40-2 悪役令嬢と真夜中の訪問者(裏)
【セドリック視点】
王宮には隠し通路がたくさんあり、僕は幼少時から遊び場にしていた。
母上はマリナが僕に襲われたと勘違いし、いや、さほど勘違いでもないにしろ、大事を取って王宮に一晩泊めると言った。接近禁止を言い渡された僕は、侍従を見張りにつけられて部屋に籠められていたが、早めに寝ると言ったら一人にしてくれた。
早速、隠し通路で城内を探検する。父上達が厳しい顔で会議をしている部屋の裏を通った時、「マリナが……」という会話が聞こえた。僕はマリナの居場所は知らない。何か手がかりがつかめるかと思って壁の向こうへ耳を澄ました。
「困ったことになったな。王太子がまさか……」
「ハーリオンの娘は母親似の美少女だからな。殿下もつい手が出たのだろう」
「まだ十三歳だぞ。相手のマリナ嬢は十二歳だ。いくらなんでもコトに及ぶのは」
「殿下はこのところ背が伸びて随分男らしくなられた。うかうかしていては、学院入学前に懐妊、結婚なんてことになりかねん」
僕は口元を手のひらで覆い、必死に恥ずかしさに耐えた。彼らは大きな誤解をしている。マリナとはキスまでだ。いずれはその先に進みたいが。
「いずれにしても、お手付きのハーリオンの娘が妃か妾になるのは確定だ。我々の仲間にはマリナ嬢以上の身分がある娘はいない。どうする?」
「……妃の座から引きずり下ろせ」
「醜聞か」
「適当な男を見繕って夜這いさせればよい」
「見つかったら殺されるぞ」
「丁度いい。口封じの手間が省ける」
静かに笑う男達からそっと離れると、足音を立てずに再度隠し通路を進んだ。
薄く漂う甘い香りに誘われ歩みを止めた。この壁の向こうは客用寝室だったなと思い出す。廊下側の部屋に侍女が行き交う気配がし、この部屋を誰かが使用しているのは明らかだ。
「明日のドレスの用意を……」
「マリナ様に選んでいただきましょう」
部屋の主が誰か、僕は確信が持てた。
隠し扉を薄く開けると、部屋の中は真っ暗だった。光魔法で照らせば足元も見やすいのだが、寝ているマリナを起こしてしまう。夜這い男が潜んでいたらどうしよう。僕の力で戦えるだろうか。
カサッ。
――!!
上着が花瓶の花にぶつかり、いくつか花弁が落ちる。
ベッドの方へ視線を向けるも、暗くてまったく見えない。起きてはいないようだ。
少しずつ距離を詰めていく。
ギシッ……
ベッドへ膝を乗せると、沈み込んで音が鳴った。
――気づかれた!
可愛らしい声が魔法を呟き、強い光で目が眩む。
「誰っ!」
「うっ!」
咄嗟に目を押さえて蹲った。
「……セドリック様?」
驚いて僕を見るマリナは、薄いネグリジェ姿だった。母上が仕立て屋に作らせておいたもので、新品なのだろうが、大人用はマリナには大きいようだ。襟元が大きく抉れており、鎖骨から少しだけ膨らみがある胸元にかけて線がはっきりわかる。僕は心の中で母上に感謝してちらちらとマリナを見た。
「ごめん、マリナ。君を驚かせるつもりは……」
強硬派貴族が仕立てた夜這い男を撃退するために来た、とは言えない。
「思いっきり驚きました。暗殺者でも送り込まれてきたのかと思いましたわ」
暗殺者?そうだな。それもあった。
「本っ当にゴメン。その、暗殺者のこと、僕も気になってね。警戒するつもりで隠し通路を辿って来たんだけど……」
不安そうに瞳を揺らすマリナに、
「君の寝顔を見ないでは帰れないと思って……部屋の中に」
僕は冗談を言って和ませる。
「そういうのを夜這いって言うんですよ、殿下」
「よ、よば……ちが、僕はこれっぽっちも疾しい気持ちはないよ!」
疾しい気持ちだらけだよ。悪いか。冗談のつもりだったが、寝顔を見たかったのは本当だ。あわよくば寝ている彼女にキスしようかと思っていた。
「王妃様から、私に近づくなと言われたと聞きましたけど」
ぎく。母上のことは言わないでくれ。
「君が心配だったんだ。強硬派の貴族は、中立派の君の父上をよく思っていないし、今日のことで僕が君を妃に決めたと噂になっているから、何か起こすのではないかと」
十三歳の僕と十二歳の君が、コトに及んだと噂になっているよ。言ったら絶対ショックを受けるだろうから言わないが。
「そもそも、殿下が一人に肩入れなさるから……」
君以外の令嬢がカボチャに見えるんだから仕方がないだろう。
「貴族には派閥があることは、僕も理解しているよ。できればすべての派閥から妃や妾をとって平等に扱えばいいともね。でも、マリナはそれでいいの?」
じっと彼女を見つめれば、寝具を引き上げて身体を隠した。
少し考えて、彼女は口を開いた。
「セドリック様。私は筆頭侯爵家たるハーリオン家の令嬢、幼い頃より王妃になっても恥ずかしくないように十分な教育を受けて参りました。国家安寧のため、王が世継ぎを必要とするのは当然のこと。王妃であろうとも王の寵愛を一身に受けるなどありえないと」
侯爵も大層な教育をしてくれたものだ。内心舌打ちする。
――まったく余計なことを。僕はマリナ一人に愛を捧げるんだからな。
「父上は母上ただ一人を愛しておられる!」
「国王陛下が妾を持たないと決められた折、多くの貴族が反対したと聞き及んでおります。元王太子妃候補であった我が母も、一時候補に挙がっていたとか」
「それは……」
ハーリオン侯爵が妻にしていなければ、ソフィア夫人は父の妾になっていたと聞いたことはある。王妃と親友同士だったことも理由の一つだとか。
「ましてや殿下は現国王陛下の唯一の後継者であらせられます。王家の血筋が途絶えぬよう、多くの妾を持つことでしょう。仮に私が妃に選ばれても、殿下はお気になさらず、側妃の皆様とお過ごしになられればよろしいのです」
声が涙で湿っている気がした。赤い唇が微かに震えた。
「……それが君の答えなんだね」
「はい」
頷いたマリナの顔が歪む。
胸元を押さえ、僕を見つめている。
「僕が、他の令嬢と仲良くしてもいいと」
「はい」
苦しそうな顔をして、物わかりの良い妃になろうとしているのか。
侯爵令嬢は、自分だけを愛してほしいなどと、みっともなく縋ったりはしないものなのだろうな。
「……分かった」
君をつらい目に遭わせたりしないよ。
「お休み。……ハーリオン侯爵令嬢」
――震える君を抱きしめたかった。
隠し通路の扉を閉めて、僕は暗闇の中を自室へ急いだ。




