382 悪役令嬢は塀に飛び込む
「待って、ジュリア!危ないわ」
階段を走り下りて行く背中に呼びかける。ジュリアは振り返らずに言う。
「行かなきゃ。私、アレックスを助ける!」
「魔法爆発だったらどうするの?あなた、魔法は……」
「アレックスも魔法が使えないぞ」
「いいの!アレックスが死んじゃったら、私の未来も終わるんだもの!」
マリナとレイモンドの制止を振り切り、ジュリアは夜の町へと飛び出した。
真っ直ぐ伸びる通りの片側は、高い塀が続いている。
塀の中からは人々の叫び声が聞こえ、時折爆発音のようなものが聞こえる。中に街があるのだろうが、どうなっているのか見当もつかない。
「あそこから、入れるといいな」
黒ずくめの集団が入って行った穴を探し、近くまで来ると人の声がよく聞こえた。
――ここだ!
思い切って塀を押すと、何の抵抗もなく中に吸い込まれた。
「何だ……?」
ジュリアが立ったのは、真っ黒な石畳だった。
建物は全て黒か黒に近い色でできている、そこは暗闇の街だ。赤い炎が見えて、人々が逃げてくるのが見えた。皆髪はボサボサで、粗末な服を着てやせ細っている。
――普通じゃないわ。
目立ってしまうが仕方がない。アレックスはどこにいるのだろう。
「すみません」
近くにいた女性に声をかける。
「ひっ……」
青ざめて首を振り、女性はジュリアを見て逃げて行った。
「話すなって言われてるのか?困ったな……」
赤く燃える炎を一睨みし、ジュリアはスカートを跳ね上げて走り出した。
◆◆◆
「どうするの、レイモンド。王都の市場に戻るつもり?」
「アレックスとジュリアが心配だ。混乱に乗じて中に入るのもよさそうだが……マリナ、君は一人で市場に行けるか?」
「私が調べるのね?」
「頼んでもいいか。俺は二人を助けたら塀から出て王都へ戻る。調査が終わったら一旦オードファン公爵家の別邸で待っていてくれないか。セドリック達と合流してから、ビルクールでの動きを考えよう」
セドリックの名前を聞いて、マリナの胸が音を立てた。
同じ建物にいても近づくことは叶わないのだ。
――会いたいな。
「分かったわ。頑張ってみる。……気をつけてね、レイモンド」
「ああ。必ず二人を連れて戻る。当然、成果を携えてな」
フッと笑ったレイモンドは黒っぽい外套に身を包み、夜の闇へと溶け込んだ。
◆◆◆
塀の中の街の大通りと思われる場所を真っ直ぐ抜けて行くと、ジュリアは工場街の前に出た。工場は歩いてきた街よりも建物の二階分低い場所に立っていて、大通りから続く石作りの通路が建物の三階部分を繋いでいる。見下ろすと労働者が右往左往しているのが見えた。
「こっちに上がってくればいいのに」
前世の駅にあった自由通路は階段やエレベーターで上がることができた。ここも同じような造りなら、どこかに階段があって下に降りられるはずだ。しかし、少し走っても下に続く階段は見つからない。
――建物の中から下りるのかな?
通路を進み、建物のドアから中の様子を窺う。人の気配はない。
ドアノブに手をかけて押してみると、鍵はかかっておらず、簡単に中に入れた。
「よし、ここから……」
建物の三階部分は何もなく、倉庫のようだった。隅に転移魔法陣があり、反対の隅に階段がある。ジュリアは室内を見回し、適当な長さの棒を見つけて、捲り上げて結んだスカートの裾に挟んだ。裾がウエストで結ばれていて、まるで腰に剣を携えた武士のようだ。
足音を立てずに下りて行く。二階も人の気配がないが、何かの事務所のようだった。爆発から避難したのかもぬけの殻だ。
「下まで行けそうね」
階段を下りて一階へと向かう。そっと物陰から外を窺うジュリアは、後ろから見つめる視線に気づいていなかった。
◆◆◆
「もう少しで帰れるぞ、頑張れ」
アレックスは怪我をした若い男性に肩を貸し、自分も服をボロボロにしながら歩いていた。火事による爆発が起こったのは、彼らがいた隣の工場だった。
「……トニア」
「何か言ったか?」
「……俺はもう無理だ。怪我が酷くて、体力が持たねえ……」
「諦めるな。すぐに治癒魔導士が……」
「そんなもん、来ねえよ!」
重傷を負っているのに、彼は大声を出した。まるで泣いているような声だった。
「塀の中じゃ、病気になっても薬も飲めねえ、治癒魔導士もいねえんだ」
「病気や怪我をしたら、どうするんだよ?」
「どうって……死ぬのさ。俺は仲間が死ぬのを、見てきた。食事も……少しだけで、毎日休まず働かされる。病気にもなるさ……っく、はあ」
「無理に喋るな。傷が開くだろ」
「……そこで下ろしてくれねえか。休みたい」
足元を気遣い、アレックスは路地の片隅に彼を座らせた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「……おい、あんた」
「何だ?」
「逃げないのか?いつ爆発するか分かんねえんだぞ」
アレックスの服を掴んで、ギョロギョロと目だけが大きく見える顔でじっと見つめた。
「どこかで手当てしてやるから、少し休憩したら行くぞ」
「いや、そうじゃなくて……俺は……」
「俺は一度決めたらやり抜く男だからな。怪我人を見捨てたりしないんだ!……っと、立てるか?」
屈みこんで手を差し出したアレックスに、彼は泣きながら苦笑した。




