410 悪役令嬢は焦らない
「アリッサ様、お手紙が届いておりますよ」
リリーが持ってきた手紙には、見たことがない封蝋が押されていた。
「誰かしら」
受け取って差出人を見る。ドクリ、と心臓が跳ねた。
――マックス先輩からだわ。
アリッサの天敵、二重人格男のマクシミリアンが、休みが終わる前に連絡を寄越すとしたら、用件は一つしかない。アスタシフォンにいる母から、父ハーリオン侯爵の無実の証拠を受けとり、二国間の貿易を正常な状態に戻すことだ。
封を切ってざっと読むと、先日言われたのと同じような内容が書かれている。
「……切羽詰まっているのね」
アスタシフォンに行くなら、姉妹には告げずに家を出てこいとある。馬車で王立学院まで来ればいいと。
どう返事を書いたものか、アリッサは頭を悩ませた。
王太子妃候補から外されてもなお、一挙手一投足が注目されているマリナや、五属性持ちで出国に監視の目がついて回るエミリーと違って、比較的自由が利くのは自分だ。ジュリアがいない今、動けるのはやはり……。
「お返事はいかがなさいますか?」
「後で書くわ。……それと、ジョンに書斎へ来るように言ってくれる?」
「旦那様の書斎に?」
「うん。調べたいことがあるの」
リリーは他の侍女に言づけて、ジョンを書斎へ向かわせた。自分はアリッサを書斎へ連れていく。
「ありがとう。お父様の書斎に来ることってめったにないから、迷いそうだったわ」
「お嬢様……」
眉を八の字に下げて、リリーはアリッサを見つめた。このお嬢様がお邸の中で迷わなくなるのはいつのことだろう。ひょっとしたら、嫁ぐ日まで覚えられないでままなのだろうか。
「失礼いたします」
ジョンが入室し、リリーは一礼して去った。
「お呼びですか、お嬢様」
「うん。あのね……ビルクール海運のことなんだけど」
「なんでございましょう。旦那様がご不在の折、何か不手際がございましたでしょうか」
「違うわ。アスタシフォンとの貿易の現状を教えてほしいの。……実は、ある人から、うちのお父様がアスタシフォンに足止めされたことで、貿易に影響が出ているって聞いて。本当かしら」
「影響……ですか?そうですねえ、ビルクール海運本社からの報告では、古くからの顧客は離れていないそうです。一度に取り扱う貨物の量もほぼ変わりはないと聞いています。ただ、グランディアを出る時とアスタシフォンに着いた時、二回行われている検査がより厳しくなったことで、港に留め置かれる期間が長くなって、相手先に届くまで時間を要するようになりました。その間、船に積んだままになりますので、一隻の船がひと月に往復する回数は減ったでしょうか。検査にかかる日数を短縮できるよう、努力はしていると申しておりました」
「検査が厳しくても、うちの船は大丈夫なのね?」
「はい。元々自主的に同じような検査をしておりましたし、実際の積荷と帳簿が合わないなどということもございません。今回のことで困っているのは、いい加減な取引を繰り返してきた他の船会社でしょう」
ジョンの話を聞く限り、ハーリオン侯爵から直接指示を受けられないことを除いて、ビルクール海運の事業には大きな支障は出ていない。マクシミリアンの実家のベイルズ商会が、杜撰な管理をしてきたのであれば、毎回の検査は苦になるだろう。ビルクール海運を使わなくなった顧客がベイルズ商会に流れて、取扱量が増えたのならなおさらだ。
母から父の無実の証拠を受け取り、父が解放されたとしても、検査はしばらく続くだろうし、忽ち効果が表れるものではないだろう。
――マックス先輩の話は、嘘ね。
侯爵が身柄を拘束され、侯爵夫人も戻らず、各地で明らかになったハーリオン家の領民への重税に、マリナは王太子の妃候補から外された。ハーリオン侯爵家は没落への道を辿っているように見える。没落令嬢となった自分を手に入れようとしているマクシミリアンは、侯爵家の没落が決定的になるように、使い勝手の良い手駒が欲しいのだ。アスタシフォンに渡れば、グランディアの国益を損なうような何かをアリッサがしたことにされるのではないか。義兄がそうであったように。
絶対にベイルズ商会の船に乗ってはいけない。真相を調べる方法は他にあるはずだ。
――そうだわ!
ビルクールまで行かずとも、アスタシフォンに行く方法ならある。
◆◆◆
「アリッサ、もう一度言って頂戴」
マリナが渋い顔をした。
「だからね、図書館からアスタシフォンに行くの」
「……魔法陣か」
「うん、エミリーちゃんも知ってるのよ。ノアはそこから王都に来たんだもの」
「……本を運ぶための転移魔法陣で行くの?」
「危ないわ。向こうに誰がいるか……」
「少なくともノアに魔法陣を使わせてくれた協力者はいるのよ。ノアと一緒に行けば……」
「却下よ。調査ならリオネル様やルーファスがやっているでしょう。その証拠にノアがこちらへ来ているのだもの。彼らから情報をもらうのが先よ。ノアに連絡を取れる?」
「図書館で待ってる、とか?」
「図書館にはアイリーンも出入りしてた。……鉢合わせはしたくない」
エミリーが腕を組んだ。
「……探索、できなくはないけど?」
机の上から魔法書を取り、エミリーは指先を触れずに本を開いた。




