380 悪役令嬢は輝く眼鏡に驚く
「ジュリア、レイモンド……よかったわ、私一人でどうしようかと思っていたのよ」
「それって、あの集団を追ってることと関係ある?」
「勿論よ。私、この塀の入口を知りたいの」
レイモンドは高い塀を見渡した。暗くて良く見えないが、かなり遠くまで続いている。
「城壁か?」
「似たようなものね。中に入った人は出てこないんですって。お店も皆、塀の中にあるらしいわ」
「ふーん。外の奴は買いに来るなってことか。商売としてそれでいいのかな。ねえ、アレックスは?別行動してるの?」
ジュリアが何気なく言った言葉に、マリナはぐっと詰まった。
「ええ、そうね……」
「……怪しいな。はっきり言いなよ」
「分かったわ。……あの黒服集団の前で伝説の聖剣ごっこをして、あっさり捕まってしまったのよ」
◆◆◆
黒ずくめの男達を追いながら、事情を手短に話すと、レイモンドは額に手を当てて溜息をついた。
「……問題外だな。いや、ある意味想定内か?」
「アレックスを助けるには、中に入るしかないよねえ」
「塀の中に魔法陣があれば別でしょうけど、工場で生産したものを王都まで運ぶには、塀から出て工業会の建物へ荷物を持ってくる必要があるわ。必ず塀が開く時間があるはずよ」
「そう考えるのが自然だな」
レイモンドが頷き、次の瞬間、あっと声を上げた。
「見ろ!男達が吸い込まれていくぞ」
「嘘ぉ……壁に穴が開いてんじゃん」
延々と続く塀に空洞ができている。黒ずくめの男達と、コレルダードから連れてこられた二十人ほどの人達が、次々とその穴に入っていく。
「魔法か……」
「普段は塀にしか見えないように、錯覚させているんだな」
「場所さえ分かれば、誰でも中に入れるのかしら」
「どうかなあ。入ったら罠が張ってあったりするかもよ。ゴキブリ取りみたいに」
「ゴキブリ?」
レイモンドが不思議そうに首を傾け、ジュリアが「何でもない」と続けた。
「……うむ。正攻法でいくか」
「どうするの、レイモンド?」
「簡単だ。塀の中で働きたいと言って入れてもらうんだ」
「入ったら最後、出られないのよ?」
詰め寄ったマリナに、レイモンドはふっと笑った。
「出るには正体を明かさなければならないな。君達は秘密にしておいてもいいが、俺は身分を明かして……王の命令でこの工場の実態を調べ、不正を取り締まるために来たと言えば出られるだろう」
「言ったもん勝ちってこと?陛下の命令だって証拠もないのに」
「命令ではないからな、書状もない。……だが」
襟元を緩め、レイモンドはシャツの中に手を入れた。しゃらりと鎖が擦れる音がする。
「……それ、指輪?」
「金の指輪ね。……王家の紋章だわ!どうしてそれを?」
「セドリックと我が父上に次いで、俺は王位継承権第三位だからな。王が退位すると継承順位に合わせて指輪が渡されるんだ。先代の王、セドリックの祖父が退位した時、一歳だったセドリックが王太子になり、金の指輪を受け取った。見たことがあるだろう?」
そう言われれば、似たような、もう少し大ぶりな指輪を見たことがあるような気がする。
マリナは素直に頷いた。
「それを見せて、陛下のご命令だと言うのね?」
「最終手段だが」
「印籠みたい。ひかえおろー、って」
「……何だそれは?」
「あ、ゴメン。こっちの話」
レイモンドとマリナに睨まれ、ジュリアは茶髪の頭を掻く。
「私達が調べていると、王宮に知られてしまうわよ。こっそり出て来られないものかしら?」
「だよねー。やっぱ荷物と一緒に出入りするしかないんじゃない?」
「簡単に出入りできるなら、逃げ出した人がいてもおかしくない。逃げられない何かがあるんだ。自由を奪われているか……あるいは」
「あるいは?」
「出るには、死ぬしかない、とかな」
目を眇めて塀を見て、レイモンドは腕組みした。
◆◆◆
