413 公爵令息は行き先を怪しまれる
【レイモンド視点】
「お客様がおいでです」
「こんな時間にか?」
「はい。お急ぎのようでして……」
執事も困惑しているようだ。寝る支度をしていなかったからすぐに客間へ行く。
ドアを開けると、そこにはいつものスタンリーがいた。どうも洋服のサイズが合っていないように思う。椅子から立ち上がり、俺に駆け寄って手を取った。
「ああ、レイモンド!よかったぁ……まだ寝ていなくて」
「俺は寝るのが遅いんだ。これから本を読もうと思っていたくらいだからな。どうしたんだ、急ぎの案件とは……」
スタンリーは周りにいる使用人をちらりと見た。成程、人払いをしてほしいのか。
「……俺が呼ぶまで二人きりにしてもらえないか」
「かしこまりました」
執事と侍女は紅茶のワゴンを置いて出て行った。カップには注がれていて、俺はその一つをスタンリーの前に置いた。
「これを……」
使用人がいなくなったのを確認し、スタンリーは上着の胸元から封筒を差し出した。
「俺に?」
「アリッサ嬢から届いたんだよ。どうやらハーリオン家の使用人は見張られているようだね。オードファン家やヴィルソード家、もちろん王宮にも、手紙を出すのもままならないとは……」
「俺が邸を訪ねた時も、馬車の後ろから騎士団がついてきていた。王宮では、ハーリオン侯爵家は家族ぐるみで悪事を働いていると思っているからな。……どれ、開けて見るか」
「手紙は僕あてだった。君に魔法陣のことを知らせてほしいと書いてあったよ」
「市場の魔法陣か。確かに、誰でも利用できて、乗合馬車より安上がりだ。転移魔法を使えず、路銀を持たない二人が遠くまで行く手段としては、これ以上のものはないだろうな」
アリッサの手紙には、市場の転移魔法陣の行き先が細かく書かれていた。アレックスが行こうとしていると思われるリングウェイの町まで、最寄りの転移先はノーゼウィンクだ。農業以外にこれといった産業のない北の町だが、近隣の農村地帯から農産物を集めて市場に出していると聞く。王都から遠く、馬車で運ぶ間に野菜が萎れてしまうため、市場と魔法陣で繋いだらしい。
「分かった。俺は魔法陣の転移先……ノーゼウィンクを探そうと思う。君はアリッサに知らせてくれ。……そうだな、ついでに見当違いの方向を探してもらうか」
「見当違い?どういうことかな?」
「アレックスとジュリアがいなくなったという話は、ヴィルソード侯爵から騎士団にも伝わっているはずだ。ハーリオン家としてはジュリアを探さないのはおかしいだろう?目立つように家から出てビルクールの港でも歩けば、二人が船に乗ったと勘違いして騎士団はそちらに人員を割くだろう。俺が行く場所とは反対の方向に」
スタンリーはうんうんと頷いた。
「面白い。僕も彼女達に同行しようかな。銀髪のハーリオン姉妹に金髪の男が一緒にいたとなれば……」
「またハロルドの真似か。あいつはあまり顔が知られていないからな。アスタシフォンで捕まっているはずの男が現れたら騎士団も混乱するだろう」
スタンリーは紅茶を一口飲んだ。
「ところでレイモンド。君、約束を忘れていないよね?」
「エミリーのガーターベルトだろう?いい働きをして直接交渉することだな」
「よぉし。待ってておくれ、美脚の君!」
すっくと立ち上がり、スタンリーはレイモンドの手を握ってぶんぶんと振り、笑顔全開で部屋を出て行った。
◆◆◆
俺は自室に戻って支度を整えた。
ノーゼウィンクは寒い。防寒対策にマントを着こみ、肩掛け鞄に地図と路銀、少しの着替えと小ぶりの魔法石をいくつか持った。いざという時は、これを投げつければ爆発が起こる。大きな衝撃を加えない限り爆発はしないから、一緒に皮袋に入れて鞄の端にくくりつける。
夜遅く、使用人達がいなくなったのを見計らい、そっと廊下に出た。
公爵邸はいくつもの抜け道がある。大通りに面した邸で外灯が明るく、表から出るのは目立ってしまう。庭に出て裏門から出るか。
今晩は月明かりが乏しい。庭に面した通用口から出ると、足元は殆ど見えない。光魔法球を持って来ればよかったと悔やむ。俺は地属性と水属性は得手だが、夜の闇では何の役にも立たない。……と、背後で細かい枝を踏む音がした。
――誰かいる!
足音を立てずに建物の壁に身体を寄せる。薄い月明かりが届かないぎりぎりの場所だ。後ろから歩いてくる人物が月光に照らされても、俺は見えないはずだ。
パキ、パキパキ……、ザッ、ザッ……。
――来た!
ぽん。
「坊ちゃん、こんな夜中に何してるんです?」
「……エイブラハム」
「あ、俺ですか?俺はねえ、ちょぉっと街をぶらぶらして今帰ったところなんですよ。誰かに見られたらアレなんで、こっそりとね」
口元に人差し指を当て、しーっと言いながら片目を瞑る。成程、普段着のシャツの襟元には口紅がついているし、酒の匂いがする。どこへ行って来たのか想像に難くない。
「俺は、散歩だ」
「散歩?真っ暗じゃないですか。……あ、坊ちゃんもいよいよ、ですか?」
「いよいよ何だ?」
「そういうことなら、俺の行きつけの店を教えますよ。皆可愛い子揃いで、坊ちゃんが好きそうな童顔でグラマーな子も……」
エイブラハムの顔が緩んだ。いや、先ほどから緩みっぱなしだ。
「煩い。俺はそういう場所には行かん。……散歩だ」
「散歩にしちゃあ、大荷物ですよねえ」
顎に手を当て、じろりを俺を見る。分かっているのに俺の口から言わせたいのだ。嫌味な奴め。
「遠くまで散歩に行くからな……口止め料でも要求するつもりか」
「しませんよ。坊ちゃんの用心棒兼執事としては、置いて行かれて寂しいなと」
「ほざけ。この酔っ払いが」
「悪いことは言いませんから、俺を連れていってくださいよ。魔法石なんかよりずっと役に立ちますよ?」
なぜ荷物に魔法石を入れたと知っている?
倉庫から持ち出したのにいつ気づいたんだ。侮れない。
「……仕方ない、同行を許す。置いて行っても父上に報告するんだろう?」
「はい。坊ちゃんが大人の階段を上りに夜の町へ行ったと報告しますよ」
「だから、違うと言っているだろうが!」
着崩したシャツの襟を引っ張って睨むと、エイブラハムは「おーこわ」と言ってへらへらと笑った。




