56 悪役令嬢は平手打ちをする
「コーノック先生、相談があります」
エミリーはコーノック先生に魔法の個人指導を受けるようになっていた。
「何かな」
「先生は王宮でお仕事してますよね」
「そうだよ。これでも宮廷魔導士だからね」
「王宮の、首なし騎士の話を知っていますか」
「昔、本で読んだような……」
「あれを、やってみたいんです」
エミリーの目が細められた。
教え子に甘いコーノック先生の手を取り、王宮の倉庫へ転移する。王宮には厳重な結界が張られているが、王宮魔導士は自由に転移魔法で入ることができる。同伴者も同様に。
「エミリー。悪いことは言わないから、悪戯はやめなさい」
「マリナを立ち直らせるためなんです」
「首なし騎士がかい?」
「ジュリアがアレックスと首なし騎士に扮して、王太子とマリナを脅すと。あの二人にうまくできるとは思えない」
エミリーは手近にあった甲冑に目を留めた。よく磨かれてあり、暗闇で光りそうだ。
「これに魔法を仕込み、発動条件を加えて置いておきます。雷鳴が聞こえたら、動くようにして……」
「他の者を怖がらせてしまうよ」
「転移魔法も発動させます。すぐに王太子の部屋の前まで飛んでいくように」
「すごいね、君は」
「それほどでも。……あ、先生」
「うん?」
「先生の弟さんは、宮廷魔導士になったんでしたよね?」
「いや、うん、えっと……」
コーノック先生は視線を彷徨わせた。
「鎧は後で戻します。先生もお付き合いくださいね」
エミリーは口の端だけ上げて、にたりと笑った。
◆◆◆
雷が鳴り始めた頃。
王宮の倉庫でジュリアとアレックスは鎧と格闘していた。
「重っ……」
「ほおら、言った通りじゃないか。アレックスがでかいのがいいなんて言うから」
「その方が目立つだろ。マリナを怖がらせるのにちっちゃいんじゃ」
ヴィルソード騎士団長が着て丁度良さそうな、かなり大きい鎧の脚の部分をつけ、上半身を被ろうとするも、二人で持ち上げてやっとだった。
「重くて歩けねえ……」
「だからやめとけって」
「ジュリアン、お前片足やれよ。上も二人で持ったらいけるだろ」
「片足?どうやって歩くんだ」
アレックスはジュリアの両脚に脚用パーツを取りつける。自分も同じようにして隣に立った。
「よし、これで上を被れ……ば……」
力を入れて持ち上げ、二人の身体が中に入るようにした。
肩がアレックスの腕にべったり密着する。少し動いただけで、腕どころか胸まで当たりそうだ。密室に二人きりに近い。彼は何とも思っていないようだが。
「中から支えるんだ。頭は持っていかないから」
「武器は?剣とか持てないじゃん。手は?盾だって……」
「いいんだよ、鎧が歩いていけば問題ない……歩く、か」
アレックスは両足を揃えて、ぴょんと前に跳んだ。
「次はジュリアンの番だぞ」
――歩くって、これか?
