402 公爵令息と幻の貴公子
【レイモンド視点】
「おにいさま……」
「どうした?ブリジット」
椅子から立ち上がり、セドリックは満面の笑みで妹に駆け寄った。そのまま抱き上げて俺がいるところまで連れて来る。
「あの……おへやには、レイだけ?」
「そうだよ。僕とレイだけだ」
ブリジット王女は室内を何度も見回している。
「こわいおにいちゃん、いない?」
「怖い?」
「誰か警備の兵士のことか?」
「ちがうの、あの、あかいかみの……」
王女は青い瞳に涙を溜めた。
◆◆◆
小一時間後、セドリックは王女に膝枕をしてやり、優しく背中を撫でていた。
「慣れたものだな」
「レイにも妹か弟ができたら分かるよ」
「無理だ。両親は歳を重ねているからな」
「そうか。二人とも僕の父上と母上より年上だものね。じゃあ、レイに子供ができた時かな」
「……子供か」
一瞬、自分の膝に凭れて眠る息子と、彼を優しく見守るアリッサを想像し、顔が赤くなるのが分かった。あと十年後には、俺もセドリックのように幼児をあやすようになるのだろうか。
「ブリジットの言っていたこと、本当かなあ……」
「にわかには信じられないが。王宮の魔法結界を突破して会いに来たなどと」
「びっくりしたよね。……うーん、でも、エミリーも突破したことあるって聞いたし、できなくはないよね」
「短期間で王女を誑し込んだ上に、婚約者になるアレックスへの恐怖心を植え付けて行くとは……侮れないな。よし、俺が直接訊いてこよう」
「頼んだよ、レイ」
セドリックはブリジットの濡れた目元をそっとハンカチで拭いた。
◆◆◆
「で?目的は何だ」
「れいもんどおにいさま、どうしておこってるんですか?」
「……クリストファー。俺は忙しいんだが?」
「おこっちゃいやです。こ、こわくて、おねえさまに……」
潤んだ瞳は泣きそうな時のアリッサを彷彿とさせた。いかん、心を鬼にするのだ。
「つまらん芝居はよせ。お前はただの五歳児ではないだろう?」
目元を覆った手を外させると、挑戦的な紫色の瞳が俺を見上げた。
――ああ、やはり、そうだったか。
この顔は、剣の試合をする時のジュリアに似ている。
「お兄様、いつから気づいていらしたのですか?」
「いつからだろうな。学院に入学する前、アリッサをデートに誘いに来た時だったか。俺に気づかず、部屋の隅で経済書を読んでいたな」
「家族の前では、挿絵を見ているふりをしていたのに」
「文字を追って読んでいると分かった。恐ろしい三歳児だと思った記憶がある」
はあ、とクリストファーは息を吐いた。
「分かりました。お兄様の前では子供のふりをするのはやめます。それで、僕の目的でしたよね?」
「結界を突破して、誰にも見咎められずに王女の部屋まで行ったんだな」
「直接会って話したかったんです。ジュリア姉様の婚約者を取るなって。……証拠は残さなかったのに、どこでバレたんだろう……」
「ブリジット王女本人から聞いた」
「あの子、喋ったんだ。……ふぅん。次はお仕置きが必要みたいだね」
子供の頃のマリナが、セドリックに向けた視線のようだ。冷たく、それでいて甘い。虐められたい願望がある者が痺れそうだ。
「お前がおかしなことをしたせいで、王女はアレックスを鬼か悪魔だと思っているぞ」
「王女様から断ってもらいたかったんです。あんな馬鹿は嫌だって」
「馬鹿って……否定はしないが、仮にも姉の婚約者だろうが」
毒舌はエミリーに似たのか。この子は四人の姉全員に似ているな。
「アレックスお兄様はいい人です。でも、あの人にぴったりなのはジュリア姉様だけ。王女様には降りてほしくて」
「だから誑かしたのか」
「……は?」
クリストファーはあんぐり口を開けた。
「ブリジット王女は、お前を神か天使のように崇めているぞ。『クリスさまのおよめさんになりたい』と、セドリックと俺の前ではっきり言ってのけた」
