440 悪役令嬢と不肖の弟子
ドオン。
バチバチバチ……。
大きな音がしても身体に衝撃が走らないのを不思議に思い、マリナはそっと目を開けた。
セドリックと自分の前に魔法の障壁が発生し、男の魔法を弾いている。
「……助かった、のかな?」
「結界でしょうか」
「誰が……」
神殿の奥から足音が聞こえた。
「ウォーレス!一般人相手に安易に魔法を使うなと言っただろうが!」
結界の勢いが増し、男の魔法を鏡のように跳ね返した。すんでのところで魔法球を除け、男が悔しそうに眉を顰めた。
「……怪しい奴を懲らしめて、何が悪いんです?師匠」
ウォーレスと呼ばれた魔導士が呼びかけた方向に、白いローブの女魔導士が現れた。大人用のローブが少し長く感じられるのは、彼女の背丈が十二、三歳程度しかないからだ。白に近い銀髪に赤い瞳、雪のように白い肌をした美少女だ。
「きちんと話を聞かずに魔法を撃っただろう?……後でお仕置きだな」
少女のような師匠は楽しそうに笑った。多少表情は豊かだが、マリナは彼女が数年前のエミリーに似ていると思った。
「不肖の弟子が失礼をした。すまなかったな、客人」
「いえ……」
「話は途中から聞かせてもらったが……貴殿が国王陛下の御子だとか」
「はい。……ですが、ウィルフレッド陛下の遠い子孫にあたります。どうやら、僕達は時空を超えて来たようです」
「ふぅむ……」
師匠は顎に手を当て、もう片方の手で肘を支えて考え込んだ。
「師匠、時空を超えるなんてあり得ませんよ。どうせ神殿の宝物目当ての盗人に違いありません。さっさと捕まえて、転移魔法で王都に飛ばしましょうよ」
近づいてきた弟子のウォーレスは、背が高くてやせ形、短い黒髪の十代後半の少年だった。魔力が高い者の中には身体的成長が遅い者がいるが、彼は年齢相応の見た目をしているように思えた。
「待て。どうしてお前はそう、結論を急ごうとするのだ」
「話を聞く時間があるんですか?師匠。……あなたには残された時間が少ないのに!」
ウォーレスの言葉はまるで悲鳴のようだった。
「……私がいいと言っているんだ。彼らから話を聞こう」
◆◆◆
師匠に案内されて、マリナとセドリックは一軒の民家に入った。こじんまりとしているが室内には落ち着いた色調の家具が並び、手作りのクッションや椅子カバーが温かみを感じさせる。初めて来たのに落ち着く場所だとマリナは思った。
「座って。……ウォーレス、紅茶を用意してくれ」
「……はい」
ウォーレスはまだ納得していない顔だ。台所に立ち、渋々茶葉を用意する。
「自己紹介が遅れたな。私はゾーイ。魔導士をしている」
「僕はセドリック。彼女はマリナ。僕の……」
「妻です。魔導具の研究中に誤って飛ばされてしまいました」
妻と名乗ったマリナに、セドリックが驚き、青い瞳を輝かせて見つめている。横目で見れば、頬を上気させて微かに鼻の穴がパフパフしている。興奮冷めやらぬといった風情だ。
「そ、そうなんだ。……僕は王都にいたんだけど、ここは?」
「王都に……そうか。時間も距離も遠いな。ここはウィエスタの町だ。放牧している羊の方が人間よりはるかに多い。何もないが、住めば都だ」
ゾーイは棚から地図を取り出し、テーブルの上に広げて見せた。それはマリナとセドリックからすれば歴史の時間に見た古地図だった。指先が示したウィエスタの町は、現代のエスティアの場所である。
「あの……」
マリナは挙手した。
「先ほどの魔法を見て、ゾーイさんはかなりの技量をお持ちのようでしたが、どうしてこの町に?こちらのご出身なのですか?」
「いや。私は王都の生まれだ。ここは……」
「俺の故郷なんです」
カタ。
ティーカップを置きながらウォーレスが言った。
「事情がありまして、師匠とこちらに療養に……」
「ウォーレス!余計なことを言うな」
「本当は、あんなに魔力を消耗してはいけないんです。魔力を使うことは、命を削ることですから」
「命を……削る?」
セドリックが何度も瞬きした。
「はい。師匠の身体には何者かによって命を削る魔法がかけられているのです」
小声で魔法を詠唱すると、三人の頭上に数字が現れた。
「……これは?」
「命の残り日数を示す魔法です。……禁術ですが」
セドリックの上には23631、マリナの上には23158と浮かんでいる。自分よりマリナの残り日数が少ないことに、セドリックは言葉を失った。
「君の師匠の数字……」
「はい。師匠の命は残り三十四日しかないんです。今朝は三十六日あったはずなのに、魔力を無駄遣いするから……」
「無駄遣いさせたのは誰だ。見境なく魔法を撃ちよって」
はあ、と溜息をつくゾーイは、ウォーレスが彼女の肩にショールをかけた瞬間、笑顔を浮かべて胸を押さえた。
――苦しいんだわ!
ウォーレスが紅茶を淹れている間は何ともなかったが、彼が近寄ると苦しみが増す。セドリックがマリナの命を縮めたように、ウォーレスがゾーイの命を縮めているのだ。師匠の苦しみを弟子は気づいていないが。
「ゾーイさん。お弟子さんのいないところで、少しお話しできませんか?」
「しかし……」
躊躇ったゾーイの手を取り、マリナは小声で告げた。
「『命の時計』の魔法をご存知ですよね?」
「……ウォーレス。夕食の材料を買いに行ってくれないか」
「師匠、俺は……」
「いいから行け。彼らには私達を害する意図はない。安心しろ」
何度も振り返り、ウォーレスは居間を出て行った。




