393 悪役令嬢はベッドに誘われる
「んじゃ、俺は寝る。行くときは声かけてくれ」
「あ、あの」
目の前で女物の服を脱ぎ始めたチェルシーに、マリナは戸惑って背中を向けた。
「何だよ、こんくらいたいしたことないだろ?あんた、男がいるって言ってなかった?」
「言いましたけど、裸は、その……」
子供の頃は服を脱がせてドレスを着せてセドリックを弄んだが、大人の体格になってからは彼の肌に触れてはいない。目の前で若い男が服を脱ぎ始め、深窓の令嬢が照れるのは当たり前だ。
「ふーん。そいつとは、まだ、なんだ?」
「……まだ、よ。当たり前でしょう?」
「そうなのか?俺の姉ちゃんなんか、十五の時に男作って出てったぜ?その前から旅芸人やら旅の商人やら、男をとっかえひっかえしてたから、子供も誰の子か分かんねえってボヤいてたし」
「はあ……」
何と言ったらいいのか。お盛んですこと?
「私はあなたのお姉様とは違いますので、結婚まで純潔を守るつもりです」
「やっぱ貴族のご令嬢は違うねえ。……そういうの、抵抗がないなら、俺のベッドに誘おうかと思ったのに」
「はあっ?」
「ウソウソ。目くじら立てんなって。店先貸してやった礼に抱かせろなんて、極悪非道じゃない?」
「お礼なら、後程……」
ちらりとチェルシーを見る。上半身裸、下ばきの上に膝下丈の薄い布を巻いただけである。毎日占いをしているだけなのに、鍛えらえた細くしなやかな身体が眩しい。筋肉好きのジュリアが見たら涎を垂らしそうだとマリナは思った。
「礼、ねえ……何でも叶えてもらえる?」
「善処しますわ」
「俺の弟子に会いたいんだわ。歳は……あんたと同じくらいで、銀の髪を後ろで結ってて」
――ん?銀の髪?
「ジュリアっていう名前の奴。しばらく会ってないんだ」
「……はあ」
「どうした?」
「……ジュリアなら、よく存じていますわ」
妹はいろいろな人と面識があるようだが、まさか市場の占い師と懇意にしているとは思わなかった。それも、弟子とはどういうわけだろう。
「ジュリアに会って、どうなさるおつもり?」
「話がしたいだけだ。……内容は、あんたには教えない」
◆◆◆
「あの指輪は……!」
「虹色の光を放つ、王家の指輪か!」
若い騎士達はその場に膝をついてひれ伏した。ざわめいていた街の人々も、彼らにつられるようにしてその場に膝をつく。押し合いへし合いしていたため、場所がなくて立っている人もいる。
「火事も消し止められ、皆、ここから必ず抜け出せる。故郷まで帰る者は送らせる。慌てずにゆっくりと進むんだ!」
レイモンドは群衆に向けて叫んだ。
「アレックス……どうする?」
「レイモンドさん、正体バラしちゃったな。俺らも見つかるのは時間の問題な気がする」
「変装してるのに?アレックスは労働者の服だよ。紛れて抜け出せるんじゃないかな」
「あそこに立ってる騎士、前にうちで父上にみっちりしごかれてた連中なんだ。俺のことも可愛がってて……あ、ほら」
アレックスが彼らを見ると、視線が合ったらしい。騎士の一人が赤髪の少年目がけて走ってくる。
「アレックスも来ていたのか」
「……はは、まあ、そうっす」
「あそこにいるのはオードファン宰相の御子息だろう?自ら危険を冒しても悪を根絶しようと立ち上がられたのだな」
「は……こんぜ……?」
「素晴らしい心がけだ。是非とも、団長を通じて陛下に奏上しなければ!」
特別部隊のリーダーは目をきらきらさせてレイモンドを見つめている。
「彼が混乱を沈めてくれなければ、俺達も巻き込まれていただろう。……不甲斐ないところを見せてしまったな」
「いえ……このことは、内密に……」
「ははは、照れることはない!君と彼の功績は後に語られることになるだろうね。ハーリオン侯爵の不正を暴いた英雄だと」
「え、えいゆぅう?」
若い騎士は軽く会釈をして去っていく。取り残されたアレックスは、恐る恐るジュリアを見た。
「まずいぞ、ジュリア。父上と、オードファン公爵様に伝わったら……」
「調べるのをやめさせられるでしょ。ビルクールを調べる前に、王都に強制帰還だよ。……レイモンドの奴、あそこで身分バラさなくてもいいのに!」
ジュリアは髪を鷲掴みにして掻き毟った。
◆◆◆
「このような場所に、このような時刻に、セドリック王太子殿下がいらっしゃるとは……」
ノアはひれ伏して苦しげに呟いた。低く艶のある声で苦しそうに言われると、アリッサとエミリーは多少ときめいた。
――レイ様の方が素敵だけど、これはこれで素敵!
――こいつの声、記憶になかったけど……結構好きかも。
前世で声フェチだった乙女二人がほわーんと顔を赤らめている隣で、セドリックはノアに厳しい目を向けていた。
「君は国へ帰ったはずだね。ここにいるのはリオネルの指示なのか?」
「……いえ。私が……自分の判断で参りました」
口ごもったところを見れば、恐らくリオネルの指示なのだろう。ノアが自分からリオネルの傍を離れるはずがない。任務を達成しなければ口を利かないとでも言われたのか。
「船で来ればいいよね?定期便も毎日のように出ているし、図書館の魔法陣を使う理由がないよ」
「はい。殿下の仰ると……は、失礼!」
ノアは立ち上がって三人を壁際に押し、自分がその前に立った。
「何、何なのぉ」
アリッサが怯えて涙声になる。
「……静かに。人の気配がします。足音を立てずに建物の……向こう側へ」
セドリックは頷き、ノアが指さした方向へと歩き出した。三人は光が当たらない建物の陰に隠れ、ノアが続いて向こう側を見つめる。
「……あれは……」
「?」
彼の陰から裏口を覗いたセドリックは、驚いて目を瞠った。
月光にふわふわとしたピンク色の髪を輝かせ、アイリーンはそっと裏口のドアを開けた。




