406 公爵令息と残念な手紙
【レイモンド視点】
新年のパーティーを間近に控えたある夜、俺宛に手紙が届いた。差出人はAとある。
既視感のある筆跡に目を細め、ペーパーナイフで封を開けた。中に入っていた便箋は皺くちゃになって一部が破れている。
――何だ、これは。
人に宛てて出す手紙がこんな風になっているのを初めて見た。失礼にもほどがある。
◆◆◆
レイモンドさんへ
こんばん●は。
お元気ですか。おれ、僕は元気です。
とつぜんですが、おれたち、かけおちします。
王女様にはごめんなさいって言っておいてください。
さがさないでください。
どこかぬおちついたら、また手紙を書きます。
アレックスより
◆◆◆
――いろいろと信じられず、俺は手紙を何度も見た。
まず一つは、文面が幼稚なことだ。挨拶の綴りを間違ってインクで塗りつぶした時点で、王立学院の生徒として入学の水準に達していないのではないかと思う。後半、「どこかぬ」とは何だ?「どこかに」ではないのか。
二つ目は、かけおちという言葉がアレックスから出たことだ。恋愛小説も読まず、ゴシップ記事にも目もくれないあの筋肉至上主義男が「かけおち」だと?同行しているのはジュリア以外に考えられないが、あの二人は調子に乗るとどこまでも突っ走ってしまうところがある。思い止まらせる誰かがいればいいのだが。
三つ目、これはもう、どうしたらいいものやら。アレックスはブリジット王女の夫候補として公式の場に出たくなかったのだ。だからと言って、国王陛下のご決断を反故にして逃げ出すなどあってはならない。父が騎士団長という重要な役職にあり断ることはできないが、発表を延期していただく方法もあっただろう。解決策まで思い至らず、後始末を俺に押しつけて、あいつは逃げたのだ。
落ち着いたら手紙を書くとある。
魔法が使えないあの二人なら、連絡手段は手紙だろう。次の手紙が来たらどこから届いたかすぐに調べて追っ手をかけよう。アレックス自身は何ともなくても、一緒に逃げたのがハーリオン侯爵令嬢だとなれば、またあらぬ噂が立つ。悪い印象は侯爵の無実を証明する妨げになる。
「手紙を持ってきたのは誰だ?」
「ヴィルソード家の侍女です。レイモンド様にお伝えしたいことがあるそうで、向こうで待っております」
◆◆◆
執事に呼ばれて部屋に入って来たヴィルソード家の侍女とは、学院の男子寮で何度も見かけたことがある者だった。確か、名前はエレノアとか言ったか。俺より二つか三つ年上の美しい金髪の侍女だ。
「話、とは?」
「レイモンド様に、こちらをお貸ししたく……」
彼女が差し出したのは、装丁が美しい小さい本だった。
「小説か」
「『愛の逃避行~最果ての地に祝福の鐘は鳴る~』という恋愛小説です。王女様とのご結婚の話が出た後で、アレックス様は私が持っていたこの本に興味を示されました」
「なるほど。これに書いてあるように逃げようと言うわけか」
「恐らく、そうなるかと思います。アレックス様はすぐ感化される方ですし、地図を見て何度もリングウェイへの行き方を確認していらっしゃいました。小説を読むことはなさいませんでしたが、物語にある道順を紙に書きだしてくれと、私に求められました」
「ふむ……物語の内容は承知している」
「えっ……」
侍女は目を丸くした。執事も驚いている。そんなに驚くことだろうか。
「坊ちゃまがこのような本をお読みになるとは……」
「アリッサに薦められてな。なかなか興味深かった」
主に、アリッサがどういう言葉にときめくのかが分かった。話の中心は駆け落ち道中だが、彼女は駆け落ちには興味がなさそうだった。
「で、俺にそれを見せるということは、監視しろと?」
「お二人は正式な剣士ではありません。身なりのいい少年達が供も連れずに歩いていれば、悪い輩に目をつけられましょう。旦那様はおろおろ熊のように歩き回るばかりで、ご懐妊中の奥様にはお知らせしておりません。当家の者が足取りを追いましたが、見失ってしまいまして」
「見失う……?出発したばかりなのだろう?」
「夜中にお邸を抜け出されたようです。小説の通りなら乗合馬車で向かったと思われるのですが、お二人を見た者もおらず……」
アレックスは燃え立つような真っ赤な髪が目立つし、ジュリアも珍しい銀髪だ。二人とも揃って美しく、人々の記憶に残らないはずがない。
「……分かった。追っ手をまいているのか、何かに巻き込まれたのか……手紙を受け取った俺が調べるべきだろうな」
「ありがとうございます!」
侍女は膝を折って俺に向かって頭を下げた。
◆◆◆
新年を祝う国王主催のパーティーは、国内の全ての貴族が集う催しだ。単に新年を祝うだけではなく、貴族同士が水面下で交渉する舞台でもある。年頃の子がいる者は、少しでも見栄えよく着飾らせて連れて来る。
今日もけばけばしい令嬢を連れた貴族に次々と挨拶される。父上は宰相として国王陛下のお傍についていて、母上は邸に残っているから、俺は基本的に一人で行動するしかない。どこかですれ違った程度の顔見知りでしかない男に呼び止められ、今年二十一歳になるという娘を紹介された。俺にどうしろと言うのだ。ドレスの自慢話しかしないこの女の話をいつまで聞かねばならないのか。壇上を見ると、セドリックは椅子に腰かけたままぼんやりしているようだった。
――よし。あいつを使うか。
「王太子殿下がお呼びですので、失礼いたします」
相手が何か言い出す前に踵を返す。王族の用事ともなれば引き留められまい。
セドリックと話していると、狙ったようにアイリーンが近づいてきた。会場に集まった貴族に魅了の魔法をかけながら、少しでも自分の味方を増やそうとしている。
「私とダンスのお時間ですわよ?うふふ」
不気味な微笑に寒気がした。セドリックは俺を一瞬見て、徐に立ち上がった。
「……いいだろう。君と踊るよ。……ただし」
カツ。
壇から下りてアイリーンの前に進み出る。
「君を『王太子妃』には指名しない。マリナと同じように、『候補』だ」
静かに言い放った。瞬きが多くなっているな。緊張しているのか。
「妃にしていただけないようなら、魔法の件もお力になれませんわ」
「妃に指名しても、魔法を解くとは限らないじゃないか。『候補』に挙げるまでが僕にできる最大限の譲歩だ。マリナの解呪と引き換えだ」
アイリーンはキッとセドリックを睨んだ。
「どこでそんな知恵を……」
王太子妃候補にすればいいと言ったのは俺だ。残念だったな、毒婦が。
「わかりました。私を正式に妃候補にしてくださったら……解呪に繋がる手がかりをお教えしますわ」
セドリックが差し出した手を取り、アイリーンはドレスを翻した。




