい調度品を見るに、どうやらここが令嬢の部屋のようだ。
ふと、一番奥のベッドに目をやれば、寝具がもぞもぞと動き、子供が起き上がった。手を上げて光の球を作り、窓へ近づいてくる。
「気づいたか……?」
銀色の髪で肩が隠れて大きく呼吸するたびに上下するのが見て取れる。視線は窓の外の何かに向けられている。八歳の子供、それも貴族令嬢なら、不穏な気配を感じれば叫び声の一つでも上げそうなものなのに。
令嬢がこちらを見上げると、マシューは視線が合ったような気がした。実際には魔法を通して見ているだけで、視線が合うことはない。アメジストの瞳が魔法の光球に照らされ赤紫色に輝くと、少女は歯を食いしばって両腕を前に突き出し、肘を曲げて左右に強く振った。結界が張られたのだ。
「うっ!」
ドサッ
途端に目の前の風景が消え、マシューは衝撃を受けて床に倒れた。
「俺の……遠見魔法が、弾かれた?」
信じられないものでも見たように目を丸くして顔を手で覆うと、目を細めて小さく笑った。
少女が放った魔法の余韻が、身体をじわじわと痺れさせている。この痺れは決して不快ではない。甘く蕩けるようで、それでいて脳天から抜けるように爽やかな何かだ。マシューは何度も練習で魔法を受けているが、これほど自分を虜にした波動には出会ったことがなかった。自然と身体が熱くなる。
これが大人達が言っていた、魔力の相性というやつなのだろうか。持っている魔力の属性が同じで、魔力の強さが近いほど、魔法を受けたときのダメージを心地よく感じるという。
――もっと、感じたい。彼女の魔法を味わいたい。
自然に心が渇望する。床に倒れたまま、マシューはローブの胸元を握りしめて荒い呼吸を繰り返した。日焼けしていない青白い顔を紅潮させ、影のある瞳を潤ませながら。