41 悪役令嬢と王宮の拡声器
翌朝。早い時間に王妃は王宮を出立した。収束が見えた北部の豪雨災害の被災地へ向け、腕の立つ騎士と魔導士を連れて。
どれでも好きなドレスを着るようにと侍女に促されて、マリナは白に近い銀色のドレスを選んだ。銀髪の自分が着ると全身銀色になってしまいそうだが、他がヒロインの好きなピンク色だったので嫌だった。急ごしらえのドレスのはずなのに、マリナの体型にぴったり合うように仕立ててあった。
「よくお似合いですわ、マリナ様」
支度ができあがった頃に、女官長が数名の女官を連れてやってきた。口々にマリナを大げさに褒めそやす。
「ありがとうございます。これも王妃様が見立ててくださったもので……」
「まあ、マリナ様は王妃様ともお親しくされていらっしゃいますのね」
「母が王妃様の友人でして、私自身それほど親しくさせていただいてはないのですが」
言い終わらないうちに女官長とそのお付きは怒涛のように話し出した。
「まだ婚約者のうちから、義理の母君に気に入られるなんて、羨ましい限りですわ」
「所作も完璧だと噂しておりましたのよ。流石はハーリオン侯爵家のご令嬢だと」
「マリナ様のあまりのお美しさに王太子殿下も参ってしまわれたのでしょうね」
「そうでなければ社交界デビューもされていないマリナ様にご無体なことをなさるはずがありませんわ」
「マリナ様は美少女には違いありませんけれど、男を誘うような方ではいらっしゃいませんもの」
女官達はそうよそうよと頷く。
「ですから、マリナ様は何も悪くはございませんのよ」
「そうですわ。いくら王太子様でも、乙女の貞操を軽んじるような方は論外ですわ」
「犬にかまれたとでも思って、此度のことはお忘れになるのがよろしいですわ」
「い、犬?」
「ハーリオン侯爵様にとっては、喜ばしいこともおありでしょう。瓢箪から駒と申しますか、ご令嬢の将来を確約されたも同然でしょうからね」
「そうそう。今回の件でマリナ様が王太子妃に一歩と言わず百歩も二百歩も近づきましたもの」
「候補から正式に王太子妃に立たれる日も近いですわね、ホホホホ……」
何の話をしているのだ、このご婦人方は。
「あ、あの。よろしいでしょうか」
会話で盛り上がる中年女性の群れに食い込むのは勇気がいる。マリナは手を挙げてこちらに注目させた。
「私、殿下とは、その、皆様が心配されるようなことは何もありませんので」
「まあ」
「あらー」
「そうなんですの?」
「はい。ですから、まだ王太子妃に決まったわけではなくて……」
バン!
「マリナ!」
勢いよくドアが開けられ、女官長以下全員がドアを見る。
噂をすれば影とはよく言ったものだ。王太子本人が頬を赤らめて立っている。走って来たのか少し息が上がっており、金の髪も服も少し乱れている。
「どうなさったのですか、殿下」
女官長が声をかける。
「女官長、今朝母上が出立された時の様子を見たか」
「はい。私共も王妃様をお見送りいたしました」
「今回の行啓は母上のたっての希望だが、行く先には崩れた道や脆くなった橋もあるかもしれないと、父上はこれ以上ないほどに母上を心配されていた。君に何かあったら私は生きていられないと」
「そうでしたわ。陛下は王妃様を心配して、急遽派遣する騎士と魔導士の数を増やしたのでしたね」
「当日に集められて面食らっている方々もいらっしゃいました」
「これも王妃様をお守りするための……」
王妃を溺愛する王のやりそうなことだとマリナは思った。セドリックを見れば、女官達の話をうんうんと頷いて聞いている。
「やはり我が父上は素晴らしい方だ。常に母上お一人を想っておられる。僕も……」
熱い視線を向けられて、マリナは悪い予感がした。昨晩彼に、他の令嬢と彼が関係をもっても構わないと言ったばかりなのに。