塀の切れ目が分かったことを収穫として、三人は一度、マリナが宿泊している『銀のふくろう亭』に戻ることにした。クリフトンや商店街の人達に話を聞くためだ。牧師は限りなく怪しいが、皆彼に絶大な信頼を寄せている。どうしたものか。
「へえ。じゃあ、二人はマリアンの友達?」
夜中に起こされたのにも関わらず、クリフトンは嫌な顔をせず二人に対面した。
「そ、そうなんだ。こっちがレジナルド。愛称はレジーね」
「おい」
「私はジュリアン。マリアンとは生まれた頃からの親友なの」
「そうかあ。……悪いな、今日はいろいろあってさ。……二階、どの部屋でもいいから休んでくれ」
「ありがとう、クリフトン。長旅でへとへとなんだ。助かったよ」
愛想よく微笑んだレイモンドに、二人は信じられないものを見たような視線を向けた。
部屋は五つあったが、マリナとジュリアは同じ部屋に泊まることになった。アレックスが戻ったらレイモンドと同室になることにし、当面二部屋を使用する。マリナがジュリアの荷物整理を手伝っていると、控えめにノックの音がした。
「マリナ、ジュリア、少し話したいんだが、いいか?」
ドアを開けてやり、ジュリアはレイモンドに入室を促した。マリナと二人でベッドに座り、レイモンドは木の椅子に腰かけた。
「アレックスを助けたいとは思っているが、先に、王都で調べたいことがある。ジュリア、来る時に話しただろう?」
「……何だっけ?アレックスのことしか考えてなかったよ」
「コレルダードの農産物の行方だ。毎年、報告書の年貢の三倍を徴収しているらしい。単純に考えて、侯爵家に納められる倍の量の農産物が、どこかに流れているということだ。それだけの量が王都に出回れば、物の値段が安くなったと嫌でも聞こえてくるはずだ」
「え?でもさ、コレルダードで聞いたよ?王都に売りに行ったらいっぱい出回ってて売れなかったって」
「売り方はどうするのかしら?コレルダードの生産者が、直接市場で販売できるの?」
「市場では登録していなければ販売はできない。売り上げの一部が市場の運営経費になる仕組みだ。多分、その生産者は、小麦を扱う店に買い取ってもらおうとしたんだろう。買い取らなかったか、安く買いたたかれたか……いずれにしても相当不利な状況だったと見ていい」
「小麦のお店に、他の人が売った小麦が在庫としてたくさんあったら、買わないんじゃないかな。いくら『コレルダードの小麦』がグランディアで一番おいしいっていってもさ」
レイモンドは近年の小麦の価格動向を書いたページを開いた。
「うわ、レイモンドのノート、綺麗だねえ」
「ジュリアのノートが見にく過ぎるのよ。丁寧に書けば」
「これが近年の王都の市場における小麦の取引価格だ。この五年、ほぼ横ばいだな。収穫期にはご祝儀相場で多少値が動くが、あとは在庫を小出しにしているだけだから、毎月殆ど同じだ」
「王都では小麦の値段が安くなったことはないわね」
「市場の店がどこから小麦を仕入れたのか、元を辿ればコレルダードの件は黒幕に行きつく。フロードリンの件は、食べればなくなる小麦と違い、毛織物は形が残るものだ。王都では荷を下ろさず、すぐに別の土地へ運ばれているのではないか」
「二つの不正の手がかりが市場にあるってこと?」
「ああ……コレルダードから労働者が強制的にフロードリンに連れて来られていることが分かっている。二つの土地で不正を行っている首謀者は同じと見ていいだろう。塀の中でアレックスが実態を調べてくれていると期待しよう。二つの街の裏の繋がりを暴いて、悪党どもを一網打尽にしてやる!」
キラーン。
レイモンドの眼鏡が光った。
――まるでマンガみたいだわ。
マリナが笑いそうになった時、彼の眼鏡に映る光が揺らめいた。
「大変だ、マリナ!」
ジュリアが窓に走り寄り、ガタガタと扉を開いて向こうを指さした。
「塀の中で何かあったんだ!火事?爆発?……向こうにアレックスがいるのに!」
眼科疾患になってしまいました。
酷くなってきたら更新が夜のみになるかもしれません。
なるべくいつも通りに更新したい気持ちです。




