434 悪役令嬢は粉まみれになる
「私とエミリーが同室じゃないの?」
ジュリアはきょとんとしてレイモンドを見つめた。
「レナードは薬が効いたようだが、交代で様子を見た方がいいだろう。それに、この食堂には泊まれる部屋が二つしかない。どちらも定員は二名だ。一部屋はレナードが寝ているから、ベッドに寝られるのは一人だけだ」
「……ベッドが足りないってことね」
「ああ。エミリーは町の人と知り合いだから、泊めてもらえるかも知れないが」
「俺、床でもいいっすよ」
アレックスが話に加わった。ベッドが三つに人間が五人だ。二人が諦めればいいのだが、レイモンドはそれをよしとしなかった。
「ダメだ。戦いで疲れているのだろう。俺が馬車に……」
「レイモンドさんを車中になんて、俺が無理ですって」
後が大変そうだと思ったアレックスが首を振り、話が振り出しに戻った。
「泊まるのは四人ですね。俺、ここには泊まらないんで」
ジュリアの後ろから覗き込むようにして、エイブラハムが三人に告げた。元々凛々しい顔をしていたことがないが、一層彼の表情が崩れている。幸せで緩みっぱなしといった体だ。
「どういうことだ?」
「お嬢……じゃなくて、妻の家に泊まります。神殿で誓った夫婦の契りを、一刻も早く本物にしたいんですよ」
イラ。
ブチッ。
今にも音がしそうだ。
レイモンドがキレそうだとジュリアは思った。あまり空気を読まないアレックスでさえ、場の空気が大変なことになっていると感じたらしく、青ざめて二人の様子を見守っている。
「……そうか。勝手にしろ。父上にはお前が執事見習いに嫌気がさして逃げたとでも言っておこう」
「ええっ?いやいや、それはなしですよ、坊ちゃん」
「なしではない。お前は俺の用心棒だろう?職務を放棄した時点でクビだ。仕事を取るのか、妻を取るのか、どっちだ?」
緑の瞳が鋭くエイブラハムを射抜く。どこか飄々とした彼は、臆することなくにっこりと笑った。
「そりゃあ、妻ですよ」
「ほう……」
レイモンドは満足げに口の端を上げた。
「だそうだ。……ところでジュリア。エスティアの領主館は確か、執事が不在だと聞いたが」
「うん。セバスチャンが亡くなって、勝手に執事のふりをしていたナントカって奴もいなくなったってエミリーが言ってたし、王都に戻ったらジョンに相談しようかと思ってたんだ」
「では、ここにいる男はどうだ?経験不足は否めないが、六年間当家で執事見習いをしてきた。体力が要る仕事は何でも一人でこなせるぞ」
「何でもできるの?」
ジュリアが見上げると、エイブラハムは頷いた。
「執事見習いになる前に、一応お邸の仕事はいろいろやりました。厩舎の管理、庭の手入れ、建物の修繕も」
「セバスチャンはあの邸を殆ど一人で管理していたの。お客さんやうちのお父様が泊まる時だけ、通いで来てくれるお世話係はいたけどね。私はエイブラハムに残ってもらえるなら嬉しい。でも、私の一存じゃ決められないな」
「ですよねえ~」
「では、こうしようか。執事不在の領主館に、騎士団が寝泊まりしている話は聞いているな。ハーリオン家の窮状を見かねて、オードファン家が使用人を派遣したことにしよう。お前は臨時の執事として邸に入り、騎士団の様子を探って来るんだ」
「ええっ?俺が?」
「そうだな……不審に思われないように、夫婦ものの方がいいか」
「マギーさんも一緒に行くの?若い美人が来たら、騎士団が色めき立っちゃうよ?」
「若い女性相手だからこそ、気を許してぺらぺらと話してしまうこともありうる。決まりだな」
「ちょっと待ってくださいよぉ!」
顔を上げてにやりと笑ったレイモンドの前に、エイブラハムは頭を抱えて膝をついた。
◆◆◆
「あなたが来てくれて助かったわ、アリッサ」
馬車の中で、マリナは眉を下げて妹を見た。