「僕も、父上を見習って、ただ一人を……」
ああ、その先は言わないで。
「君だけを愛すると誓うよ、マリナ」
王太子セドリックはマリナの手を取って口づけた。
◆◆◆
ハーリオン侯爵家の馬車に揺られ、マリナはどっと湧いて出る疲労感から、窓に身体を預けていた。隣には娘を気遣うハーリオン侯爵が座っている。
「災難だったな、マリナ」
「はい。もう、しばらく王宮には来たくありません」
「そうだろうとも」
侯爵は娘が眺めている窓の外に目をやった。
マリナが王太子に熱烈な告白を受けている頃、北部に派遣された魔導士の先発隊から、王宮へ連絡が入った。雨は上がり、一部の町に流れ込んだ川の水も引けている。水属性の魔導士が川の流れを正しく導き、土属性の魔導士が堤防を作って氾濫する川を鎮めたとのことだった。大雨の降り始めから缶詰状態だったオードファン宰相以下、ハーリオン侯爵を含む有力諸侯は、王妃の帰還まで一時自宅へ戻ることとなった。
昨日、王太子によるお手付き疑惑が取り沙汰されたマリナであったが、職務に支障が出るほど噂好きな女官長とそのお付きが正しい情報を城内に広めたおかげで、「私が帰ってくるまで帰らせちゃダメ」という王妃の言いつけに背き、父侯爵と共に帰宅が叶ったのだ。正しい噂が広がると共に、城内の者からは、「やはりな」「キス止まりがせいぜいだ」「ヘタレ王子がやるわけないと思った」との感想が聞かれた。
「王太子殿下は、お前をただ一人の女性として妃に迎えたいと言ったそうだね」
「はい」
「お前はどう思うのだ」
「とても名誉なことだと思います。でも……」
マリナは言い淀んだ。ゲームの中のヒロインの顔がちらつく。
「殿下は遠くない未来に、私以外の令嬢を妃に迎えたいと仰るでしょう」
「まさか」
「私が妃になっても、他の方を妃に据えるために、私を疎んじるようになります」
「馬鹿なことを!」
「いいえ、お父様」
マリナは侯爵の腕に触れた。指先が震え、大きく開かれたアメジストに瞳からは、ぽたぽたと涙が滴り落ちた。
「私は自分の運命を知っているのです」
侯爵の目が見開かれる。
「セドリック様の運命の相手は、私ではありません」
自分を溺愛しているセドリックは、いずれヒロインの虜になる。愛と憎しみは表裏一体だ。どう転ぶかわからない。ヒロインを庇護するあまり、彼女を非難する侯爵令嬢を憎らしく思うようになるのだろうか。セドリックに憎まれた自分には死が待つだけだ。
ハーリオン侯爵は、気丈な娘がぼろぼろに泣いているのをただ抱きしめて、背中を撫でていた。
「マリナ」
大きな手で銀髪が撫でられる。
「恋とは常に不安なものだ。相手の心を疑ってしまうのも無理はない。だが、結末を悲観して不意にしてしまうのは勿体ないぞ」
「お父様……」
恋なんかしてないってば。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、侯爵はハンカチでマリナの顔を拭いてくれた。
「まだ影も形もないライバルに怯えている暇があったら、殿下の想いに真摯に応えることだ。お前がお前らしくあれば、セドリック様はお前を見限ったりしないさ」
「私は、殿下の妃になりたいわけでは……」
「おや、違うのかい?殿下が他の令嬢に心変わりするのが嫌だから、妃候補になりたくないと言っているように聞こえたが」
「……」
「マリナが、殿下に心変わりしてほしくないのは、何故だと思う?」
それは、ヒロインと王太子殿下がハッピーエンドになったら自分が死ぬからで。このままだと自分はセドリックの心を繋ぎとめられないから……。
「よく考えてみるんだな。……さて、そろそろ家に着くぞ」
侯爵は見慣れた景色を確認して、泣き止んだ娘から身体を離した。
番外編をアップしました。
時系列で32以降に該当します。




