418 悪役令嬢は布を裂く
レナードに肩を貸しながら、何とかして商店街の裏通りまで逃げた。
閉店の告知が貼られている店の前で、アレックスはゆっくりとレナードを座らせた。隣にジュリアが背中の荷物を下ろし、いそいそと中身を出し始める。
「アレックス、薬草と包帯は?」
「傷薬の薬草は持って来なかった。包帯は……あー、これしかないか」
アレックスが取り出したのは幅が広い白い布だった。ジュリアが胸に巻いていたものと同じで、捻挫した時に固定するのに使えるものだ。ジュリアは適当な幅のところに歯を立てた。ビリビリと端まで一気に切り裂く。
「傷口を見せてもらえる?」
「服、脱がすぞ。少し寒いけど我慢な?」
袖を抜き、顔を顰めてレナードが上着を脱いだ。白いシャツが真っ赤に染まっている。アレックスはボタンを外して彼の肩を出し、傷口をじっと見つめた。
「魔法の核は残っていないみたいだな」
「アレックス、そんなの見て分かるの?」
「騎士団の訓練場に遊びに行った時に教わったんだ。魔法の核が残っていると、傷口が光るらしいぞ。光魔法なら金色、闇魔法なら紫色にさ」
「レナードの肩は光ってないね」
「あとは止血して、できればどこかで傷薬を買えればいいな。この街はあいつらの支配下だから、他の町で買おう。レナード、ゆっくりでいいから歩けるか?」
自分を気遣う二人に、レナードは俯いたままだった。
「……アレックス、ジュリアちゃん」
やっと顔を上げた彼の瞳から涙が溢れた。
「俺……やっぱ二人には敵わないな」
はは、と弱々しく笑う。
「さっさと傷を治してもらわないと。私達の練習相手がいなくなっちゃうよ」
「ああ。魔法陣へ急ぐぞ」
◆◆◆
「これといった収穫はなしだな」
レイモンドは首のストールを巻き直して空を見上げた。間もなく夜が明ける。アレックスとジュリアはどこで夜を越したのだろうか。雪は降らなかったが、この街は夜間かなり冷えるところだ。寒さで体力を奪われていなければいいと思う。
「んー、このパン、なかなかうまいっすね」
「どこまでも不謹慎な奴だな。俺達は人探しをしにきたんだぞ。美味いもの探訪ではないんだぞ」
「ふぁーい。すみません。さっきのパン屋といい、犬の散歩をしているおじいちゃんといい、ろくな証言はありませんでしたね。本当に坊ちゃんのお友達は、この街に来たんでしょうか」
「疑うのか?」
「証拠もないでしょう?」
「……ああ、証拠はない。二人とは付き合いが長い。パン屋も行きそうな店ではあったが、食事もせずにいるのか……」
「心配ですね。寒くて腹が減っているとなれば。俺が思うに、お二人はこの街を出たんじゃないかと。魔法陣で着いて、すぐに目的地に向かったとは考えられませんか?」
「リングウェイか」
「体力自慢の剣技科なら、歩いて行く体力は十分でしょう?」
エイブラハムに持たせていた荷物から地図を出して広げて見る。
「山道のようだな。リングウェイは山を越えた先だ」
「まあ、どっちに行っても山ですしね。けもの道でないのが救いですかね。ほらここ、馬車が通れるって書いてあります。街で馬車を借りて追いかけましょうか」
「行ってみるか。いなければ引き返すのみだ」
「御意。んじゃ、ちゃっちゃと馬車を借りてきますね」
街の広場にある悪趣味な銅像の前で、レイモンドはしばらく執事を待った。暇に任せて背凭れにしていた銅像を仰ぎ見る。自称前衛芸術家が作ったそれは、人のような獣のような、タコのような……一見して何の形か分からない。台座に書かれている作品名を読もうと、指先で雪を払った。
一読して心臓が音を立てた。
「……『乙女と命の時間』だと?」
言われてみれば、時計らしき円盤を人が抱えているようにも見える。顔には表情がないが、人だとすれば打ちひしがれているような体勢だ。
「これ、は……」
ポケットから手帳を出し、作者の名前を書き留める。
「坊ちゃん!」
レイモンドが振り返るのと、エイブラハムが馬を嘶かせて馬車を操ってきたのは同時だった。新しくはないが御者席が前に着いた幌馬車だ。後ろから飛び乗る仕様でも、屋根があるだけありがたい。いざとなったら野宿もできそうだ。
「お待たせしました。なかなかいいでしょ。新しい馬車が買えるだけのお金を渡して買い取って来ましたから、俺が馬車を脱輪させても心配無用ですよ」
ややくたびれた馬を撫で、エイブラハムはひらりと御者席から下りた。
「くれぐれも脱輪させないでくれ。……リングウェイで二人を見つけたら、またここに引き返すぞ。調べたいことができた」
「もしかして、後ろのタコ像ですか」
「乙女だと書いてあるぞ」
「俺にはタコにしか見えませんが。これがどうしたんです?」
「この像にモデルがいるなら、乙女……彼女はある魔法にかかっていたのではないかと思う。詳しくは言えないが、乙女を知る者に話を聞きたいんだ」
「分かりました。お話を伺うなら時間がかかりますもんね。先にリングウェイを見に行きましょう。……後ろにお乗りなら、手を貸しますよ?」
「要らん。一人で乗れる」
荷台に足をかけて飛び乗り、藁が散っている床を蹴り飛ばし、レイモンドは奥へと進んだ。ここからなら御者席が近い。話もできそうだ。側面についている布を持ち上げると、小窓から馬車の外が見える。窓の向こうを眺めていると、後方の幕が下ろされた。
「座っていてくださいよ。出しますんで」
「分かった」
◆◆◆
魔法陣がある小屋の近くまでたどり着き、ジュリアとレナードを森の中に隠し、アレックスは一人で小屋へと向かった。
ジュリアと歩いてきた時より、道の雑草が踏み荒らされている。
「誰か通ったか……」
人の気配を感じ、すぐに背の高い茂みに隠れる。小屋の戸が開いて、黒い服を纏った魔導士風の男達が出てきた。自分とジュリアを襲った連中だと、アレックスは即座に判断した。ここにジュリアと負傷したレナードを連れてきてはいけない。一歩引いて逃げようとした時、足元から音がした。
パキッ……。
乾いた木の枝を踏んでしまった。アレックスは一気に青ざめた。
「誰だ!」
「おい、誰かいるぞ!」
背中に黒ずくめ集団の声を聞きながら一目散に逃げる。ジュリア達のいる木の陰まであと少しだ。
「ジュリア!レナード!逃げろ!」
声に気づいたジュリアが立ち上がり、レナードを引き上げる。
「町の中まで走ろう。人目があれば……」
「大きな通りは向こうだ。行くぞ」
レナードの腰に腕を回し、アレックスが道路を横切ろうとした瞬間。
「うわぁっ!」
馬の嘶きが聞こえ、馬車の車輪が軋む音がした。