通商組合の話し合いは最後まで調整がつかず、再度話を詰めることとなった。ベイルズ準男爵が輸出されているユーデピオレが偽物で、あろうことか毒薬だと口を滑らしたことで、他の出席者は騒然となった。マリナに暴かれて体調を崩したベイルズは、古くから付き合いのある商家の者に部屋から連れ出されたが、彼がいなくなってからは出席者から動揺の声が聞かれた。彼らは、ハーリオン侯爵がビルクール商会を通じて禁輸品をアスタシフォンに輸出していたらしいと知っていたが、具体的に何を輸出していて、何故アスタシフォンで侯爵が捕まることになったのかまでは知らなかった。輸出していたのが薬になる植物の種だと初めて聞いた上に、それはどうやら毒になると知り、アスタシフォン国民に被害が出れば戦争になりかねない事案なのだと分かって騒然となった。ベイルズとマリナ達の話の流れから、どうやら黒幕はハーリオン侯爵ではなくベイルズ側であることは知れたが、ビルクールの領主としての監督責任がハーリオン侯爵にはある。この数年、通商組合の会合を欠席することが多かった侯爵を非難する声が相次いだ。
「すごかったもんね、あの人たち、怖かった……」
思い出すとまた涙ぐみそうになる。アリッサは唇を噛んでスカートを握った。
「アリッサが入ってきても、まだお父様を非難する意見が止まなくて……お兄様役のスタンリー先輩には止められないし、どうしようかと思っていたのよ」
結局、アリッサはあの場で頭を下げた。隣でマリナがぎょっとしていると知りながら、父が会合に出られなかったのは自分が問題を起こしていたからだと一人で謝罪し、これからのために懸命に考えてきた改革案をどうかこの場で検討していただきたいと涙ながらに訴えたのだ。何度もお願いしますと頭を下げた。
「あなたも私も、あの場にいた皆さんから見たら娘のようなものよね。小さい頃はお父様に連れられて通商組合の建物に遊びに行ったこともあったくらいだし」
「だから、最後は引いてくれたのかな……」
「アリッサのお願いを聞いてくれたのよ。改革案は毒薬密輸の真犯人……ベイルズをあぶりだす材料としか考えていなかったから、本気で取り上げてもらえるとも思わなくて。説明も一通りやればいいかって程度で、真剣味にかけていたのね」
「マリナちゃん……犯人を見つけたのは、マリナちゃんだもん。お手柄でしょ?」
「私は彼を糾弾しただけだわ。あの街の未来につながる何かを残したのはあなたよ、アリッサ」
マリナは目を細め、隣に座るアリッサの手をそっと取った。
馬車はすぐに埠頭の倉庫へと着いた。ここはビルクール商会の現場事務所が置かれており、本社とはまた別の拠点である。本社は荷物の輸送を受注し、全体の調整を行うのが主な仕事であり、この事務所では実際にその日に運ぶ荷物をどの船に乗せるかを決めていた。
「アリッサの案だと、この事務所が担っている役割を通商組合で受け持つことになるのかしらね」
「そうね。他の会社の人と一緒に、組合の管理の下で働くことになるのね。課題山積だわ」
話をしながら歩いていると、不意に後ろにいたスタンリーが声を上げた。
「危ない!」
「きゃあっ!」
目の前に積まれた袋が崩れて、マリナとアリッサの前に落ちてきた。袋から小麦粉と思われる白い粉末が舞い上がり、二人は目を瞑った。
「ごほ、ごほ……」
「お嬢さん!?申し訳ございません!お怪我は?」
マリナ達の顔を知るビルクール海運の従業員が駆けつけ、二人を立たせて粉袋を除けた。マリナがスカートを手で払うと、アリッサがマリナの前髪を撫でた。
「粉まみれだよ、マリナちゃん」
「そんなに酷いかしら?」
「うん。……鏡、見てきた方がいいよ?」
鏡がこんな事務所にあるだろうか。疑問に思ったが、建物の奥に着替え用の部屋があるという。従業員の休憩室なのだが、予告なく侯爵が来た時に備えて身だしなみを整える部屋なのだ。
「お父様、思い立ったらすぐ行動するから……」
「ジュリアちゃんと似てるよね」
「あら、夢見がちで空想癖があるところはアリッサにそっくりよ」
「そうかなあ……」
案内されて部屋に入ると、古びた机の脇に鏡があった。大きめの姿見で、壁に取り付けられている。礼を言って二人だけになり、マリナはしげしげと鏡の中の自分を見つめた。
「真っ白だわ」
「睫毛にもついてるよ?ごめんね、私を庇ってくれたのね」
マリナは妹を庇う癖がある。前世からの習慣はなかなか抜けないものなのだ。
「濃いめにお化粧したみた……い……え?」
「マリナちゃん?」
「……嘘……なん、で……」
姿見に映ったマリナは何も不審なところなどない。首を傾げたアリッサの前で、マリナは姿見に手を触れた。
「……セドリック様?」
呟いた瞬間、姿見が激しい光を放ち、目を瞑ったアリッサが再び目を開けた時には、姉の姿はそこにはなかった。
何とか当日中に書けました。




