383 悪役令嬢は自画自賛する
ある街の邸で、その貴族は重厚な造りの机に肘をつき、配下の報告を聞いていた。
「フロードリンの様子は?騎士団は帰ったのか」
「旧市街を見て帰ったそうです」
「中には入れなかったのだな。それでいい。楽しみは後に取っておくべきだ」
男は口の端を上げて笑った。
「生産量を上げましたので、人手不足でコレルダードから補充しました」
「工場の火災はどうなった?予定通りか」
「はい。王都から治癒魔導士と騎士団が向かったようです。ハーリオン侯爵の悪事が露見するのも間もなくかと」
報告に満足し、男は頷いて身を乗り出す。
「エスティアに旅人が来たそうだな。あんな山奥に三人で?怪しいな」
「はい。報告によりますと、口封じをしようとして逃げられたそうです。いかがいたしましょうか」
「……逃げた、か」
「はい。あの急な山道で野垂れ死んでいなければ、町の秘密が漏れる恐れがあります」
「そろそろ頃合いか。秘密が漏れても構わん」
「追わないと仰るのですか?」
「追うふりだけでもしてみるか。ジャイルズに追わせろ。私の代わりとしてな」
「はっ」
「……フロードリンが焼け落ち、コレルダードから連れてきた労働者が訴え出れば、コレルダードも本格的に調査されるだろう。侯爵が課した三倍の年貢も明らかになる。芋づる式にビルクールまでたどり着ければいいが……果たして、騎士団はどこまで……」
配下の者が部屋から出ると、男は本棚に手をかざした。魔法の波動が煌めき、並べられた本がきらきらと光を纏う。
ガタ。……ゴゴゴゴゴ。
本棚が二つに割れて部屋の入口が現れた。
光魔法球が明るく照らす室内へ進み、壁にかけられた肖像画を見つめる。
「……もうすぐだ。もうすぐ、終わるから……」
壁に手をついて項垂れる。肖像画の少女は何も言わず微笑んでいた。
◆◆◆
レイモンドは塀の切れ間がある場所へと歩いてきた。ここまで誰一人として街の住民には出会わなかった。黒ずくめの集団も出てきていない。見張りもいないように見える。
「ジュリアはどうやって入ったんだ?」
塀にそっと触れる。実体がない壁は、レイモンドの手首から先を見えなくした。
「……光魔法か。闇魔法で無効化すれば、街の住民も逃げ出せるな」
決心して中に飛び込む。壁の厚さは殆どなく、一歩で塀の内側に着いてしまう。
舞い上がる火の粉が夜空を赤く照らし、炎に驚いた人々が逃げ惑っている。人の流れに逆行すれば押されて道の端へ追いやられた。
「くっ……」
アレックスとジュリアはどこなのだろうか。レイモンドは二人の行動パターンを思い出した。「俺に任せろ!」と言っては後先考えずに危険に飛び込んでいくアレックスと、勢い任せで深く考えないジュリアが、火事の現場に行っている可能性は高い。特にアレックスは、先に捕まって労働者になっているだろう。
「火の勢いが収まれば……」
建物に沿って明るい場所に近づく。工場は住民が暮らす街区より下にあると気づき、ジュリアと同じように降りる方法を探した。
「……っ、なせっ!」
聞き覚えがある声に振り向くと、下の路地で茶色い長い髪を下ろしドレスを捲り上げた女性が、両脇を抱えられて足をバタバタしている。
「はーなーせーっ!このっ、このっ!」
蹴とばされても用心棒らしき男達はびくともしない。
「……ジュリア!?早速捕まったのか……」
レイモンドは辺りを見回し、人がいないのを確認してから、
「うわあああああ!大変だ!街に火が回ったぞ!」
と下に向かって大声で叫んだ。
◆◆◆
「……まあ、見てて」
エミリーはにやりと笑った。慌てた様子で出てきたジャイルズが、馬丁が予め用意していた馬車に飛び乗る。老人とは思えない身のこなしだ。
エミリーとアリッサは、庭の木々の間から彼を見ていた。葉の密度が高くこんもりと茂った庭木が、うまく二人を隠している。
馬に鞭を入れ、走り出そうとした瞬間。
「うっ、何だ!?」
数メートルも進まないうちに地面から闇が噴き出す。混乱した馬が嘶き、バラバラの方向に逃げようとするが、馬車の車輪は地面にしっかり掴まれたように進まない。
「……やった。さすが私」
「すごぉい、エミリーちゃん。あの人、馬車で進めないよ」
「三日はあのまま。馬は戻せても、馬車が動かないと追えない」
「ニセ領地管理人は来なかったね」
「ジャイルズは私達を追えと指示された?」
「そうみたいね。領地管理人を捕まえるのはまた今度になっちゃった」
エミリーは頷いた。
「……一度、馬具工房へ行こう。王太……スタンリーと合流して、王都に戻るか決めよう」
「王都に戻るの?」
「エスティアでピオリが栽培された理由も分かった。ニセ領地管理人を締め上げるのは後でもできる。いつまでも隠れていられないでしょ」
「ビルクールを調べる時間も必要だものね」
「そう。……あそこが一番問題ありそう」
「フロードリンとコレルダードに行った四人が、何か掴んでるといいね。大丈夫かな、マリナちゃんとジュリアちゃん」
「へえ、『レイ様』じゃなく?」
「レイ様は大丈夫に決まってるもの。……アレックス君は不安だわね」
ジャイルズが諦めて邸の中へ戻ったのを見て、エミリーとアリッサは邸の庭から出て町へ走った。
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