429 悪役令嬢の掴みはオッケー
通商組合の一階にある事務所に向かったアリッサは、マリナが見たマクシミリアンと思われる人物を探していた。人が多いが、背が高い彼なら目立つはずだ。
「どこ行っちゃったのかな……」
恐る恐る事務所の中を覗いた時、トントンと肩を叩かれ、アリッサはビクンと身体を跳ねさせた。ごくんと唾を呑みこんで振り返り視線を上げると、一番会いたくないが会わなければいけない人物が立っていた。
「……こ、こんにち、は……」
「こんなところであなたに会えるとは思いませんでしたよ。組合へはお父上のご用事ですか?」
「え、ええ、まあ……先輩は何のご用事ですか?」
「あなたに会える予感がしたもので……なんて冗談ですよ」
冗談以外にあり得ないとアリッサは顔を引き攣らせる。
この人が言うと冗談に聞こえないのが恐ろしい。
「アリッサさんと同じようなものです。学院を卒業したら本格的に父の後継者として会社を任されることになりますから、組合の会合にも出ておきなさいと言われまして。現在は父と義兄……姉の夫が業務を取り仕切っているのですが、父は数年のうちに引退しようと考えているので、それまでに私を独り立ちさせたいのです」
「はあ……」
マクシミリアンが嬉しそうに話しているのを見て、アリッサは自分の振った話題が適切だったと自信を持った。だが、どう相槌を打つべきか。
「あなたがここに来ているということは、侯爵様はあなたにビルクール海運を任せようと考えていらっしゃるのですか?私はてっきり、あなたは公爵家に嫁ぐことが決まった時点で、会社の後継者から外されたと思っていましたよ。弟君もいらっしゃいますし」
「後継者は……分かりません。おと……父は、そういう話をしたことがなかったので。私達四姉妹にも、弟のクリストファーにも、義兄にも同じように可能性はあると思います」
「そうですか。……では」
――行っちゃう?二階に行かせたらダメ!
マクシミリアンが去ろうとしていると思ったアリッサは、咄嗟に彼の上着の裾を掴んだ。
「……どうしました?」
――う、うわ、どこにも行こうとしていなかったのに、どうしよう……。
猛烈に気まずい。掴んだのをなかったことにできたらどんなにいいだろう。
「積極的ですね、アリッサさん」
「こ、これは、ですね。違うんです」
彼が期待しているようなものとは違うけれど、アリッサは彼をここに引き留めておきたかった。通商組合の事務所で生徒会の話をするのは不自然だし、「また学校で」と話を終わりにされてしまいそうだ。彼が時間をかけて話してくれる話題は……。
「あの、前に、お話を聞いた件で」
「前の話?」
「私が、アスタシフォンに行くって……」
「ああ、その話ですか。決心がついたのですか?」
「もう少し詳しくお聞きできないでしょうか。できれば、あちらの長椅子で」
事務所の中には、手続きに来た人が利用する椅子がたくさんあった。通商組合に入らなければビルクールの港は使えない。積荷の内容と数量を申告して、書類に組合の承認印を受け、アスタシフォンの港町ロディスに着いたら、現地の事務所で渡すのである。通商組合の印がない書類は受け付けられず、積荷も港に下ろすことができない決まりになっているのだ。書類を受け付けると、調査員が船に行って確認し、書類を持って戻ってくる。今日も人の出入りが慌ただしい。
「構いませんが……人目がありますよ。あなたの容姿は目立ちますから、何やら相談をしているところを聞かれてもいいのですか?」
別のところで話をしようと言うのだろうか。通商組合の建物から出るのは、二人とはぐれる可能性が高く、危険な賭けになってしまう。
「聞かれて困る話ではありません」
「そうですね。あなたがそう仰るなら、そうでしょう」
事務所の片隅の待合椅子へと近寄り、マクシミリアンはアリッサを手招きした。
◆◆◆
「義父の名代で参りました。ハロルド・ハーリオンと申します。若輩者ではありますが、精一杯努力いたします。ご指導よろしくお願いいたします」
「同じく、ハーリオン家長女のマリナと申します。こちらの会合には、幼い頃に父に連れられて参加させていただいたことがございます。……四歳か五歳の頃ですけれど」
会合の席で自己紹介をした。マリナの挨拶に、当時を覚えている老紳士が手を叩いた。
「覚えていますとも。あのお嬢さんがこんなに大きくなって」
「会合の内容は覚えておりません。皆様に可愛がっていただいた記憶しかございませんわ。ふふっ。今日はお手柔らかにお願いいたしますね」
マリナが微笑むと、一同はつられて笑顔になった。
――よし、掴みはオッケー!
内心ガッツポーズをして、そっとスタンリーの背中に手を当てた。
「義父のことでは、皆様にご心配とご迷惑をおかけして申し訳なく思っております。王宮とも情報交換を密にしながら、早期に……」
「そんなこと言ったって、逮捕されたんだろう?」
会合に出ていた紳士の一人が声を荒げた。
「悪いことをしてとっ捕まったんじゃ、この先事業を続けられるもんか。さっさと会社をたたんだ方がいいんじゃないか?」
「侯爵様が捕まったのは何かの間違いだ。私はそう聞いたぞ」
「積荷の検査が厳しくなったのだって、きちんとしていなかったのが悪いだろう。組合の怠慢だ。誰が責任を取るんだ?」
男達は口論を始めた。マリナはスタンリーと顔を見合わせ、ゆっくりと頷いた。
「そのことで、私から提案があります!」
室内に声が響き、一同はスタンリーに注目した。




