59-2 悪役令嬢と魔性の囁き(裏)
「コーノック先生!大変です、生徒が怪我を」
同僚の魔法科教師が俺の私室のドアを叩く。
「……何があった」
「練習場で魔法の練習をしていたところ、暴走してしまったと……」
魔法科の練習場は、魔力操作が下手な生徒を守るため、威力を六割程度に抑える効果が付与されている。酷い怪我にはならないはずだ。
「怪我の程度は」
「擦り傷は大したことはないのですが、跳ね飛ばされた時に頭を打ったようで」
「そうか」
打ち所が悪ければ、魔法では回復できない可能性もある。
「六属性の魔法が使える先生なら、状態を見て回復させられるのではと」
「……分かった」
俺は頭の中に練習場の風景を浮かべ、転移魔法を発動させた。
練習場の真ん中に人だかりができている。
女子生徒が話す声が聞こえ、倒れた友人を励ましているようだ。
「どけ」
「あ!コーノック先生!」
「先生、助けてください。メイジー、しっかりして、先生がきっと治してくださるわ」
メイジーと呼ばれた生徒が、長い茶色の髪を綺麗に床に流して倒れている。ローブの縁が緑色……魔法科の二年か。凡庸な生徒なのか俺の記憶にはないが。
「私が風魔法を出す方向を間違ってしまって、丁度そこにメイジーが歩いてきたんです」
「事故か」
丁度歩いてきた割には、練習場の真ん中に倒れているが。
「頭を打ったようで、動かすとよくないから寝せておいたんです」
「倒れたままか」
「はい」
倒れたままにしては、髪も服の裾も乱れていない。
――いつもの狂言か。
一通り話を聞いたふりをし、メイジーの頭の傍に膝をつく。顔を覗き込めば、足元からぬるぬると絡みつくような魔力の気配が俺を襲う。何か期待をされているようだが、応えてやる気は毛頭ない。
「気を失っているだけだ。手当ては必要ない」
意識はあるようだ。
「でもぉ、先生、メイジーの頭に当たったんですよ?」
「その割に元気そうだ。……帰る」
転移魔法で職員寮の自室へ戻る。
雨に濡れて身体に貼りつく服のようだ。気持ちが悪い。学院に残っても、学生でいた頃と何ら変わりない。俺の魔力が将来金になると思っている女達が、蠅のように纏わりついてくるのだ。
不快感を少しでも和らげようと、ベッドに寝転がり顔の上に腕を乗せて目を閉じた。
◆◆◆
何分も経たない頃だったと思う。
ドサッ。
「……うっ」
何かが俺の隣に突如現れ、小さく叫んだかと思うと荒い息をしている。
「ん……何だ……」
腕を下ろして物音がする方を見る。目が明るさに慣れると、銀色の髪が目に入った。
「……エミリー?」
よく見ようと髪をかき上げて両目で確認するが、顔を逸らされ確信が持てない。夢だろうか。彼女の魔力を浴びたいという俺の願望が、あり得ない白昼夢を見せているのか。身体を寄せる。極上の魔力の感触が俺を満たす。
――ああ、夢じゃない。
喜びに我を忘れてエミリーを抱きしめた。転移魔法を封じ込め、身を捩る彼女の首筋に唇を寄せる。
「放して」
「嫌だ……ん……放したくない」
動揺する度に溢れる彼女の魔力が肌をくすぐる。気持ちよさが全身を駆け抜ける。
「ああ……」
甘い溜息が漏れ、俺はどうにかなってしまいそうだった。
◆◆◆
王宮の倉庫に瘴気を放つ何かがあるとエミリーは言う。俺ならばそれをどうにかできると、やれるものならやってみろと。無表情な彼女の瞳に、挑戦的な光が宿る。
――面白い。やってやろうじゃないか。
瘴気、つまり禍々しい魔力は、エミリーには生ごみのにおいに感じられるらしい。俺は魔力を触感で感じ取るが、彼女には匂いになるようだ。俺の魔力はどんな匂いかと訊ねれば、
「あなたの匂いは、シトラスミントの香り」
と答えていた。何だ、それは。とりあえず吐きそうなにおいではないと聞いて安堵する。エミリーに気持ち悪いと言われたら立ち直れない気がする。……何でだ?
。
「お前と一緒にいれば、瘴気も痛くないだろうからな」
倉庫へ転移すると、警戒しているエミリーを抱き寄せる。こうしていれば彼女は瘴気に負けないだろうし、俺も気持ちがいい。
「触らないで」
無表情で視線を向けられる。アメジストの瞳の奥に不安が見え隠れしている。人並外れた魔力を持っていても、所詮十二歳の子供なのだ。正体不明の魔力に怯えないわけがない。抱きしめる腕に力を入れる。
「……気持ちいい……はあ……全身を絹やサテンやビロードが滑るようだ」
少しだけ冷えた魔力が俺の肌を優しく撫でていき、顔も、首筋も、腕も、脚も、胸も……全身が震え瞳が潤む。どうしてしまったんだ、俺は。エミリーに会うとおかしくなってしまう。
そうだ、瘴気の正体をつきとめるんだった。
「向こうか。……強いな」
光魔法で辺りを確認する。ついでに魔力を発している物が分かるよう、探索の魔法を付加する。隅に置かれた壺が光って見える。
――あれか。
近くに落ちている石が当たり、互いの魔力で何らかの反応を起こし、瘴気が発生したようだ。術者の魔力の相性が良くないのもあるのかもしれない。
「何でこんなところに石が……ん?」
ぞわぞわと全身の毛が逆立つ。石ではなく、魔法石だった。それも、超級の。
「これは……!」
触れた者の魔力に応じて爆発を生じさせる仕掛けだ。戦闘時に魔導士を仕留めるための罠だった。爆発によって魔導士の命を奪うまで、手から離れないのだろう。
俺の魔力が爆発を起こせば、頑丈な造りの王宮でも一溜りもない。危険だ。
「エミリー!俺の周りに結界を張れ!!」
瞬時に張られた結界の中、俺は魔力を抑え込むのに必死だった。
エミリーは無事だろうか。爆風で前が見えない。彼女と離れたせいで、全身を針で刺されるような痛みが襲う。
ドン!
視界に銀の波が広がる。細い腕が俺の首に回される。
「……!」
ベルベッドの肌触りに包まれ、震えた俺の手から魔法石が落ちた。




