45 悪役令嬢と潮の香り
「うう……」
「ジュリアン!ジュリアン!」
耳元でアレックスが小さく呼ぶ声がする。
「ん……」
お腹が痛い。殴られたみたいだ。
薄く目を開ける。
「気がついたか、ジュリアン。よかった……」
――顔、近っ!
声を上げようとすると、アレックスが身体を寄せてくる。彼の肩に口が当たり、
「んぅむ」
とくぐもった声になる。
「……大声出すな。気づかれる」
「ここは?」
「ざっと見たところ、荷馬車の中みたいだ。荷物に紛れさせて俺達を運んでる」
見上げれば横には木箱が高く積まれている。
「うへえ。落ちてきたら無事じゃすまないな」
ジュリアは後ろ手に縛られ、足首も縛られている。ロープは細めで頑張れば切れそうではあるが、ここには切るものがない。アレックスも同様だ。したがって、ジュリアの口を封じるために肩を寄せるしかなかったのだ。幌付き荷馬車の奥の狭いスペースに二人で押し込められ、入口側には大量の木箱だ。ロープが解けても出られそうにない。
この先、目的地に着いて下ろされるのだろう。身代金目的の誘拐なのだから。
「どれくらい走ったか分かるか」
「もう、結構な時間が経ったとしか」
「そうか。……この音、道が舗装されてる?」
ガタガタと揺れる荷馬車の音に混じって、馬の蹄の音がする。砂地を走るそれとは違い、石畳を走ると硬質な音がするのだ。
「まだ王都から離れていないのかな」
街道が舗装されているのは王都の近郊までだ。王都を出て少し進めば、無舗装の砂道に変わる。
「いや、一度揺れが酷い道を通ったな。相当時間が経った。お前が気絶してる時だ……そうだな、馬の蹄の音はもっと籠った音だったと思う」
「一度砂道に出たんだ」
「多分」
「なあアレックス」
「ん?」
「王都から出て田舎道を走ってまた王都に戻る、なんて考えられる?」
「うちやお前ん家の捜索隊が必死に走り回ってる街中に、か?んー。街に紛れるのは盲点だろうけどな。砂道ではひたすらまっすぐ走ってたぜ」
「折り返してない?」
「ああ。無理に道を曲がった感じもしなかった」
「砂の道から、また舗装された道に入ったとしたら、考えられるのは一つだけだ」
ジュリアは自分の顔のすぐ傍にあるアレックスの目を見た。身体がぶつかる距離に転がされている。鼻先が当たりそうだ。
「ここは多分、うちの領地だと思う」
「ハーリオン家の?」
黙って頷く。王都とその周辺は王家の直轄領であり、道を舗装したのも王家の力である。そして、王都以外で道が舗装されているのは、ハーリオン侯爵家の持つ港町・ビルクール周辺だけだ。
「前にお父様にビルクールに連れてってもらったんだ。船を見たくてさ。途中でこんな風に舗装の道を通って。お父様が自慢してたんだよ。王都の他にこんな立派な道を作ったのはうちの領地だけなんだぞって」
貿易で栄えているビルクールは、領地からの収入が桁違いに多い。侯爵は、道を舗装するだけではなく、橋や病院、学校を作って領民の暮らしを豊かにしようとしていた。
「でもさ、何だってお前ん家の領地に連れて行かれるんだ?」
「そんなの分かんないよ。船に乗せられたら逃げらんない。最悪だ」
行く先は港町。そこから船で運ばれる可能性は大いにある。
「大丈夫だ、ジュリアン。俺がついてる!」
「泳げんの?アレックス」
「……海、は泳いだことないけどな。川なら何回か泳いだ」
「うわ、何回かかよ。微妙――わっ」
荷馬車が大きく揺れたかと思うと、馬が嘶き、積荷がゴトゴトと音を立てた。
「……止まった、のか?」
「……シッ。気絶したふりしてろ」
耳元でアレックスが囁く。ジュリアは慌てて目を瞑った。
◆◆◆
ドサッ。
「……っ!」
薄暗い部屋、干した藁の上に放り投げられ、鍵を閉められた。
投げられた時にぶつけたのか、腕が痛い。荷馬車からここまで運んだ男の体臭がまだ鼻に残っているようだ。遠くから漂ってくる潮の香りと混ざり合い、気持ち悪い。吐きそうだ。
「大丈夫か、ジュリアン」
男達がいなくなったのを見計らって、アレックスが声をかける。
「うん。……ってえ。騎士の腕を何だと思ってるんだ」
「腕?お前、腕をやられたのか?」
「戦った時はすぐ捕まったからやられてない。今だよ。ほら、落ちた場所が悪くて」
ジュリアが落とされたところには、さほど藁が敷かれておらず、その下に何か黒いものが見えていた。
「その黒いやつにぶつけたのか」
「多分な。固かったから、持ち上げられれば武器にはなりそうだよ」
お互いに背を向け、とりあえず手首のロープを解くことにした。
幸い誘拐犯はこの部屋の近くにはいないようだ。二人を奥の部屋へ閉じ込めて、別の部屋で騒いでいる声がする。
「解けそうか、アレックス」
指先が何度もジュリアの手に触れる。アレックスはロープの結び目を緩めようと苦戦している。
「俺、不器用だから……お前が先にやれよ」
「不器用なのはお互い様だろう。……分かったよ。……固いな。あのブタ野郎、こんなに固くしなくても……」
指先に力を籠める。後ろ手に縛られた状態で手先が見えないのが難点だ。
「……よし」
ジュリアは緩んだところから一気に引き、アレックスの拘束を解いた。
「すげえな、お前天才だな」
手が自由になった喜びに浸る。アレックスの手首には赤く擦れた痕がついていた。
「褒めるのは後にして早くこっちを解いてくれ」
「分かった」
アレックスは腹筋を使って起き上がり、素早く足のロープを解くと、ジュリアの手を縛っているロープに指を伸ばした。




