381 隠れ家
「ここなら安心さ。だぁれも来やしねえよ」
「……ありがとうございます」
「なあに、俺達の都合でこんなボロ小屋に押し込めてるんだ。礼なんていらねえよ」
馬具職人は物置小屋にセドリックを案内した。工房の奥、様々な材料を置いている場所の奥に作業ができる空間がある。裏口に通じており、正面から誰かが来ても抜け出せるようになっている。
「何だ、兄ちゃん。浮かねえ顔だな」
「……僕は、何の役にも立っていないなって」
「ん?まあ、そうかもしれねえな」
はっきり言われてセドリックはがっくりと肩を落とした。エミリーやアリッサに責められるならまだしも、町の人の目から見てもそうなのだと思うといたたまれない。
「まあ、いいじゃねえか。今はまだ、あんたの出番じゃないかもしれねえが、必ずあんたの力が必要になる時が来る。だからここにいるんだ、くらいの気持ちでいればいい」
「僕の……出番?」
「それまでしっかり休んどくんだな。領地管理人が戻ってきたら、奴をふんじばるんだろ?」
二日酔い状態でエミリーから説明を受けたセドリックだったが、領地管理人を捕らえる段取りは完全に理解できたわけではない。そんなにうまくいくのだろうかと、未だに半信半疑のままだ。
「この町に来る道は、崖伝いに続く細い道しかなかったよね」
「ああ。ありゃあ酷い。俺達も用がなきゃ通りたくないね。馬車がすれ違えねえんだ」
「領地管理人もその道を通ってくるのかな」
「どうだったかなあ。うちの町の西は別の領主の土地で、崖じゃねえけど細いうねった山道が続いてる。南側は切り立った崖が続く。東は崖伝いの細道だ。どっから来たって時間はかかるし、ジャイルズが魔法で連絡していたって、まだ来ないさ。安心しな」
セドリックは頷いてボロボロのソファに座った。アリッサに渡されたノートで、エスティアの報告を確認する。ここ数年、何も変わった様子はない。
「育てたピオリはどこで売るのかな。苗木に需要があると思えないんだ」
「さあね、俺達が収穫しておくと、領地管理人が持っていくんだよ。木で育てるんだから、種より苗木の方がいいとは思うんだが……」
ピオリの種の効能は知られていないようだ。セドリックは胸をなで下ろした。
「この町のピオリは苗から育てたもの?」
「いいや。種からここで育てたんだ。元々、このあたりの山には昔からピオリが自生していたんだよ。種を集めたこたぁなかったが、集めようと思えばいくらでも集められた。領主様……いや、領地管理人はそれに目をつけ、ピオリを育てろと言った。俺達はあの花が特別綺麗だとも思わねえし、種が金になるなんて思ってもみなかった」
「どうしてピオリを育てることにしたの?価値があるって知らなかったのに」
馬具職人は渋い顔で首を振った。
「それが一番金になる……少ししか取れない小麦や、果物やチーズで払うより、ピオリの種ならこんな一袋で小麦の何十倍もの価値として見てくれるんだ。年貢が倍以上になっても、ピオリを育ててさえいれば自分らが飢える心配はない。若い奴が街に出て行って働き手がいない家は特に、ピオリに鞍替えしたんだよ。ピオリなら放っておけば実がなり種が取れるからな」
セドリックは昨晩のことを思い出した。確かに、町の人が集まる店には、若者の姿が少なかったように思う。五十代にさしかかろうかという女将でさえ、中では若い方だった気がする。
「若者がいなくなったのはどうして?」
「あんたは、この町に生まれたら、残ろうと思うか?」
「え……」
「何もねえ、山しかねえようなところだ。楽しみといやあ、酒盛りくらいだな。若い奴には退屈だろうさ。大きな街で仕事があるって聞いて、行ってみたくなるのも分かるだろ」
「仕事があるって、誰かが斡旋したってこと?」
「ああ。領地管理人がジャイルズに指示して、若い奴らに声をかけたんだ。フロードリンに行きゃあ、今よりずっと金になる仕事があって、実家に仕送りもできて、将来遊んで暮らせる金が稼げるってな」
「フロードリン……」
ハーリオン侯爵領の一つだ、とセドリックははっとした。表情には出さないようにする。
「知ってるだろ、ほら、絨毯で有名な」
「うん。工場があるところだよね。皆工場で働いて仕送りをしているんだね」
「さあな。行って三月もしないうちに、仕送りはされなくなったって聞くぜ。だいたいどこでも同じだな。都会に出ると、こっちのことなんて忘れちまうんだろう」
馬具職人はセドリックが死角になるように物を移動し、
「あんたのかみさんと姉さんが来たら、すぐに案内してやるよ。しばらく休んでな」
と日に焼けた顔で笑った。
◆◆◆
「宰相閣下、緊急事態です!」
廊下を文官が走ってくる。制服である長い丈の紺の上着が風圧で翻り走りにくそうだ。
オードファン公爵は立ち止まり、彼の報告を待った。
「何があった?」
「フロードリンより、伝令魔法です。街中心部で爆発事故があった模様です」
「工場がある街だな。毛織物に引火して被害が広がらなければいいが」
「爆発の中心がどこなのか、詳細は不明です。ただ、爆発があったとだけ。その後の報告はありません」
宰相は顎に手を当て、眉間に皺を寄せた。
「陛下に報告する。……治癒魔導士の出発に備えるように、魔導師団長へ連絡を。それから、騎士団長にすぐに動かせるよう部隊を整えておけと」
「はい。承知しました」
文官の青年はきびきびと礼をすると、もと来た道を引き返し始めた。オードファン公爵は小走りで王の待つ執務室へと駆け込んだ。




