60 悪役令嬢は般若になる
「お前と一緒にいれば、瘴気も痛くないだろうからな」
王宮の倉庫に着くなり、マシューはエミリーを抱き寄せた。
「触らないで」
「お前も、生ごみのにおいを感じるんだろう?」
「そう。強烈な生ごみのにおいね」
「俺は針で刺されている感じはしないが……」
「そう」
冷静を装いそっけなく答える。家を覗かれなくなったと思ったら、スキンシップが激しすぎて心臓がもたない。魔力が気持ちいいって何?
「……気持ちいい……はあ……」
――あれ?
「全身を絹やサテンやビロードが滑るようだ」
魔力だだ漏れなんだけど。
「お役に立ったようで何より」
美形の無口キャラがだらしなく口を開いて、はあはあと肩で息をしている。
鼻血を止める鼻栓でもしていたら、まさにアブない奴にしか見えない。
「はあ、はあ……俺の……はどうだ?気持ちいいか?においを消せるか」
「混ざって変なにおい」
マシューの瞳が曇る。
「……になるかと思ったけど、大丈夫みたい」
「そうか」
ゲームでは渋かっこいい印象の無表情キャラなのに、こんなに嬉しそうな顔をするなんて。
「イメージ詐欺……」
ちらりと横目で見る。根暗で嫉妬深い男だったと思ったが、誰だこの好青年は。
……訂正。好青年じゃなく変態青年だった。
危うく醸し出す雰囲気に騙されるところだったわ。魔王、そうよ、こいつは魔王なんだから。
「向こうか。……強いな」
エミリーの肩に手をかけて離れないようにしながら、マシューは光魔法で辺りを照らす。
「ああ、魔導具に石が当たったらしいな」
ぎくり。蹴って当てたのはエミリーだが。
「何でこんなところに石が……ん?」
手で拾い上げる。途端にマシューの顔色が変わった。
「これは……!」
突き飛ばしてエミリーを遠ざけ、あらん限りの声で叫ぶ。
「エミリー!俺の周りに結界を張れ!!」
即座に強い結界がマシューを取り囲む。衝撃が結界の内を荒れ狂う。髪の毛が舞い上がり赤い瞳が苦しげに歪む。
――一人でカッコつけるんじゃないわよ。
「私がいないとチクチクするんでしょ」
唇を引き結び、エミリーは結界に飛び込んだ。
◆◆◆
廊下でマリナのリボンを見つけたジュリアは、すぐ傍の客用寝室の扉が開いているのに気がついた。これまで歩いてきた廊下には開いている部屋はなく、鍵がかかっていたようだったのに。
――怪しい!
ブーツの靴音も高らかに、突進して一気にドアを押す。
真っ暗な空間に白いものが見えた。光魔法が使えず辺りを照らせないが、白い物を目当てにジュリアはそこへたどり着いた。
「マリナ!」
青いドレスのマリナが仰向けに倒れていた。
白いものだと思ったのは、スカートが捲れ上がり露わになったマリナの脚と……。
「起きて、マリナ!起きてよ!パンツ丸見えだってば!!」
首の下に腕を入れて抱きかかえ、ジュリアは姉の名前を呼んだ。
へそまで隠れる手作りの前世風下着、すなわち白いパンツをスカートで隠そうとするが、ドレスが破れて深いスリットになっており、隠しきれない。
「マリナ!パンツ見えてるよおおおおお!!!!」
腹筋に力を入れて絶叫した。
「……るさい……」
「マリナ!気が付い……」
「パンツ丸見えとか言うなぁあああ!」
ジュリアの腕の中には、たった今、目覚めたばかりの般若がいた。
バン!
大きく開いたドアから廊下の光が差し込み、暗い部屋が少し明るくなった。
「ジュリアン!」
「マリナ!」
二人を探していたらしい。
「アレックス……よくここが」
ジュリアが親友に問いかけるよりも早く、セドリックがマリナに駆け寄る。
「マリナ、その……、パンツ丸見えって聞こえたんだけど……」
頬を少し赤らめ、もじもじと、仄かに期待を滲ませた瞳でこちらを見る。マリナは心の中で悪態をつき妹を睨み付けると、ジュリアは空っとぼけて天井を見た。
「いででで」
マリナはジュリアの長い丈の赤い上着を無理やり脱がせ、膝にかけて脚を隠した。
「一体何のことでしょう?空耳ではありませんの、殿下?」
渾身の令嬢スマイルでにっこり笑ったマリナの前に、セドリックは何も言えない。
「う、うん……僕の聞き間違いだよね、きっと」
立ち上がろうとすると、床に叩きつけられた背中が痛む。マリナはジュリアの肩を借りる。
「ありがとう。それから、ごめん」
「マリナ……ううん。私も言いすぎた」
小声で会話し、目を見合わせて笑った時だった。
ズオオオオオオオン!
「何!?」
凄まじい衝撃が響いてくる。
「敵襲か?」
「地震?」
四人は一か所に集まって身体を寄せた。
「怖がらなくていいよ、マリナ。僕がついてる」
――って、どこ触ってんのよ!
マリナはにっこりと礼を言うと、王太子の手をつねる。
「……向こうから聞こえたね」
「さっき俺達がいた倉庫じゃないか?」
「コーノック先生が鎧を片づけているはずよ」
「先生が危ない!助けなきゃ!」
マリナをセドリックに押し付けて、ジュリアは鉄砲玉のように部屋を飛び出していく。後からアレックスが追う。
「背中が痛いんでしょう?二人が戻ってくるまで、僕が撫でてあげるよ。こう見えても回復魔法は得意なんだよ」
肩甲骨を撫でまわす手が、ドレスの襟元から下に入って行こうとする。
――だーかーら!余計なとこ触るなっての!
青筋を立てたマリナがギロリと睨み付けると、セドリックははっとして頬を染めた。
◆◆◆
ジュリアとアレックスが倉庫のある辺りへ行くと、人だかりができていた。どこの世界でも野次馬はいるようだ。子供の二人には、何が起きているのかさっぱり見えない。
「ジュリアン」
「見えないなー、どう、そっちは?」
「ジュリアン!」
「何だよ」
「肩車してやっから乗れ」
何言ってるんだ、この年齢になって恥ずかしい。
「いらない。ほら、隙間から見えるよ」
ジュリアが大人の脇の下をくぐった時、兵士が黒いローブの二人を連行していくのが見えた。あれは……。
「エミリー!」
呼びかけに気づいたアメジストの瞳がこちらを見る。
ポーカーフェイスがほんの少し笑った。




