50 悪役令嬢は吸血される
指先から魔力が流れ込む。目を閉じればまぶたの裏に、遠見魔法の効果でマシューが見ている風景が映る。いや、脳に直接流れ込んでくるのか。
「ジュリアの魔力の気配を感じるか?」
「ううん。ジュリアは魔力が殆どない。気配から辿るのは不可能ね。他に方法はないの?」
マシューはエミリーの手を放す。魔力の共有が解ける。
「ある、にはあるんだが……」
「できないわけ?難しいの?」
「簡単だ。……血があれば」
吸血鬼かよ!とエミリーは引いた。黒目黒髪、片目は赤の、青白い顔をした魔導士が、吸血鬼に見えなくもない。
「ジュリアの血が必要なのね」
「本人なら一番いいが、血縁が近い者の血でもいい。なるべく外見が一致している者がいれば……」
「何」
「お前は姉さんと四つ子なんだろう?そっくりだと聞いた」
――やな予感!
「お前の血をくれ。少しでいい」
再び手を取られる。マシューの目は真剣だ。
「待って。血って、どうやって……」
マシューは無言で懐から短剣を取り出した。柄の方を向けてエミリーに差し出す。
刺殺されるんじゃなくてよかった。
……とは言えないみたいね。
「少しだけ、指先を切れ。薄く傷つける程度でいい。頼む」
エミリーは言われた通りに、短剣で白い指先に傷をつけた。赤い滴が溢れる。
「……ひっ」
手首を掴み、マシューがエミリーの指先を口に入れた。
――し、舌っ。指先、しゃぶられてるんだけどっ……。
ざらざらした感触が指先に……血、吸われてるっ?
細身のマシューは意外に力があり、手を引っ込めることもできない。マシューは空いている手をエミリーのもう一方の手と繋ぐ。強い魔力が急激にエミリーの体内に流れ込む。
途端に視界が開け、遥か上空から森の上へ、森の中へ、小屋の前へと視点が移動した。
「これ……」
「見えたか」
遠見魔法の効果が小屋の中へ及んだ時、エミリーはあっと声を上げた。
「ジュリア!」
男がジュリアを持ち上げるようにして片手で首を絞め、黒い棒でアレックスを殴ろうとしている。
「行くぞ!」
「えっ!?」
マシューは突然エミリーを引き寄せると、背中と腰に手を回して抱きしめた。
「ちょ、何?」
エミリーの鉄仮面が崩れる。
「お前は姉さんのことだけ考えてろ!」
マシューの低い声が何か囁く。――転移魔法の呪文だ!
エミリーはジュリアのことを思った。転移先にいる人物のことを考えるほど座標が定まる。
侯爵家の一室から白い光が漏れ、二人の姿は一瞬で消えた。
◆◆◆
「やめてー!」
ジュリアの大声が響く。
男が振り上げた棒が何かに当たり、固い音がする。
「んあっ、な、何だ?」
赤髪の少年の前に突然黒いローブの男が現れた。
「知りたいなら教えてやる。物理防御魔法だ。さあ、次はこっちの番だ」
マシューは無詠唱で燃え盛る火の球を発生させ、左手で男に狙いを定めた。
「ひっ、や、やめてくれ!」
「これはジュリアの分」
無表情に戻ったネグリジェ姿のエミリーが、右手にバチバチと火花を散らす紫色の球体を持ち、男の頭の上から一気に浴びせた。
「うわああああ」
絶叫と共に後ろへ倒れ、そのまま動かなくなった。
「……やるな」
左手の魔法球を消し、マシューが感心してエミリーを見た。
――当然でしょ。
「ジュリア、アレックス。帰るよ」
「エミリー……」
ジュリアは柄にもなく泣きそうになっている。
呆然と魔法を見ていた二人を立たせ、エミリーはマシューに向き直った。
「うちに帰りたいの。今すぐ。あなたなら簡単に行けるでしょう?――だって、毎日覗いていたんだもの」
ポーカーフェイスをとびきりの笑顔に変えて、エミリーはマシューの黒い瞳を覗き込んだ。
◆◆◆
「まさか、犯人が我が家の領地に……」
二人が連れて行かれた場所が、ビルクール港近くの森の中だと聞き、ハーリオン侯爵は驚きを隠せなかった。
「犯人は誰かに頼まれたみたいだった。黒幕がいるんだよ、きっと」
首と手首の治療を受けながら、ジュリアが父に説明する。
マシューの転移魔法でハーリオン家に戻った四人は、家族に涙ながらに迎えられた。アリッサは号泣、マリナも泣いていた。発見の報を受け、馬で玄関ホールの中まで駆け付けたヴィルソード侯爵はアレックスを抱きしめ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で息子に頬ずりをしていた。
アレックス親子が帰り、コーノック先生がマシューを連れて行った。遠距離の転移魔法に加えて遠見魔法を使ってもなお、マシューは魔力が有り余っているようだった。エミリーはさらに彼が恐ろしくなった。こんな日は早く寝るに限る!とさっさと寝室に引き上げた。
「黒幕か。何か心当たりはあるか」
ハーリオン侯爵は娘に尋ねた。ジュリアが言うように黒幕がまだどこかにいるなら、再び娘やアレックスが狙われる可能性がある。危険の芽は早めに潰したい。
「あいつらはアレックスとアレックスのお母様が出かける時を狙っていた。お母様が来れなくなって、代わりに私がついてきたって言ってた。それと、ヴィルソード侯爵家の中に、情報を漏らした奴がいる。男と女。地下室で話してた」
侯爵は娘が人様の家の地下室へ入り込んだと聞き苦笑いした。そして、一瞬で真顔に戻り、執事に上着を持って来させると、馬車を回すように言った。
誘拐事件は一旦幕引きです。




