439 悪役令嬢の魔力の補充
食堂兼宿屋の二階へ続く階段に座り、アレックスは手を組んで俯いた。
「なあ」
横目で隣に座っているジュリアを見つめる。金色の瞳には悔しさが滲んでいる。
「何?」
「……いいのかよ、王都に帰って」
いいも何も、ジュリアは最初からアレックスを説得して王都に戻るつもりだったのだから、レイモンドの介入によって連れ戻されるのは、大歓迎とまではいかなくても、想定していたことだ。アレックスが悔しそうに唇を噛むのを見て、駆け落ちが失敗に終わったことにさほどショックを受けていない自分に気づいた。
「うん。本当はね、私、アレックスと王都に戻ろうと思ってたの」
「俺と駆け落ちするのが嫌だったのか?それなら初めから……」
「違うよ。アレックスが一緒に行こうって言ってくれて、とっても嬉しかったし、このまま家族のことも学院のことも忘れて二人で生きて行くのもありかななんて思ったよ。すごく魅力的だった。……だけど、それって逃げかなって」
「逃げ……」
「アレックスは王女様と婚約しなくてよくなる。私も大変なことになってるお父様達を見捨てて、自分のことだけ考えれば楽になれる。……それでいいの?騎士団長の小父様は、息子のしたことの責任を取らされるかもよ?うちだって、お父様が戻らなかったら、マリナとアリッサがクリスを抱えて路頭に迷うことになるかもしれないじゃん。ま、お父様が戻っても無実が証明されなきゃダメなんだけどさ」
「……」
――気を悪くしたよね?いくらアレックスだって……。
「よし!」
いきなり立ち上がったアレックスは、ジュリアの二の腕を引いた。
「ど、どうし」
「この町にも教会はあったよな」
「あったと思うよ。よく見てないけど」
だいたいどこの町でも、特に謂れがある神がいない限り、王都中央神殿のミニチュア版のような教会が建っている。エスティアは小さな町ではあるが、ハーリオン侯爵は自分の領地には必ず生活に必要な施設を建設していたから、教会もあれば学校も診療所もある。尤も、診療所は十年前に高齢の治癒魔導士が亡くなってからは無人の状態で、マーガレットの作る魔法薬が頼りではあるが。
「俺と教会に行こう。リングウェイでも正式に結婚はできないって言ってたし、誓うだけならどこでも同じだろ?」
王都でも同じではないかとジュリアは思ったが言わないことにした。アレックスの金の瞳がキラキラと輝き、一瞬視線が絡み合っただけで心臓が大きく脈打った。
「王女様との結婚話は、絶対に何とかする。だから……」
ジュリアが掴まれた腕を振りほどき、アレックスは表情を強張らせて口をつぐんだ。半分泣きそうになりながら視線を逸らし、ジュリアに背を向けて立ち去ろうとする。
「ちょっと!」
「ぅぐぅ」
襟を後ろから引っ張られ、首が締まりかけたアレックスが咳き込んでジュリアを振り返る。
「何だよ。教会、行かねえんだろ!」
「腕を振り払ったくらいで早とちりしないでよ。行こうよ、教会。手を繋いでさ」
言い終わらないうちにアレックスの手に指を絡める。指の間に指を滑らせると、アレックスの顔が赤くなった。
「……その繋ぎ方……」
「ん?」
「何でもねーよっ。ほ、ほら、さっさと行こうぜ?教会だって夜は閉めるんだろ?」
「うん!……ねえ、アレックス。誓いの言葉を言い間違ったらくすぐりの刑ね」
「はぁあ?」
幼い頃は剣の練習で負けた方がくすぐられる罰ゲームをしていたものだが、アレックスがジュリアに勝つことが多くなると自然にやらなくなったのだ。
「お、お前こそ、言い間違えんなよ。くすぐりの刑だからな!」
「ふーん。じゃ、わざと間違えてみようかなー」
「な、に……」
アレックスの顔色がさらに真っ赤になったのを見て、ジュリアは満足して宿を出た。
◆◆◆
「……魔力って、どうやって?」
「……」
エミリーの無表情な顔に顔を近づけたマシューはピタリと止まった。
「魔力は寝たら回復するんだよね?」
「……まあ、そうだな」
「私の魔力を、私以外がどうやって回復させるの?」
「……知らないのか?」
「知らない」
はっきりと短く答えたエミリーの頭を撫で、マシューは身体を起こして彼女の隣に座り直した。心なしか落胆の色が見える。
「てっきり、ご両親やロン辺りから聞いているかと思ったが……」
マシューの言葉を何度も反芻して、エミリーは一つの結論にたどり着いた。これはもしや、魔力の補充は『赤ちゃんはどこからやってくるの?』と同じレベルの話なのではないか。動揺を隠すように、エミリーは彼の隣に座って意図的に無表情を心掛けた。
「……聞いてない」
「そうか。……魔力の相性については知っているな?同じ属性の魔力の素質を持っていれば、特に互いの魔力を心地よく感じられる。同じ属性でも合わないことも多いが。例えば光と水の属性を持っている者は、闇と火の属性を持っている者と友人同士であっても、魔力の相性はよくない。夫婦の場合は……子ができにくくなると言われている」
「マシューは全属性だから誰とでも……」
「違う。自分と近い素質を持った者が最も相性がいい。六属性を持っている魔導士は俺だけだが、五属性を持っているのはお前だけだ、エミリー」
「つまり、私が五属性を持っているから、マシューは私を選んだ……」
「違う!何度も言わせるな。……確かに、最初は魔力の高さに驚いて気になり始めたが……」
そっと長い指が頬を撫でる。銀髪を一筋掬い、指先で弄んだ。
「愛している、エミリー。大胆で、勇敢で……恐怖を顔に出さない健気なところも、全てが愛しい」
「ぐ……」
――顔に出ないのは元からなんだけど。
「それに……」
素早い動きで顎が上向けられ、唇が重なった。エミリーの唇をマシューの舌先が撫でた瞬間、強い魔力の波動が身体に流れ込んできた。
「……分かるだろう?」
「魔力が、流れてきた?」
「相性がいい者同士の触れ合いは、互いの魔力を増幅させる効果がある。戦闘と移動で失った魔力を回復するには手っ取り早い」
「って、私、かなり消耗してて……」
「そうだな。魔力が全部回復する頃には、唇が麻痺するかもしれないな」
視線を外して真顔で呟き、余裕たっぷりの笑顔でこちらを向いた。マシューの赤と黒の瞳に悪戯な輝きが宿っているのを見て、エミリーは拳を握って膝に置いた。
「わ、私が、キス……するから」
「え?」
「あなたのペースに呑みこまれるのはお断り。私の魔力を回復させるのは、私よ!」
ベッドの上に膝立ちになってマシューの首に腕を回し、エミリーは彼の瞳を覗き込んでゴクリと唾を呑んだ。




