57 悪役令嬢と道先案内人
考え事をしながら歩いていたせいか、気づくとマリナは知らない廊下を歩いていた。
「……ここ、来たことない、どうしよう」
回廊は基本的に似たような仕様になっており、ぱっと見ただけでここがどこか判断がつかない。さらに、片側は似たような形のドアが連続しており、ホテルの客室階の廊下のようだった。
「お客様用のフロアかしら……はあ。私が迷ってどうするのよ。アリッサじゃあるまいし」
王太子に呼ばれて何度も来たことがある城内でも、壁の絵や置いてある美術品を入れ替えて模様替えすると全く別の空間に見える。兵士を掴まえて尋ねたが、田舎から出てきたばかりだとか自分も方向音痴だとかで、使い物にならなかった。巡回警備している兵士の質を向上させるよう、セドリックに話してみようと思った。
歩き疲れて廊下の片隅に膝を抱えて座り込む。ベテランの兵士が通ったら王太子殿下の部屋に連れて行ってもらおう。
「迷子?」
数分後、マリナは声をかけられた。
二十代半ばに見える青年が、彼女の前に屈みこんで様子を窺っていた。肩にかかる金髪は緩く波打ち、少したれ目の茶色い瞳は女性を蕩けさせそうに妖艶だ。全体的に整った女顔は、ゲームの世界と言えども主役級の美しさだった。
――美青年現る?まさかの隠しキャラ?
貴族名鑑を暗記しているマリナだったが、暗記したのは自分と同世代の子供だけである。十歳以上歳の離れた攻略対象がいても不思議はないのだと改めて思う。もっと言えば、ゲーム開始時に素敵なナイスミドルになっている貴族も侮れない。枯れ専のための攻略キャラ需要もあるだろう。
――ああ、私また変なフラグ拾っちゃったんだわ。
「考え事をして歩いていたら迷ってしまいました」
「どこか行きたいところがあるの?」
「王太子殿下のお部屋に……」
一瞬表情が強張ったように見えたが気のせいだろうか。
青年は目を細めて笑った。おい、そこ、笑うところなの?
如何せん顔が綺麗すぎて、何考えてるか全然分からない。余計に怖いよ。
侯爵令嬢の意地で涙は見せるまい。泣いたら付け込まれそうだ。
「殿下のお部屋に行くの?それとも、家へ帰りたいの?」
「いろいろあって、殿下に退出の挨拶を申し上げないで出てきてしまったんです。一度戻らないと……」
「銀の髪、紫の瞳……か」
「え?」
「綺麗だね……君は何歳なのかな」
「十二歳、ですけど」
そうか、と青年はマリナを見た。というか、見すぎ?
「そろそろかな」
何がそろそろなんデスカ!?
顔から肩、腕、胸、引き絞ったドレスのウエストライン、あまり丈の長くないスカートから見える脚……舐め回すように見ている気がする。――嫌だ、何この人!変態?
「いいよ。送って行ってあげる」
「け、結構で……」
「遠慮することはない。さあ、行こうか」
女顔の青年はマリナの腕を掴んで歩き出した。
◆◆◆
階段を上り下り、曲がりくねった細い廊下を行ったり来たり。
マリナはもう、どこをどう歩いているのかわからなかった。
「お部屋はこちらなんですか」
「そうだよ。近道を知っているんだ」
青年はマリナの手首をがっちり掴んでいて、見た目の綺麗さからは想像できない力強さである。軽く鼻歌を歌っている。不気味すぎる。
「使用人しか通らない抜け道もあるし、いざという時に逃げる隠し通路もある。王宮は面白い建物だからね」
「私、早く戻らないと……」
建物マニアの遊びに付き合っている暇はない。マリナが長く不在にすれば、ジュリア達が心配するだろう。何よりジュリアに謝りたい。
「お願いします。どうか……」
「もう少しだよ。そんなに焦らないで」
青年は胡散臭い微笑を向け、マリナの鼻先を指でつんとつつく。
――いきなり触ってきたぁー!私達初対面なのに。
マリナの顔が強張る。馴れ馴れしい振る舞いにもはや恐怖しか覚えない。
どうやって逃げようか。何で今日に限って兵士が少ないの?もう、泣きたい。
青年は人通りが少ないところをわざと通っているようだ。
「ここ、さっきも通ったんじゃ……」
「……うるさいなあ」
斜め前を歩いていた青年が振り返る。
「そんなに王太子妃になりたいのか」
優しく諭すような声だったのに、青年の声がいきなり荒くなる。青年の目に冷たい怒りの炎を感じ、マリナは背筋が凍った。親切な青年ではなく、何かを企む悪徳貴族だったとは。
中立派貴族筆頭のお父様の敵だったんだわ。
「きゃっ」
マリナの手首を掴んで引き寄せ、肩に担いで持ち上げると、青年は手近な部屋に入り、マリナを放り投げた。大理石を敷いた床に背中を打ちつけ、すぐには起き上がれないほど痛い。
「う、うう……」
青年は片膝をついて、苦しみに歪むマリナの顔を上から見下ろす。頬を伝う涙を顔全体に塗りつけるかのように、大人の手で少女の顔を撫でる。
「ほんっと、可愛いなあ、君。その瞳もその髪も、王太子妃になりたがる身の程知らずなところも」
手が顎にかかり、首を撫でて……。
親指がマリナの喉に当てられる。
「ここで一人消えてもいいよね?なんたって君のスペアは三人もいるんだろう」
――殺される!
細い首とひくつく喉を青年の指が圧迫する。
「ああ、いいねえ。その顔。怯えて僕しか見えないって顔が。たまらないよ」
青年は目を爛々と輝かせている。口元には笑みを浮かべて。
「うっ……う……」
ダメだ。こんなところで死ねない!
ジュリアにちゃんと謝ってないもの。
――誰か、助けて!
アメジストの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
――やられてたまるか!
マリナは力を振り絞って脚を上げ、ヒールの踵で男を蹴り上げた。
「うぐぅっ……」
男は蹲って横に倒れ、這いつくばるようにして戸口へ居去る。
マリナは去っていく影を見ながら意識を手放した。




