436 悪役令嬢は同衾の提案をスルーする
エイブラハムが食堂兼宿屋に宿泊しないことになり、レナードの容態を見守るにはマシューとエミリーが適任だろうとの結論が出て、二人はレナードが寝ている部屋に泊まることになった。必然的にもう一つの部屋には、ジュリアとアレックスとレイモンドが入る。
「男女混合かあ」
「不満そうだな、ジュリア」
「別にいいんだけど、アレックスとレイモンドが一緒のベッドだよね?」
「……」
レイモンドは目を眇め、辺りに猛烈なブリザードが吹く幻影が見えた。
「……俺、やっぱ床で寝ます」
「そうか。悪いな」
「疲れてるからベッドで寝れば?って言ってたじゃん」
「それなら、君が床で寝るのか?ジュリア」
「痛そう。ノミとかいそう」
安宿にしては上等だ。掃除はしているようだが久しぶりの客だと聞いた。毎日掃除が行き届いているハーリオン家とは違う。
「じゃあさ、俺と一緒に……っ!あっ!」
言いかけたアレックスが真っ赤になって口ごもり、壁を向いてもごもごしている。
「ん?」
横からジュリアが覗き込む。
「何でもないよ」
「そ?」
「俺も反対だな。泊まるのもせいぜい一日か二日だ。床でも椅子でも我慢しよう」
「我慢できるんですか?……はっ、す、すみません」
再びブリザードが吹いた。
「エイブラハムがうまく執事として乗り込めたら、折を見て領主館に入ろう。エミリーが作った魔法陣があると聞いたが」
「……そう。ここ、遠くて大変だから、家まで行けるように作った」
「騎士団に見つかっちゃうんじゃない?」
「魔法陣は隠してある。……うちの血縁の者がその部屋に行けば床に浮かぶように」
「ハリー兄様でも使えるってこと?」
「そう。ここは故郷、でしょう?……ただ、義兄を対象に入れるために範囲を広げたから、ハーリオン家から嫁や婿を取った家の末裔だと、反応するかも」
「うっわー、いいような悪いような」
「俺の記憶では、現ハーリオン侯爵は一人息子で、その前十代をさかのぼっても、当主以外は未婚で亡くなっているか、子孫に恵まれず現在は断絶している。隠し子でもいれば話は別だが」
「お父様はお母様一筋だから大丈夫!」
「……何その根拠のない自信。私達とクリスの間に、五人や六人いてもおかしくないわよ」
「あのお母様の目を盗んで浮気なんてできると思う?命がいくつあっても足りないよ」
「……確かに」
「オードファン家はハーリオン家との縁組をしたことはないから、俺には反応しないだろう。ヴィルソード家も同様だ。つまり、ジュリアかエミリーが行かなければ、魔法陣は作動しない」
レイモンドはマリナと同じように、貴族名鑑を丸暗記しており、主要な貴族の系譜が全て頭に入っている。得意そうに語るのを見て、ジュリアは口を開けて頷き、エミリーは
「……めんどくさ」
と呟いて頭の横の髪を指で弄んだ。
◆◆◆
ジュリアとエミリーのサインが入った執事の身分を証明する偽書類を持ち、エイブラハムとマーガレットは執事夫妻として領主館へ乗り込んで行った。エイブラハムは領主館に入ったことはないが、ジュリアとエミリーから部屋の配置を聞いて書き留め、邸の規模から凡その施設設備の状況を推測した。マーガレットが騎士団を誑し込んでさっさと帰らせるか、騎士団に見つからずに魔法陣の場所に行ける安全な抜け道を用意できたら、エイブラハムが宿に連絡することにした。
食材を運び入れている町の人から聞いた話では、領主館には騎士が十人弱いると思われる。彼らは偽執事を逮捕するためだけに来たのではなく、何か他に目的があって逗留しているのだ。領主館を使用するに当たり、恐らく所有者であるハーリオン侯爵家に伺いを立てたはずなのだが、ジュリアとエミリーは全く覚えていなかった。執事のジョンがマリナに判断を仰いで許可したか、許可しないで使っているかのどちらかだ。エイブラハムにはその点をぼかして入り込むという難関が待っている。
「あいつなら心配は要らないな」
「信頼してるんですね、レイモンドさん」
「まあな。世渡りのうまさにかけては、当家の使用人の中では一番だからな。きっと……」
バン!
「おわっ」
「何だ?」
三人が宿泊する部屋のドアが勢いよく開かれた。階段を駆けあがってきたジュリアが息を切らすこともなく立っている。
「エイブラハムが戻って来た!」
◆◆◆
「……で、潜入に失敗した、と」
「そうです。ハーリオン家のお嬢さん方の書類は見せないでおきましたよ?俺だってびっくりしたんですから」
「まさか、エスティアがうちの領地じゃなくなってたなんて……」
ジュリアは呆然としている。アレックスはエイブラハムの説明では理解ができなかったらしく、しきりに首を捻っていた。
「なんで、王家の書状を持っていたんだ?ここを調べるように命令したのはうちの父上だろ?」
「書状に書かれていたのは探索命令ではなく、エスティアを王家直轄領とするという……いわば命令のようなものだな。グランディアは今でこそ、貴族が所領を持ち王家を支える形だが、元々はグランディ家は有力諸侯の一つだった。戦いにより近隣の諸侯を配下にし、グランディ王家に忠誠を誓わない者は領地を奪い……」
レイモンドの説明を聞いているジュリアとアレックスは、口をぽかんと開けている。
「ええと、よく分かんないなあ」
「すみません、俺も」
「……簡単に言えば、ハーリオン家は王家に叛意ありと見做され、領地を奪われたんだろう」
「はんい?」
「試験の出題範囲じゃないよな?」
「……謀反の……ああ、これもダメか。王家の敵だと思われているんだ。領地があれば敵に兵糧や資金を与えてしまうことになるから、王家の直轄という形で取り上げたんだ。コレルダード辺りは荒れていたから、直轄になれば多少、領民の生活はましになるだろうが、ビルクールを奪われてばハーリオン家は困窮するのではないか?」
「ビルクール海運は会社の一つだから、取り上げたりしないよね?」
「分からん。直轄領化の前例がないわけではないが、ハーリオン家ほどの大貴族が領地を召し上げられた例はない。……陛下の御意志で動いているとしか……」
コンコン。
「……レナード、気がついたけど、どうする?」
ドアを開けて入って来たエミリーは、無表情で軽く首を傾げて皆を見た。




