53 悪役令嬢はケーキを頬張る
王宮に呼び出されたマリナは、薄い水色のドレスを身に纏う。
侍女のリリーに髪飾りを持って来させると、いくつか頭の上に乗せて鏡を見た。
「これ、も違うわね」
「お嬢様?」
「こちらも……ううん、質感が合わないわ」
髪を整えるリリーも痺れを切らしている。
「そうだわ。リリー、あれよ」
「はい」
「ほら、子供の頃使っていたのがあったでしょう?このドレスと同じように薄い色、水色の……」
リリーははっとした表情になり、すぐに元の柔和な顔に戻る。
「あれ持ってきて頂戴」
「お嬢様」
マリナが座る椅子の肘置きに手をかけ、床に膝をついたリリーは、マリナのやや下から視線を合わせてきた。
「なあに?」
「あの髪飾りはもう、こちらにはございません」
「そんなはずはないわ。きちんとしまって……」
「いいえ。お嬢様がいらっしゃらない時に、わたくしがお貸ししてしまったのです」
「さてはアリッサね!……すぐに取り返して……」
「いいえ、違うのです、お嬢様」
リリーはマリナの手を取った。眉尻が下がり、今にも泣きそうだ。
「わたくしがあれをお貸ししたのは、ハロルド様に、でございます」
◆◆◆
「……マリナ?」
何度か呼びかけられ、はっとする。
「どうしたの?考え事?」
王太子セドリックはテーブルの上で腕を組み、顎を乗せている。
「僕と一緒だと、退屈かな」
身体を起こして伸びをし、青い瞳でマリナを見つめている。
「退屈だなんて……」
マリナは退屈だとは思っていなかった。王宮に来るのは面倒くさいが、セドリックと話すのは気晴らしになる。王太子は意外に聞き上手だった。
「さっきもぼーっと僕のこと見てたでしょ。……見とれてたの?」
くすくすと笑い、マリナに顔を近づける。
セドリックの顔立ちは確かに美しい。幼い頃は天使のようだと言われたのも頷ける。
さらさらした色の薄い金髪は直毛ではなくほんの少しだけ癖があり、青い瞳は緑の混じらない正真正銘海の色だ。
――私、無意識に誰かと比べてた?
◆◆◆
「いやあー、これはお祝いもんでしょ!」
マリナが家に帰ると、料理人に作らせたケーキを頬張って、ジュリアが口から屑を飛ばしていた。
「それ、何個目?」
「食べすぎだよぉ、ジュリアちゃん……」
フォークで小さく切り分けて、上品に口に運ぶ妹二人が、下品な姉に眉を顰めている。
「ケーキ?今日は何のお祝いなの?」
ぶほっ。また口から吹いたな。
「もっちろん、アレックスの家庭崩壊イベントを潰したお祝いに決まってんじゃん」
「そうね。アレックスのお母様も無事だし、騎士団長様ともうまくいっているものね」
マリナはジュリアの隣に座る。席はいつもここだ。
「ヴィルソード侯爵が後妻を迎えることもない。アレックスは騎士団長の跡継ぎのまま。家族の確執からヒロインにつけこまれることもない」
眠そうな瞳でエミリーがにたりと笑う。
「そして、アレックスはジュリアに惚れた、と」
「はあっ?何言ってんのエミリー。事件があっても、私達は何も変わってないよ」
「吊り橋効果」
「怖い体験を一緒にするとね、恐怖のドキドキと恋のドキドキを勘違いしちゃうって言うよね」
「ちーがーう!ドキドキなんかしてないってば」
「詳しい話は聞いてなかったわよね」
「マリナまで……はー、もー、分かった。教えるから、その、冷やかすのはなしだよ」
ジュリアの頬に赤みが差す。
「冷やかしたりしないもん」
「話を聞くだけよ」
「……からかうのはありよね」
「エミリー!」
三人の声が重なった。
「うっそ……」
マリナが絶句した。
「いやんとか、ああんって……」
アリッサが熊のぬいぐるみの後頭部に顔を埋めた。
「……喘ぎ声?」
「喘いでないよっ!」
「そんな声、アレックスに聞かせたのね」
「痴女」
「痴……ってあのねえ、これは賊をおびき寄せる作戦なの」
「結局失敗して殺されかけた」
「う……それは、そうだけどさ。一人やっつけたんだから」
「二人で苦難を乗り越え、深まる愛情?……きゃあ、ロマンチック」
アリッサは両頬に手を当てて頭を振っている。
「ロマンなんてないからね。言っとくけど、大冒険スペクタクルだったんだから。それより、エミリーはどうだったのさ」
「は?私?」
「エミリーちゃんがマシューに抱かれて現れたんでしょ」
「転移魔法よ。抱かれたくて抱かれたんじゃない」
「抱くとか抱かれるとか、あなたたち言い方をもう少し……」
「遠見するのに目標が定まらなくて、指舐められた」
「舐める???」
三人が声を揃える。
「ジュリアの居場所を探すために、近い血縁、それも容姿の似た人間の血が必要だった」
「魔法のためか、つまんないの」
「そう。魔法のため」
魔法のためなんだからドキドキなんかしていない、とエミリーは自分に言い聞かせる。
「なぁにそれ、全然ロマンチックじゃないよぉ」
「いい加減ロマンチックから卒業しなよ」
「おかしいよぉ二人とも。攻略対象者はみーんなかっこいいのに、どうしてときめかないかなあ?」
「アリッサがときめきすぎ」
「一人だけ順調に愛を育んでるわね」
「マリナちゃんだって、王太子殿下とほぼ毎日デートじゃない」
「私は、デートだなんて思っていないわ」
「殿下はマリナのことが好きだよ。たまに一緒に行くけど、見ていて分かる。マリナはどうなのさ?自分を没落、破滅させるからセドリック様が嫌いなのかな?このまま王太子妃になっていいの?」
――私が、王太子妃に?
心に靄がかかり、マリナは答えに窮した。
「殿下と結婚するつもりがないなら、しっかり断ったほうがいいと思うよぉ」
「はっきりしろ」
「……私は……ごめん。結論が出せないから、部屋に戻るわ」
マリナは一人で居間を出る。
四人の寝室へ向かい、階段を上がる。茶色く木目の見える重厚な手すりに触れると、この手すりに体重をかけてゆっくりと二階へ上がっていたあの人を思い出す。
――あなたにはいつも笑顔でいてほしいのです。
不意に脳裏を掠める、囁き。
――マリナ、あなたは私が守ります。
「……お兄様の嘘つき」
呟く唇が震えた。
――あなたの、心を盗む者は……容赦しませんよ?
嘘つき、嘘つき!……私は嘘をつかれるのは嫌いよ。
――さようなら、マリナ。あなたの幸せを祈ります。
勝手にいなくなったくせに、いつまでも私を縛らないでよ。
踊り場まで上がったところで、マリナは手すりに額を当て頽れた。
アレックスの両親のなれそめ短編を、本日(2017.7.21)別に投稿しました。




