392 悪役令嬢と図書館の影
「やめようよぉ……」
アリッサは泣きそうな顔でエミリーの服を引っ張った。
「夜の図書館が怖いの?」
「それもあるけど……怖い人に会っちゃったらどうなるの?捕まって殺されちゃうよ」
「……怖い人とは限らない」
「夜中に出入りしているなんて怪しいんでしょ?悪い人に決まってるよ。ねえ、お願いだから……」
どうしてこの姉はこんなにビビリなのかとエミリーはうんざりした。が、二人より三歩後ろで膝をカタカタさせている男の方がもっと問題だ。
ガサガサガサ……。
「ひいっ!」
夜の闇の中で目を光らせ、黒猫がどこかへ走り去った。セドリックは胸を押さえ、顔を真っ青にしている。
「エミリーちゃん。王太子様も、大丈夫じゃないみたいよ?」
「はあ……役立たず」
「し、失礼だな、エミリー!ぼぼ、僕は、こ、わくなん……うぉおう!」
足元をすり抜けた鼠に驚き、セドリックは華麗なステップを踏んだ。単なるマヌケに見えないところが王子オーラのなせる業だ。
「二人を置いて行けない……」
「うん。王太子様が危なくないように、エミリーちゃんと組んだから離れられないわ。私じゃ、何の役にも立てないもの」
「……そうか」
「分かってくれたの?エミリーちゃん」
手を合わせて可愛らしく微笑んだ姉に、エミリーは剣呑な視線を向ける。
「ううん。……あぶり出しに協力して」
建物に沿って進んだ図書館の裏口には、陰に人が隠れられそうな物置小屋があった。エミリーはセドリックとアリッサに、ここで待っているようにと告げた。
「……二人で見れば、分かるでしょ」
「誰かが出てくるの?」
「さあね。出てくればいいけど。顔だけでも見ておいたら?」
踵を返し、エミリーは通りに面した正面に回り込む。重厚な扉は閉まっているが、脇の窓を覗くと館内が見渡せた。真っ暗だが、闇に慣れているエミリーは多少夜目が利いた。窓の隙間から風魔法を送りこむ。増幅された伝令魔法がゆっくりと館内に響いた。まるで複数の人間が入って来たように聞こえる。再度風魔法を送り、今度は土魔法との合わせ技で重力を失くし、本をまとめて床に落とした。
――アリッサが見たら怒るわね。
読書家のアリッサは、本を大事にしない人を嫌うのだ。借りてきた本に書き込みがあったり、ページが破れていたりすると、とても悲しそうな顔をして直している。ハーリオン家が没落したら本の修復担当として図書館で働きたいと言っていたくらいだ。
「……来た」
地下から一階へと人が来る気配がする。フロア内に置かれた転移魔法陣が発動し、縁が白く光りはじめた。浮かび上がった人影は、背の高さから男性のようだ。黒い服を着ていて誰かは分からないが、駆け足で一通り一階を見て回り、裏口へ向かって走っていく。
「狙い通り」
エミリーはにやりと笑った。
裏口の物置の陰で、じっと身を潜めていたセドリックは、背中に感じるアリッサの温もりに内心ドキドキしていた。女子とこんなに近くで触れ合ったのは、マリナ以外では初めてではないだろうか。スカートの裾を気にしてアリッサがもぞもぞと動く度に、セドリックの心臓が音を立てている。
「ア、アリッサ……少し離れてくれないかな?」
「離れたら、向こうから見えてしまいますよ」
「そ、それもそうだね」
「私が隣にいるのがご不快ですか?マリナちゃんじゃないから」
「不快だなんて、誤解だよ。……あんまり君とくっついたら、レイに悪いなって……」
ひそひそ話をしていると、裏口のドアが動いた気がした。
互いに顔を見合わせ、物音を立てないように身体を硬くする。ギイ、と蝶番が音を立て、図書館の裏口に男が現れた。背が高く肩幅が広い、がっしりした体型だ。身体を鍛えているアレックスよりも体格がいいように思われた。
「……」
セドリックが目を凝らして彼を見つめているのを、アリッサは何も言わずに見守った。すると突然、アリッサを押しのけるようにして立ち上がり、彼は謎の男へと突進して行った。
「王っ……スタンリー!?」
夜の闇の中にアリッサの悲鳴にも似た叫びが聞こえ、表からエミリーが急ぎ戻ってくる。
「アリッサ!?」
「エミリーちゃ……お、王太子様が……」
謎の男は飛び出してきたセドリックを躱し、剣の鞘のようなもので背中を殴ると石畳の上に転がした。次の瞬間、鞘から抜かれた銀の剥き身がセドリックの喉元に当てられた。
「チッ……!」
舌打ちをしたエミリーが掌に紫の球体を発生させ、男に目がけて放った。
ドウッ!
「……やった」
「命中したわ!」
右腕を上げたまま男はその場に立ち尽くしている。エミリーはアリッサを連れてセドリックの傍へ駆け寄った。
「エミリー、僕は……」
「この役立たず。役に立たないなら問題だけでも起こさないで」
「エミリーちゃん、言い方……あら?」
完全に固まっている男を見て、アリッサが首を傾げた。
「王太子様……この方、あの……」
おろおろと彼と王太子を見比べている。セドリックは余裕の笑みで一つ頷き、
「久しぶりだね、ノア」
と立ち尽くす黒い影に笑いかけた。




