398 悪役令嬢の色仕掛け
「よし。エミリー。出番だ!」
廊下の角でジュリアが背中を押した。エミリーは地属性の魔法を自分にかけ、足が動かないようにする。
「ちょっと!」
「……絶対嫌」
「嫌とか言わないでさあ。エミリーが頼めばイチコロだって」
「うんうんって頷いて、すぐ話に乗ってくれると思うの」
「アリッサまで……。嫌なものは嫌。私、色仕掛けなんてできない」
ハーリオン侯爵家の二階の客用寝室から、身なりに気を遣わないスタンリーがボサボサの金髪を掻いて出てくる。顎が外れそうなほど大欠伸をして、眼鏡を上げて窓から射す朝日に目を擦る。
「来たっ。エミリー、頼むよ」
「……断る」
エミリーはスカートが膝上二十センチのハイウエストのワンピースを着ている。ふわりと広がったスカートの裾が心もとなく、少し動けば下着が見えそうで、歩くのもぎくしゃくしていたほどだ。こんな格好でスタンリーの前には出られない。脚フェチの彼が喜びすぎてどんな行動に出るか、想像するのも恐ろしい。
「ジュリアが着れば?」
「私の筋肉質の脚はあんまり好みじゃないらしいよ。ふくらはぎとかパンパンだもん」
「アリッサ」
「私は……レイ様がダメって」
「ちっ」
「ひどぉい、舌打ちしなくてもいいじゃないの」
「惚気る方が悪い。……マシューは捕まってるっていうのに!」
ダン!
エミリーは怒りが抑えられず、つい壁を拳で殴った。廊下を歩いていたスタンリーが三人に気づき、気合の入らないへろへろとした笑顔でこちらに走ってくる。
「おはよう、皆!」
「おはようございます、先輩」
一応三年生なのである。体育会系のジュリアは真面目に挨拶をした。アリッサも丁寧にあいさつをしたが、エミリーは無言である。
「……」
「おはよう!美脚の君」
「馴れ馴れしくしないで。変態脚本家のスタンリー先輩」
「壁に隠れてどうしたの?」
エミリーは曲がり角から顔だけ出して三人を見つめている。スタンリーはハイテンションでエミリーに近づいた。
「来ないでください」
「君と僕の仲じゃないか」
「特に関係ないんで」
タタッ……。
角を曲がったスタンリーはエミリーのミニスカートを目にして驚愕した。
「ぅうほぉおおおおおおお!!!」
――叫び声、キモイ!
「何たる脚線美!極限まで短いスカートから覗く、すべすべした白い脚!それも、靴下を履いていないんだね!?」
「……」
「僕のために、嬉しいよ、美脚の君!」
頬を紅潮させて脚を触ろうとしたスタンリーを、エミリーは足で止めた。顔面に脚の裏がめり込んでいる。
「……寄るな」
そのまま束縛の闇魔法をかけ、彼の動きを封じる。
「何をしているの!エミリー!」
廊下の端からマリナが走ってくる。走ると言ってもお嬢様走りで遅い。エミリーは姉を一瞥し、仕方なくスタンリーの顔から足を離した。
「……触ろうとしたから」
「申し訳ございません。無作法な妹で……」
魔法を解かれて崩れ落ちたスタンリーは、大の字になり幸せそうに微笑んでいた。
◆◆◆
「僕が、ハロルドの身代わりに……?」
「ええ。セドリック様の影武者を務められたのですもの、お兄様の代役くらい朝飯前ですわよね?」
「そうか……。話を聞いて思ったんだけれど、謎の男はハロルドのふりをして悪いことをしているんだよね?僕がハロルドに成り代わっても、結局悪いことをしているように受け取られてしまったら、濡れ衣を着せられたままだと思う」
「では……」
「思い切っていいことをしたらどうかな?例えば、重い年貢に苦しめられたコレルダードの人々にはこの数年で出した以上のもので還元したり、塀の中で辛い労働をしてきたフロードリンは……火事になったからまだ再興には時間がかかるだろうけれど、一先ず生活に必要な物を届けるとかね」
「善行を積むということですわね?」
メモを取りながらマリナが頷く。
「そう。エスティアではピオリの秘密を知った人を殺さなければならないという掟を撤廃して、ピオリ以外の作物で生計が立てられるように誘導するべきだと思う」
「ほえー」
「どうしたの、ジュリアちゃん?」
「ううん。スタンリー先輩って意外と考えてるんですね。単なる脚フェチだと思ってた」
「僕の趣味趣向とは関係がないと思うんだけどなあ……」
「あのね、いいこと思いついたの」
アリッサが挙手して四人を見た。姉妹だけではないので若干おどおどしている。
「スタンリー先輩は、ここぞというところで『ここにいるぞ』ってアピールできればいいのなら、他の準備は私達が分担しましょう?エスティアのピオリに代わる作物については、四人の中で一番植物に詳しいマリナちゃんが適任だと思うなあ」
「私?」
「行くのは大変だけど……エミリーちゃん、一緒に行ける?」
「……うん」
「じゃあさ、フロードリンとコレルダードはどうすんの?私とアリッサで行くの?」
「うん。コレルダードの穀物倉庫に不正に集めていた麦などは、ある程度皆に返して……いくらかは侯爵家が買い上げる形でフロードリンに持ち込むの。パンを作るには必需品だもの」
「お店も火事に遭ったものねえ。焼いて持っていければいいよね」
ジュリアが腕組みをして頷いた。
「市場への流通が止まるわね。一時的に価格が上がるでしょうけれど、お店は困らないかしら」
「コレルダード……ハーリオン侯爵領でいろいろなことが起こっているのは、市場でも皆知っているだろう。一時的な品不足の原因が、ハーリオン家が領民を守るために物資を配ったからだと噂になれば、当然、僕……偽物のハロルドが出没したことも知られる。ハロルドに罪を着せようとしている謎の男の耳にも入ると思う」
「わざと品不足に陥らせる……?」
眉間に皺を寄せたエミリーに、スタンリーは目を細めて頷いた。
◆◆◆
「エスティアに行ったら、私、魔法陣を描くから」
旅支度を整えていた姉達に、エミリーが突然言い出した。
「また馬車を足止めするの?」
「ううん。王都まで飛べるようにするの。毎回魔法の消費がきつい」
「確かにねえ」
「距離が遠いから精度を上げるのは難しいと思う。……でも、頑張る」
魔法書を開き、パラパラと魔法陣の術式を見る。一心不乱にノートに書きだした妹を見て、姉達は心強く感じたのだった。




