423 悪役令嬢は神話を聞く
リングウェイの町に入っても、エイブラハムは速度を緩めることなく馬車を操って神殿の前まで走らせた。
「ひゃー、思ってたより大きい町だねえ」
幌の窓から眺めてジュリアが驚く。駆け落ちカップルの聖地にしては、店が多いような気がした。観光地化しているのだろうか。
「神殿はここだけ、教会と棟続きになっているようだな」
馬車が停まり、アレックスは後ろから飛び出した。辺りを見回しても黒ずくめの集団は追ってきていないように思える。
「やった、先回りできたぜ」
「喜ぶのはまだ早いぞ。ひとまず神殿に入ろう。祈りの間は全ての民に開かれている。追い出されはしないだろう」
レナードを気遣いながら、小走りに建物へと向かう。先頭のアレックスが重い扉を開いて中に入ると、そこは光溢れる美しい空間だった。
「うわあ、綺麗」
「あれ何て言うんだっけ?色がついた窓だぜ?綺麗だな」
建物は古いが、中の装飾は見事で、掃除が行き届いており清潔な印象だった。五人が入って間もなく、奥からこの神殿の神官が出てきた。白髪交じりの黒髪、いわばロマンスグレーの優しそうな紳士である。
「契約の神ティグリアの神殿へようこそ。お祈りですか」
「てぃ……?」
「ティグリアだ。神殿はここだけだったと思うが」
グランディアで信仰されている宗教は多神教で、王都の中央神殿で祀られている全能の神は各地に教会を持っており、それ以外の神は神話発祥の地などに神殿を持っている。リングウェイの町にある神殿はティグリアのものだけだ。
「ええ。その通りです。ティグリア様はこの町の北にある断崖で、海の神イリセアと契約をなさいました。人は海を侵さない代わりに、海の波は人が住む地をこれ以上削らないと。現在でもこの町では漁業が禁止になっているんですよ」
「隣町の奴らが取り放題なんですけどね」
エイブラハムがぼそりと呟き、神官はくすくすと笑った。
「確かに。隣町の神殿はイリセア様を祀っていますから、海との関係が深いのです。愛と豊穣の女神レメイデ様を想うあまり、彼女が逃げ込んだ大地を削ってしまうような激しいご気性ですが、一度お認めになった者にはたくさんの愛を注がれる神様なのですよ」
「あの、ここに来れば誰でも結婚式ができるって聞いたんですけど、本当ですか?」
小説を鵜呑みにしているアレックスが思い切って尋ねた。
「申し訳ありませんが、今は結婚許可証が必要です。許可証があれば、貴族でも平民でも、誰でも結婚式はできますよ。皆様もご存知だとは思いますが……ある時期まで、この神殿は周囲に結婚を反対された恋人達が結婚式を行っておりました。契約の神の神殿で結ばれた契約――つまり婚姻は他の契約に勝ると信じられ、国内でもそのように取り扱ってきたのです」
「理由があってやめたんだね?」
神殿の中を見回しながら、ジュリアが興味本位で言う。
「持参金目当てに貴族の令嬢を攫い、この地で強制的に婚姻を結ぶ輩が現れまして。その当時の神官は道徳にかけた人物でして、金品を受け取り結婚式を挙行していたと聞いております。泣き寝入りするしかなかった令嬢達の家族や本来の婚約者が、当時の国王陛下に訴え出て、当神殿における結婚は他の神殿や教会で行われた結婚と同等であるとお触れが出たのです。結婚式を目当てにリングウェイを訪れる人は少なくなりましたが、それでもこの町が駆け落ちの終着点であることは変わらず、ここまで来れば両家の親御さんもお許しになるようですよ。……どなたか、結婚式をご希望なのですか?」
レイモンドが視線だけでアレックスを促した。頑丈そうな椅子の背凭れを叩いていたジュリアは、不意にアレックスに腕を引かれて驚いた。
「ぅお、何?」
「……ジュリア、結婚しよう!」
「は?」
「は、じゃねえって。そのためにここに来たんだろ?」
「結婚許可証がなきゃだめだって言われたじゃない」
「……諦めるのかよ」
みるみるうちにアレックスが不機嫌になった。口をへの字に曲げて少し尖らせ、横目でジュリアを見ている。二人のやりとりを見ていた神官が笑顔を零した。
「正式ではありませんが、形だけなら式が挙げられますよ」
「だそうですよ。ところで坊ちゃん。俺、馬車を目立たないところに回してきたいんですがいいですかね」
「木の陰に隠して来ただろう?」
「万全を期したいんですよ。……じゃ、行ってきます」
頭の後ろで手を組み、だらだらと歩いて建物を出る姿は、万全を期すタイプにはとても見えない。レイモンドは執事の背中を見つめて目を眇めた。
「神官様、結婚式より先にお願いがあります。上着で分からないけど、彼、怪我してるんです」
ジュリアがレナードを前に進ませる。結婚式を渋られ不貞腐れていたアレックスが、すまなそうに俯いた。
「悪い。俺……」
「アレックスはこれが目当てだったんだから仕方ないさ。結婚式を挙げるなら俺が邪魔だろう?見せつけられてもつらいけどね」
茶化すように言い、レナードは傷口を庇いつつ服を脱ぐ。
「魔法薬は使いましたか?」
「いいえ。手持ちがなくて」
「魔法の核は抜けているように思われますが、念のため、別室で無効化と治癒魔法をかけます」
「神官様は光魔法と闇魔法を習得されているのですか?」
王都から離れた場所では、二属性以上の魔法を使う者が殆どいない。レイモンドが驚いて瞬きをした。
「私は王立学院で魔法を学びました。元は中央神殿の神官でしたから、怪我の処置はお任せください」
温厚な笑みを浮かべ、神官はレナードを奥の部屋へと案内した。残された三人が祭壇を見上げる暇もなく、神殿の壁にある小さな窓が開けられ、身体を折り曲げるようにしてエイブラハムが頭から中に入り、床に転がった。
「何をしている?」
「ヤバいですよ、坊ちゃん。馬車は無事でしたが、神殿の周りをあいつらに囲まれてました。逃げるには床に穴でも掘るしかなさそうですねえ」
首の後ろをぼりぼりと掻いて、適当男は入口側に視線を向けた。