マリナに会った頃のセドリックを見ているようだった。髪と目の色、美しい顔立ちだけではなく、夢見がちなところも兄妹よく似ている。
「ぇええ?」
「何だ?」
「王女様は四歳でしょう?僕だって五歳で、その……早すぎやしませんか?」
「王子や王女は生まれた時から相手が決まっていることもある。特段早くはない。……だが、陛下はアレックスと王女を婚約させようとしている。王女の口からお前の名が出てみろ。王宮に無断で入ったと知られてしまうぞ」
良くて牢へ収監、悪くて斬首刑だろう。王宮の強固な魔法結界を突破するなど、子供の悪戯でも許されない。
「ブリジット王女の証言がおかしいと思われないように、王宮に連れて行くぞ」
「待ってください、レイモンドお兄様。僕は、ブリジット王女に名前しか告げていないのです。ハーリオン侯爵家の者だと知られたら……それより、王宮に入れないのでは?」
「怖いのか?」
「……」
「六属性持ちなら、外見を変えて出られるだろう?」
「――!そうか!」
◆◆◆
「……レイ様、私、反対です」
アリッサは俺をじっと見た。視線が問い詰めるようだ。
睨んでいるつもりなのか?可愛いな。
「エミリーも太鼓判を押したんだ。誰にも見破られまい」
「大丈夫ですよ、姉様」
ドアを開けて現れたのは、銀髪紫眼の若い貴公子だ。光魔法で自分を十五歳程度年上に見せている。
「ひゅー。かっこいいねえ、クリス!私の男装なんて目じゃないね」
「十年後は令嬢方に取り合いされそうね。気苦労が増えそうだわ」
「確かに。……美形で金持ち、将来の王と宰相の義弟で、六属性持ちで剣の腕も立つときたら……」
目を細めてエミリーが呟く。弟を自慢したいらしい。姉達はクリストファーを褒めまくった。あまり褒めると自意識過剰になるような気がするが。
「では、行ってまいります。僕はレイモンド兄様の知り合いということで」
◆◆◆
セドリックの部屋に入ると、王女はたった今昼寝から起きたところだった。
「おはよう、ブリジット」
「おにいさま、だっこ!」
「ははっ、それはおんぶだよ」
背中に抱きついたブリジットを軽々と抱き上げ、セドリックは俺の後ろに立っている青年を見た。
「レイ、彼は……」
「お前の義弟だ。見てわかるだろう。光魔法だ」
ブリジット王女の前で魔法を解き、クリストファーは元の五歳児に戻った。
「いいねえ。こうして並ぶとお似合いだね」
「おにいさまったら!てれますわ」
顔を手で覆ってちらりとクリストファーを見る王女は可愛らしかった。
「クリスさまは、まほうがおじょうずなんですね」
「……普通だけど?」
「六属性持ちが普通なわけがあるか」
会話に割り込むと、クリストファーはあからさまに嫌そうな顔をした。
「まほうをつかって、わたくしにあいにきてくださったんですね。うれしいですっ!」
「ああ、うん……」
「ブリジットは、クリスさまがだいすきです。あかいかみのおにの、およめさんになんてなりません!」
「鬼って……」
「可哀想にな、アレックス」
「とにかく、これでブリジットとクリストファーは僕の紹介で会ったことになるよね。結界を破らなくても会えるんだよ?」
「申し訳ございませんでした、殿下」
銀髪を揺らしてクリストファーが頭を下げた。
「おにいさま、クリスさまをおこらないでね?クリスさまはわたくしにあいにきてくれただけなんです」
「怒るわけがないよ。……そうだね。一段落したら、二人がもっとたくさん会えるようにしてあげるよ」
セドリックが言う一段落とは、ハーリオン侯爵の無実が明らかになり、アイリーンや悪意を持つ貴族が一掃された後のことだろう。勿論、マリナの魔法が解けて、二人が結婚した後だろうが。
「わあい、おにいさま、だぁいすき!」
「僕もブリジットが大好きだよ」
「ふふっ。あ、おにいさまはにばんめね」
「えっ……」
「いちばんは、クリスさまのためにとってあるんだもん」
愛らしい王女は屈託なく微笑んだ。




