408 悪役令嬢は逃避行の記憶をたどる
顔に光が当たり、ジュリアはゆっくりと目を開けた。
――ここ、どこ?
自分はジュリアだ。それは分かる。問題は今いる場所がどこなのか。同行のアレックスはどこにいるのか。
顔を左右に傾けて真横を見る。男装していた上着を脱ぎ、白いブラウスが見える。身体の下はベッドだ。シーツが見えた。
「一応、ベッドに寝てる……?」
ジュリアは記憶を呼び起こそうと頑張ってみた。左右に十分な幅があるベッドは、どう見ても安い宿屋のそれではない。見上げれば天蓋がついている。厚く垂らされたカーテンの向こうに何かがあるのだ。
――起きなきゃ!
鍛えられた腹筋を使ってガバッと起き……られない。
グンと手首が引かれ、背中がまたシーツに落ちた。
「な、に……?」
再度顔の横の腕を見る。腕は頭の上の方へ向かっており、手を挙げようとすると重さがかかった。
――金属で固定されてる!?
全く動かないわけではないが、手首についた枷のようなものは、重い鎖に繋がっており容易には動かせない。起き上がれないのはそのためだ。
「なんで、こんなことになったんだっけ?」
◆◆◆
夜中にハーリオン侯爵邸を出発したジュリアとアレックスは、エレノアが持っていた本の通りにリングウェイを目指さなかった。ある程度遠くまで一気に行けば、追手がかかっても見つかりにくいだろうと、市場にある魔法陣を使おうとした。
「乗合馬車もいいかなって思ったんだよ」
市場まで徒歩で向かいながら、アレックスは自分の構想を話し出した。考えは分かったが、現状は非常に厳しい。アレックスは行き当たりばったりで邸を抜け出してきたため、お金は全く持っていなかった。ジュリアは銅貨を中心にいくらかのお金を持ってきており、当面はそれで凌ぐしかない。所持金が尽きる前に、アルバイトでも見つけようと思っていた。
「アレックス、馬車に乗るお金は持ってきたの?」
「……持ってない。だから困ってるんだ。俺、学院でも買い物しねえし」
「食事代も三日分くらいしかないよ?……仕事がそう簡単に見つかるか……」
「行くしかねえよ、ジュリア。とにかく、一緒に魔法陣に飛び込もうぜ」
二人が選んだ魔法陣は、市場に設置された魔法陣のうち、最も遠くへ飛ぶものだった。白い光に包まれ、降り立ったのは粗末な建物の中だった。
「ノーゼウィンクかあ。ジュリアは来たことがあるのか?」
「全然。どこだか分かんないよ。アレックス、背中の荷物に地図帳を入れてきたんでしょ」
「そうだった。ちょっと待て」
建物から出て、僅かでも灯りがある方へと移動する。どうやら、魔法陣のあった建物は町はずれにあり、老朽化しているところを見るとあまり使われてはいないようだ。
「なんか、寂しいところだね」
「そうだな。……えっと、王都がここだろ?ノーゼウィンク……」
「後ろに索引があるよ。貸して」
ジュリアは要領を得ないアレックスから地図帳を取り上げ、バラバラとめくって索引を見た。
「Aの1……地図の端だね。ほらここ」
「すっげえ山じゃん」
「山の中の町なんだね。アレックスが印をつけてたリングウェイはここだから、歩いて行けなくはないと思う。お腹がすかなきゃだけど」
「我慢できるのか、ジュリア。俺はできるぜ?」
言っている先からアレックスの腹の虫が鳴いた。
「……」
「悪い。やっぱ我慢できねえや」
苦笑いして赤い髪を掻く。
「私もお腹すいた。……うん。ノーゼウィンクの町に出て、旅の装備を買って食事を取ろう。あとは、この道に沿ってひたすら歩くか、途中で馬車に乗せてもらおう」
「乗せてもらう?乗合馬車か?」
「ううん。通りかかりの人にお願いするんだよ。やり方は後で教えるね。まずは腹ごしらえだ!」
明け方のノーゼウィンクの町は、ひっそりと静まり返っていた。元々あまり人が住んでいないのか、活気あふれる町ではない。いつ開くのか分からない商店が疎らに並んでおり、所々民家の灯りが見える。
「朝になったね」
「眠いか、ジュリア?」
「うん」
「肩、貸してやるから寝ろよ。店が開いたら起こしてやる」
「アレックスも眠いでしょ?」
「俺は寝なくても大丈夫だから。な?」
ふわりとマントがジュリアの肩を包んだ。温かい腕を感じて幸せな気持ちになる。
「……ありがとう」
そっと頬に触れるだけのキスをすると、アレックスは向こうを向いて頬を染めた。
◆◆◆
――そうだ。アレックスと町に出て……。
店に入った記憶はない。
「起きろ!ジュリア!」
耳元でアレックスが絶叫し、もう少し優しく起こしてくれと文句を言おうと目を開けると、二人は黒ずくめの集団に囲まれていた。
「こいつら……フロードリンにいた奴らか?」
「服装は同じだけど、中身は違う人かも。仲間みたいだけど……」
「ノーゼウィンクも黒い奴らに乗っ取られていたなんてな。行くぞ!離れたらさっきの場所で落ち合うぞ」
「了解っ!」
二人は同時に腰の剣を抜き、背中合わせになって身構えた。持っているのは剣士の剣ではなく練習用のものだ。相手は六人……いや、また増えて十人になった。無事で済む気がしない。
「よし、三人目っ!」
ジュリアと対峙した黒服の男が膝をつきうつ伏せに倒れた。四人目の剣と剣がぶつかり、甲高い金属音がした瞬間、ジュリアは後ろから口を塞がれ、気を失った。




