409 少年剣士はつきあいでマントを買う
ドアが開いた音がした。靴音がする。
天蓋で視界が遮られ、ジュリアには入って来た人物が分からなかった。カーテンが揺れて、恐怖のあまり目を閉じた。
――来る!
「……まだ、寝ているの?」
聞き覚えがある声に身体が震えた。
「あ、やっぱり起きてたんだね」
「レナード……」
ジュリアの顔を覗きこんでいたのは、見慣れた茶色い髪の猫目の男だった。
「お願い、手首を」
「だーめ。そのお願いは聞けないよ?」
冷たい指先がそっとジュリアの腕をなぞった。シャツの袖が捲られ、剥き出しになった腕には鮮烈な感触だった。
「これ、外したら逃げちゃうでしょう?俺、せっかくジュリアちゃんをもらったのに」
「もらう……?」
「そうだよ。ある仕事と引き換えに、俺はジュリアちゃんをもらったよ。だから……」
シャツの首元が寛げられた。指先がジュリアの首から鎖骨へと下がってくる。
「何をしても、いいんだよ?」
――レナード、変になってる?
「レナード、ねえ、どうしたの?変だよ?」
「変?だとしたら、俺を変にしたのはジュリアちゃんだよ。俺がいる前で、アレックスと仲良くしたり……」
「レナードもアレックスと仲良しじゃないか!私にこんなことして、アレックスは?アレックスは無事なの?」
「知らないよ。今頃皆で丁重におもてなししてる。剣もないのに一戦やり合おうなんて、流石はアレックスだね。何も考えてなくて面白い」
ギシ……。
ベッドが軋む。レナードはジュリアの左側に上がり、身体を覆うように腕をついて閉じ込めた。
「こんなこと、許されないよ?」
「許す?誰がそんなことを決めるの?俺は俺の欲望に忠実なだけ。ジュリアちゃんに俺の痕跡を刻み付けたいんだ」
腕を曲げ、レナードの顔がジュリアの首筋に近づいた。
「好きだったんだ、ジュリアちゃんのこと」
ちゅ、と口づける。
「ま、待って!ねえ、仕事って何?」
レナードの唇が止まった。
「私を好きにする代わりに、レナードがする仕事って……」
「言えない」
「教えて?レナードを危険な目に遭わせたくないの!」
いつかの悪夢を思い出す。監禁されて傷つけられる夢を。あの時の騎士は、もしかして彼なのではないか?レナードは騎士にはなっていないから、今怒っていることは違うイベントなのか。
弱々しく頭を振り、悲しげに瞳を細めた彼に、ジュリアは手を伸ばすことができない。
「ジュリアちゃんは……俺を心配してくれるの?」
「当たり前だよ、友達でしょ?」
「友達、か……」
くす、とレナードは笑みを零した。
「ね、ジュリアちゃんは……友達とこんなことするの?」
シャツの袷に指をかけて一気に引く。ボタンが飛んで、男装のために布を巻いたジュリアの胸が露わになった。
「レナード……やめて……」
声が震えた。恋人のアレックスにも触れられたことがない身体に、レナードの指が滑っていく。布の上から腹部へと。
「俺に、ジュリアちゃんを頂戴?」
鎖骨の下にキスマークをつけながら、レナードは上目使いでジュリアを見た。
「あ、あげないっ!」
「……っ、はは、あはははは!」
「レナード?」
「面白いね、君は。こんな時に……」
レナードはテーブルに手を伸ばした。ジュリアの頭側にあり、何が置いてあるのか見えなかった。彼が姿勢を戻すと、その手には銀色に光る短剣が握られていた。
◆◆◆
「ちくしょぉおお……」
アレックスはノーゼウィンクの町を歩いて途方に暮れていた。
自分とジュリアを襲った黒ずくめの連中は、ジュリアを羽交い絞めにして薬を嗅がせて連れ去った。それも、転移魔法で。
「俺に魔力があったら……!」
広場の噴水の縁に腰かけ、アレックスは地団駄を踏んだ。転移魔法を追うのは難しいが、発動を止めさせる魔法が使えたらよかったと思う。ジュリアは攫われ、後の祭りでしかないが。
「あいつら、ジュリアを狙っていたのか……」
追っては自分に向けられたものとばかり思っていたが、フロードリンの残党がノーゼウィンクまで流れてきていたとは。ジュリアを攫ったのは、領地管理人の横暴を暴いた自分への復讐だろうか。犯人からの要求はない。
「王都に帰るか……?でもなあ、帰ったら……」
帰れば今度こそ家から出してもらえず、ジュリアは攫われたままになる。
――俺がジュリアを助けたい。
アレックスはすっくと立ち上がり、近くの店に駆け込んだ。
「すみません、ちょっと教えてください」
暇に任せて新聞を読んでいた店主は、ずり落ちた丸眼鏡を動かしてアレックスに焦点を合わせた。
「なんだ、剣士様か?」
正確には違うが、剣士のふりをしている。アレックスは頷いた。
「この町の領主に挨拶したいんです。お邸の場所と、お名前を教えてください」
「領主様のお邸は、この町にはねえよ。ずっと北のクムザって街にある。ここよりでかい街だから分かるさ」
「そうですか。お名前は?」
「あー、と、ちょっと待ってな。……おーい」
店主は奥から妻を呼んだ。エプロン姿の妻は、ころころとした身体を揺らして夫の傍に立つ。
「なあ、新しい領主様、名前何て言うんだっけ?」
「新しいったって、先代様がお亡くなりになって、何年も経つんだよ?」
「いいから、名前だ名前」
「グレゴリー様だよ」
「……だそうだ。これでいいか?」
「うーん……」
貴族名鑑を読んだこともないアレックスは、グレゴリーという名の貴族が思う浮かばなかった。
「ああ、エンフィールド侯爵様のことだよ」
「エンフィールド……」
地図帳を開き、ノーゼウィンクを探す。街道沿いの手前に現在地がある。そして、広大な山地を領地として持つのは……。
「領主名……エンフィールド公爵か……」
協力を求めるのは難しそうだ。アレックスは店主に礼を言い、フードがついたマントを購入した。次第に強くなってきた風雨に赤い髪を乱しながら、ジュリアの無事を祈った。




