389 悪役令嬢と王太子の秘密
ジュリアとアレックスが駆け戻り、レイモンドは満足して二人を見つめた。
「いい顔をしているな、アレックス。やりたいことをやり遂げた顔だ」
「ほ、褒められると、俺……」
「褒めてなどいないがな。思ったことを口にしただけだ。……首尾はどうだ?」
長し目がジュリアに向けられる。
「完璧。噂好きそうな人を捕まえて話してきたよ。……ほら、見て」
指の方向には、既に出口へ向かう人の列ができていた。
「あれを見れば他の者も動き出すだろう」
「行こう。早くブルーノの手当てをしなきゃ」
「ひとまず『銀のふくろう亭』に身を寄せるとしよう。……いいな?アレックス」
頷いたアレックスがブルーノをレイモンドに背負わせる。出口を見据えて、歩く人々の列に加わった時、前方から悲鳴が聞こえた。
「何だ?」
「待ってて。私、見てくる!」
光魔法で塀に見せている出口の近くで、黒い集団の背中が見えた。
悲鳴はその向こうから聞こえた。
――あいつら!
ジュリアが走る速度を上げようとすると、脇から腕を掴まれた。
「やめておけよ、姉ちゃん」
「あ、あの時の……!」
アントニアの弟だ。所々に擦り傷を負っている。
「助けなきゃ!あんなに泣いてるのに」
「助けたらあんたも気絶するまで鞭で打たれるぞ」
真剣な瞳がジュリアの覚悟を問い質す。
「……私、誰かを見捨てるなんて、嫌なの!」
少年の手を振り払い、近くに転がっていた汚れた物干し竿を掴むと、ジュリアは黒い集団に体当たりをした。
「ぅおりゃあああああ!」
「な、ぐっ」
「うっ……」
振り回して三人に命中した。できた隙間から悲鳴の主に近寄る。そこには泣き叫ぶ乳飲み子を抱いた若い母親が、粗末な服の背中を真っ赤に染めて蹲っていた。
「何だお前は!」
「退け!その女は街を捨てようとした重罪人だぞ!」
黒い服の男達が口々に叫ぶ。
「ハッ。弱い者いじめをしてただけのくせに、自分を正当化しようっての?」
「何だと?」
「俺達に逆らう気か!」
「お前も同じ目に遭わせてやる!」
鞭を持った男が腕を振り上げた。ジュリアは素早く物干し竿を回し、男の腹に一発叩きこんだ。
「ぐぅうっ」
――これで四人。残りは四人か……ちょっとキツいな。
バサバサしたスカートも動きにくい。物干し竿は武器としては長く、ジュリアが使っている長剣より重さがある。誰かを背中に守りながら戦うのも初めての経験だ。
「私達、ここから出て行かせてもらうからね!」
自分に気合を入れるように大声ではっきりと叫んだ。
「たぁあああ!」
振り回したはずの竿は、空中で止まった。両端に鞭が絡みついている。
――しまった!武器が……!
「武器を持っているのは一人じゃない。……余興は終わりだ、小娘!」
残りの二人が冷たく笑う。胸元から光る何かを取り出した。
――レイピア!?
物干し竿を手放し蹲ったジュリアの頭上で、炎に照らされ銀色の刃が煌めいた。
◆◆◆
騎士団の詰所からレイモンドが隠れ家にしたオードファン家の別邸までは、地図を見る限りアリッサの足では小一時間かかりそうだった。
「遠いのね……」
「歩くの、面倒……」
「二人とも、どうしたの?顔が暗いよ?」
街を自由に歩く経験が殆どなかったセドリックは、お忍び気分で浮かれている。相手が王太子でさえなかったら、エミリーは彼の声を封じていただろう。
「あの……私達、遠くまで歩くのは、自信がないというか……」
「そうか。二人とも馬車で移動していたからかな」
「……私は転移魔法」
「たまにはこうして歩くのも気持ちがいいものだよ?」
「夜中なのに……」
「真っ暗ですよ、王た……スタンリー?」
「女性二人で歩くのは危ないかもしれないね。……大丈夫、僕がついているから」
それが一番心配の種だと、エミリーは言ってやりたくなった。賊が現れたら、守られるべきは自分達ではなく、王太子セドリックなのである。アリッサは何の戦力にもならず、どちらかと言えば足手まといだし、魔力の回復が万全ではない自分ではセドリックを守り切れるか不安だった。
「せめて、夜が明けるまで、騎士団の詰所にお世話になれないでしょうか。裸に驚いて出てきちゃいましたけど、コーノック先生もいることですし」
「心配性だなあ、アリッサは」
セドリックはどんどん先を歩いていく。スタンリーの私服を着こなし、ちょっと裕福そうな平民に見えなくもない。エミリーはアリッサの手を握り、仕方なく彼の後を追った。
「道……こっちでいいの?」
「うん。こう見えて、僕は道を覚えるのが得意なんだ。馬車で通った道も覚えているよ」
「はあ……」
曲がり角で立ち止まり、建物の屋根を目を眇めて見る。数秒の後、一人で頷き、
「こっちだね。確か、この角を曲がったんだ」
と自信たっぷりに言い切った。
三十分後。
エミリーは白い目でセドリックを睨んでいた。
「……で?どうしてここに出るの?」
「おかしいなあ……確かにこっちなのに」
金の髪をさらさらと揺らし、セドリックは何度も首を傾げた。自分でも信じられないといった表情だ。
「スタンリーも方向音痴なんですか?」
「いや、僕は方向音痴なんかじゃない!」
「……結果を見てから言え」
「エミリーちゃん、言葉づかい!」
三人の前にはよく見知った建物――王立博物館があった。
「お父様の……」
「隣は図書館ね。真夜中だから閉まっているわ」
「レイと一緒に馬車で来た記憶があって……記憶が混ぜこぜになってしまったのかもしれないね」
「ね、じゃないわ。オードファン家の別邸に行く道なんて、私、知らないわよ」
イメージもできない場所には、転移座標が定まりにくい。エミリーの魔法でもうまく移動できる保証がなかった。
「図書館には王都の地図がある。情けない話だけど、朝になって誰か職員が来たら、地図を見せてもらおう。それまではあのベンチに座って待っていようか」
「それがいいですね。行こう、エミリーちゃん」
「……歩き損」
「いいから、そんな顔しないで?」
エミリーがムッとしていると分かるのはアリッサだけだ。セドリックには無表情なエミリーの感情が分からない。
「疲れたんだね、エミリー。……歩けないならまたおんぶしようか?」
「……要らない」
背中を向けて振り返り、にっこりと笑顔を向けた王太子に、エミリーは内心舌打ちをせずにはいられなかった。