「ほっ」ガシャン
「やっ」ガシャン
跳ねて一歩進むたびに鎧がガシャガシャ鳴っている。
「ふんっ!」
手で支えている上半身部分がバランスを崩す。
「ちょ、進みすぎ!」
「悪い。ジュリアンも同じくらい跳べよ」
「やあっ!」ガシャン。
鎧の中で動く度に、アレックスと身体が触れていく。歩行を安定させようとアレックスがジュリアの腰に手を回した。
「う!」
「ん?お前も掴まれよ。こうするとぐらつかないだろ」
「う、ん、分かった」
気合を入れて飛び跳ねていく二人は、鎧を倉庫から着て行かなくても、王太子の部屋の前で準備すればいいことに気づいていなかった。
◆◆◆
「で?これはどういうことかしら?」
気絶したセドリックを三人で長椅子に横たえる。
立ったままでマリナは妹とその友達を見た。
「マリナ、目が怖い……」
「ジュリアは黙って。あなたは何かご存知?王太子殿下の側近でらっしゃるもの」
「えっと、俺は何も……」
「嘘おっしゃい!」
バシッ。
マリナの扇子がアレックスの胸を叩いた。ヒッ、とアレックスが身を固くする。
「この茶番に噛んでいるのは誰?言い出したのは誰?洗いざらい白状しなさい」
流石悪役令嬢だなとジュリアは感心して姉を見ていた。迫力が違う。
「……言い出したのは、セドリック殿下だよ。自分と一緒にいてもマリナがつまんなそうだし、誰かを見てるってさ」
「私、が……?」
「そうだよ。マリナがいつまでも振り向いてくれないから、殿下だって焦ってんじゃないか。いい加減立ち直ってよ」
「立ち直る?私、落ち込んでなんかな……」
「落ち込んでるんだよ!見ているこっちが痛いっつの。どうせ待ってたって、ハリー兄様はもう帰って来ないんだよ!」
パン!
ジュリアの頬が鳴った。マリナが右手で平手打ちをしたのだ。
「余計なことしないで!」
「痛ってえ!何も叩くことないじゃない!……って、マリナ!?」
「お、おい!」
ドレスのスカートを掴んで、マリナは何も言わず二人の前から走り去った。足元にはエミリーが魔法で動かしていた鎧が人型を成さずに崩れ落ちている。ドアを呆然と見つめていたジュリアを正気に戻したのは、目を覚ましたセドリックの声だった。
「……あれ?マリナは?帰っちゃったの?」
◆◆◆
勢いだけで部屋を飛び出して、マリナは途方に暮れた。
――叩いちゃった……。
日頃から仲の良い四姉妹である。口喧嘩はしても、妹達を叩いたことはなかった。
ハロルドはもう帰らないと言われ、腹が立ったし悲しくもあった。だからといってジュリアを叩いていいわけではない。皆に心配をかけているのだろう。妹達だけではなく、王太子殿下にまでも。
――忘れなきゃ。前に進むために。
――忘れたくない。どうして忘れなきゃいけないの?
相反する気持ちがマリナの中で渦を巻く。
とぼとぼと王宮の回廊を歩く。歴代の王や王妃の肖像画が飾られている。一体いくつあるのだろう。ハーリオン家にも肖像画はある。当主とその家族のものだ。だが、そこには領地管理人の息子である義兄の絵はない。
留学先のアスタシフォンの王都へ送った荷物が、先日船便で送り返されてきた。必要な物は向こうで買い揃えるつもりでいたため、辞書などの僅かな本と、真新しい着替えが一組だけだった。そこには何も、彼の面影を残すものはない。
――何も、ないんだ。
時が経てば、顔も声も忘れていくに違いない。何年先になるか分からないけれど、記憶は薄れて胸も痛まなくなる、確実に。だけど……。
膝を抱えて蹲る。
――気持ちが整理できないままで、王太子妃にはなれない。
セドリックに嫌われたら断罪エンドで死んでしまうとしても、自分の心を騙して婚約を続けていくのは辛すぎる。王家からの申し入れを断るのは、ハーリオン侯爵とて難しい。しかし、まだ正式に王太子妃候補としてお披露目されたわけではない。
「……まだ間に合うの?」
マリナは顔を上げた。スカートの埃を払い落とし、今歩いてきた道を戻る。
候補を辞退することは、こちらから婚約破棄をつきつけるようなものだ。セドリックはどう思うのだろう。優しい彼は泣いてしまうかもしれない。今すぐ話すのは得策ではない気がしてきた。先に両親に相談してみよう。
回廊を歩くマリナの銀の髪から、青いリボンが解け落ちる。
風に吹かれたそれは廊下を滑るように舞い上がり、彼女を見ていた青年の手に握られた。




