51 閑話 少年剣士は身悶える
【アレックス視点】
芝居小屋を見に行く約束をしてから、乗り気だったジュリアンがいきなり、行くのをやめたいと言い出した。俺は父上や騎士団の皆についてきてほしいと頼んだが、丁度その頃に騎士団の演習があると断られた。母上も当日になって行けなくなった。
ベテランの従者は皆別の用事で出かけていて、俺は若い従者に声をかけた。ひと月前からうちで働いている。経験は浅いが真面目に仕事をこなしていると思う。初めて俺から頼みごとをされて、彼は喜んで馬車を出した。
劇場という名の掘っ立て小屋は、市場の近くの空き地にあった。邪魔にならない路地で馬車から降り、ジュリアンと従者と三人で中に入った。
ジュリアンは劇を見たことがあるらしい。
いろいろ教えてもらおうとしたら、静かにしろと唇を指で塞がれた。
塞ぐ、というか、まあ、白くて細い指先が俺の口に当てられただけなんだけども。
それだけで俺は何も言えなくなって、変に胸がドキドキした。
これは、劇が始まる前の熱狂のせいだ。初めて見る劇に期待しているからだ。ジュリアンにドキドキしたんじゃない。絶対にだ。
物語はすげえいい話だった。でも、ジュリアンは他に気になることがあるようで、絶えず観客席を見ている。
「アレックス、なあ。あれ、見えるか」
理由を尋ねた俺に、ジュリアンは女を指さした。
ああ、そういうことかよ。うちの侍女にしたみたいに声をかけようってんだろ。
「また女かよ」
俺はうんざりして舌打ちした。
「またとは何だ、またとは。彼女達を見たのは今日が初めてだろう」
初対面の女子に声をかけてどうしようってんだ。この浮気男が。
……浮気?いや、こいつには本命はいないんだっけ?
俺は混乱していた。わけもなくむしゃくしゃして
「お前何しにここ来てんだよ。劇だろ、俺達は劇を……」
ジュリアンの顔を手で挟んでいた。
誰が見ても美少年の顔が、正面から見た魚のように潰されている。
「はにふんらお」
「見て見ろよあれ。あいつ、友達のために命を投げ出すんだぜ」
舞台へ顔を向けさせれば、ジュリアンは冷めた目で演技を見ていた。
「こんなの話の中だけだろ」
俺はお前のために命を投げ出してもいい。
ジュリアンの綺麗な横顔を見ながら、ふとそんなことを考えた。
すると
「お前が敵に立ち向かう時は、俺も隣で戦いたい。一人で行こうとするなよ」
とジュリアンが呟いた。
驚いてあいつの方を見れば、じっと舞台を見ている。その紫色の瞳に魅入られ、俺は頷くことしかできなかった。思いっきり挙動不審だったに違いない。ジュリアンは俺を見て笑うと、「お返し」と俺の顔を手で挟んだ。悪戯な笑顔が目に焼き付いた。
◆◆◆
市場の中ではぐれてしまい、俺は従者と二人でジュリアンを探した。市場の外れまで来ると店も疎らになり、到底ここまで来たようには思えなかった。俺が戻ろうとすると、従者はやけにそわそわし始めた。すぐに理由が分かった。二人組の大男が現れ、俺に布袋を被せると肩に担いだ。従者はここまで俺を連れてくるように言われていたのだ。この人攫い達の仲間だったと思った。が、袋の外から、俺を放すように懇願する声がする。大男の唸り声と何かが地面に落ちる音がして、それきり従者の声は聞こえなくなった。
大男が少し歩いたところで、聞きなれた声がした。
「アレックスを放せ!このブタ野郎!」
――ジュリアン!?
どうして来たんだ!お前こそ貴族の子にしか見えないだろう。格好の餌食じゃないか。
俺は袋から出ようと暴れた。大男は俺を袋のまま下ろし、ジュリアンに何かしたようだ。
やめろ!そいつに手を出すな!
◆◆◆
俺達は荷馬車で人攫いが使っている小屋に運び込まれ、荷物のように投げられた後、何とかしてお互いの手足を縛っていたロープを解いた。不器用な俺が結び目を解くのをジュリアンは辛抱強く待ってくれた。
部屋の中に一つだけ武器になりそうなものがあって、俺達は脱出作戦を立てた。敵は四人で一人は仲間割れで殺され、残りは三人になった。一人目は、俺が死んだかもとジュリアンが泣いて誘い込み、うまいことやっつけた。
それにしてもジュリアンの泣き真似は酷い。二人目がなかなか引っかかってくれない。すると男達は、先に入って俺がぶちのめした男が戻ってこないと不審に思ったようだった。
――まずい。
倒れている男が見つかったら、作戦がばれてしまう。一度に二人入って来られでもしたら……。俺は焦ってジュリアンを見た。すると
「嫌っ。やだぁ、触らないでっ!」
女みたいな声で叫びやがった。
「何してんだよ……」
問いかけた俺に、また梁に上れと指示をした。その間もジュリアンは、物置小屋で逢引していた使用人達のように、艶めいた声を上げていた。あっ、俺は決して、使用人の逢引現場を見に行ったわけではなく、あれは不可抗力だったんだ。
「やっ、やめて、服は脱がさないでっ!きゃっ、やだぁっ、そんなとこ、はぁっ、ダメぇっ!」
元々声が高いままのジュリアンだ。わざと部屋の外に聞こえるように声を出している。
「お願い、やめて、いやっ、ああん」
――ああ、もう、なんて声出してんだよ!
俺は梁の上でジュリアンの一人芝居を見る。外にいる奴らに聞こえなきゃ意味がないのは分かっていても、こいつのこんな声、誰にも聞かせたくない。
「……畜生、我慢できねえ!」
男が一人飛び込んできて、俺は頭に狙いを定めて叩く。うまくいったと思ったのも束の間、ジュリアンは賊の頭に首を掴まれていた。
「さっさとしろ。じゃねえと、こいつに、今度こそ本当に可愛い~い声を上げさせてやってもいいんだぜ」
俺はジュリアンの無事と引き換えに、唯一の武器を手放した。
◆◆◆
いきなり現れた魔導士と夜着姿のエミリーに助け出され、俺達はハーリオン侯爵邸へ転移魔法で帰った。父上は俺の無事を泣いて喜び、俺も父上に会えて嬉しかった。帰り際にジュリアンが声をかけてきた。
「あそこで武器を手放しちゃダメだ、アレックス」
イラついている?何でだ。
「お前を守るにはあれしか選択肢がなかっただろ」
「武器を取られて、殺される寸前だったのは誰だよ!いいか、ああいう時は自分を守れ」
「断る。じゃあ、あの場で武器を死守して、お前があの男に酷い目に遭わされるのを見てろって言うのかよ」
ジュリアンは俯いて口ごもった。
「私はっ……アレックスが傷つくのを見たくないんだ!」
顔を上げた時、アメジストの瞳が涙に濡れているのが分かった。そのまま走り去るジュリアンの背中を見ながら、俺は何故か昼間の芝居を思い出していた。