422 騎士団長の懇願
「頼む!この通りだ!」
床についた太い腕を直角に曲げ、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたヴィルソード騎士団長は、王に向かってがばっと頭を下げた。
「オリバー……」
一人用の肘掛椅子に座って脚を組んでいる王の隣で、膝を揃えて長椅子に腰かけている王妃はおろおろと二人を見た。
「あなた、ねえ、お願い」
愛する王妃の『お願い』にはめっぽう弱いステファン王だが、ボロボロの騎士団長を容赦なく睨んでいる。
「友人だからと言って、許すと思っているのか?」
「許されないのは百も承知だ。全て俺の責任だ。頼む!アレックスとジュリアを捕らえて処罰するのだけは勘弁してやってくれないか」
ゴツ。
平伏しすぎて、額が大理石の床に当たった。顔を上げたヴィルソード騎士団長は、額の中央と鼻の頭を真っ赤にして泣いている。
「お願いだ。うああああああ」
アレックスがヴィルソード家を出奔した事実が明るみになり、王はヴィルソード騎士団長を呼びつけた。ハーリオン家を見張っていた騎士がジュリアと一緒のところを見たと証言したことから、駆け落ちを知っていて隠していたのだろうと宰相に詰め寄られ、騎士団長は苦しい胸の内を吐露したのである。息子には愛する人と生涯を共にしてほしい、と。
「泣きすぎだぞ、オリバー」
王の傍らで呆れ顔のオードファン宰相が、彼の前に跪いて立たせた。
「うう……だってよぉ、ずっと一緒に過ごしてきた幼馴染で、好きあってて、それでも一緒になれねえなんて、俺、うっ、ううっ……」
「オリバーはアンジェラとは幼馴染なんですものね。どれだけつらいか想像して泣いてしまったのよ」
「王女との縁組が決まっていながら逃げるとは、親の監督責任だろう?私はブリジットに相応しい、しっかりした年上の相手をだね」
「あら、それならレイモンドでもいいわよね?どうかしら、フレディ?アレックスより余程しっかりしているわよ」
突然話を振られて、オードファン宰相は狼狽えた。
「レイモンドとブリジット殿下は再従兄妹だ。今の王室から国内では最も近い血縁である当家と婚姻を結ぶのは、何の利益もないだろう。さらに年上にはなるが、他国の王太子妃になる方が国益になる」
「そうだな。あえて国内の有力貴族に降嫁させる理由が分かるか、オリバー?」
「いや、あんまり……」
『全く』の間違いだろうとオードファン宰相は思った。
「ヴィルソード家は武勲で名を上げた家柄だが、代々当主の妻は女騎士だったからか、王家の血が入っていない」
知らなかった、と騎士団長は呟いた。
「オリバーが謀反を起こすとは考えていないし、忠誠を疑ってもいないが、いずれヴィルソード家当主が王位継承権を持つことになれば、家格も上がるだろう。悪い話ではないぞ」
「うちと縁続きになって、王家では何か得するのか?」
「セドリックが世継ぎをもうけずに死んだら……」
「あなた!仮定でもやめて、そんな話は」
「だが、あり得ない話ではない。王族は常に命を狙われているからな。ブリジットが嫁ぎ先で男子を生めば、その子も王位につける。子がいなければ次に近い血縁でセドリックと同世代のレイモンドが王だ。王となるからには、できるだけ身分と実力を兼ね備えた者が望ましい。ヴィルソード家、アレックスは相応しいと思う」
「はあ……俺が何を言っても無駄なのか……」
騎士団長はがっくりと肩を落とした。
「レイモンドも王都を離れた。用心棒代わりに執事を連れて。無事連れ帰るだろうから、説得はそれからでもいいな?」
「ああ。フレディに任せる」
ガタガタガタ……。
ドウン。
「何だ、今の揺れは?」
窓ガラスが揺れて少し割れた。
「下から響いてきたようだが」
「地震……ではなさそうね」
オードファン宰相が目くばせすると、控えていた侍女の一人が頷いて部屋の外に出て行った。すぐに戻ってきて、
「魔法事故のようです」
と短く告げた。
「魔導師団か。魔導士は癖があると言っても、あまりに統率が取れていないな。エンウィ伯爵はどうした?」
「先程、訓練場から魔導士と騎士が地下へ向かったそうにございます」
「地下へ?」
「地下に何かあるのか?」
事情を呑み込めない騎士団長は、苦い顔をした宰相に尋ねた。
「王太子殿下襲撃事件の容疑者を捕らえていたんだ。……地下牢が崩れでもしていたら、我が国随一の魔導士を失うことになるぞ」
廊下から叫ぶような人の話し声と、行き交う足音が聞こえてくる。侍女が再び顔を出し、通りすがりの者から情報を得る。
「結界が破られたそうです。容疑者の魔力を吸収していた魔法石の山を誤って床に落としてしまい、魔力が一気に弾けてあのような揺れが起こったとか」
「結界だと?」
「はい。王宮の警備のために、魔導士達が再度結界を張る準備をしております。残念ながら、牢にいた囚人は、魔法抑制装置を破壊して逃げたそうです」
「装置を破壊するなんて、聞いたことがないわ」
王妃が目を丸くした。王は驚いて口を開けている。内容が理解できない騎士団長も同様だ。唯一冷静な宰相が、一人廊下に出て行った。
「脱獄、か?」
「ああ。すぐに騎士に追わせろ。……行き先は……ハーリオン侯爵令嬢のところだろう」
騎士団長は涙と鼻水をハンカチで無造作に拭うと、金色の瞳をぎらぎらさせて王の私室から退出した。
当日中に書き終えられず、また日付が変わってしまいました。(泣)




