379 悪役令嬢は鼻をすする
ずず、ずびっ……。
アリッサはボロボロ泣きながら、鼻を拭いて少しすすった。
「ひっ、ひどびはなじでずねぇ」(酷い話ですね)
「大丈夫か、嬢ちゃん?」
「へ、へいぎでづ」(平気です)
――大丈夫じゃないじゃない、アリッサ。
ベッドで寝たふりをしながら、エミリーは眩暈がしそうだった。町の人を説得するつもりが、すっかり感化されて泣いている。泣き虫のアリッサに悲恋物語を聞かせたらこうなることは予測できた。
「……あんた達には申し訳ないと思ってるよ。でもね、見逃したら、あたしらも三人、いやそれ以上に見せしめとして殺されちまうんだよ」
カツ。
靴音が響いた。
「……六人死ぬより、三人の方がマシだって言うの?」
ベッドから下りて歩いてきたエミリーは、剣呑な視線を向けた。
「いや、そういう話では……」
「そうとしか聞こえないんだけど?」
「あの……」
「話からすると、殺されたのは旅の男一人。女将さんの娘は自害させられた、でいい?」
「は……はい」
大人達が話し合い、苦渋の決断をしたところを、あの少年は見てしまったのだろう。
三人は完全にエミリーの気迫に圧されていた。ついでにアリッサもだ。
「とすれば、実質、この町の人は人を殺していない。……旅人を殺したのは領地管理人の男だから」
「あ……」
「今ならまだ、人殺しにならずに済むわ。……どうする?」
紫の瞳を細めて、意味ありげににやりと笑う。
「できることなら、俺達も人殺しにはなりたくない」
「ああ。でもよ、ジャイルズは領地管理人に報告していると思う。あんた達三人がエスティアに来たって」
「逃げてもまた捕まっちまうよ……ごめんよ」
女将は悲しそうな顔をしてアリッサの手を取った。
「ジャイルズが報告していたとして……私達が逃げたら、その領地管理人はここに来るのね?」
「多分な」
アリッサがノートを捲る。年次報告によれば、エスティアの領主はハーリオン侯爵だが、領地管理人は別にいることになっている。ハロルドの父亡き今、この地を管理しているのはハーリオン家分家ではない。
「領地管理人の代理として、セバスチャン・ポウと書いてあるわ。だから、管理人は不在のはずよ」
「そんなはずはねえ。俺達、あの男に言われたんだよ。ジャイルズが執事になった時、あいつが……いや、待て、そんな……」
馬具職人の男が頭を抱えた。
「花を栽培しろって、あの男が言ったんだ。ピオリは金になるからって。俺は、高地だからピオリは育ちにくいって言ったんだよ。それでも植えろって、植えなかったら土地も家も取り上げて知らない土地に追放するって脅されたんだ」
声を裏返しながら農園の息子が訴えた。
「……そう。その領地管理人は、領主のハーリオン侯爵に任命された人物ではないということ。あなた達は騙されているの」
「嘘だろ?それなら、あたしらは騙されて……ロージーは死ななくてよかったってことかい!」
女将が立ち上がり、エミリーに掴みかかった。体格のいい彼女に押され、後ろにぐらついてしまう。
「おっと、ごめんね」
「……敵、討ちたい?」
「当たり前だよ。大切な……大切な一人娘だったんだよぅ……」
「……じゃあ、その領地管理人をおびき出せばいいよね」
「エミ……エマちゃん!正気なの?」
「どこの誰だか知らないけど、ハーリオン領に勝手に入ってきて、好き放題やってくれてるじゃないの。とっつかまえて、誰の指示だか吐かせてやるわ」
「……エマちゃん、キャラ変わってるよ?」
「あ……」
町の人三人は、勇ましいエミリーを見てフリーズしている。『病気がちで療養に来た若妻』から、とっつかまえるだの吐かせるだのという台詞が出て来るとは誰も想像できなかったのだろう。
「馬具屋の旦那さん、あなたはこの人……私の夫を背負ってどこかに隠してほしいの。それと農園の……そう、あなた。鶏はたくさんいる?」
「うん。そりゃあ、たくさん……」
「なら、何羽か殺してもいいかしら?」
「えっ……?」
「おびただしい量の血が必要なの。後始末が大変だけど……どこか適当な広場に撒いて、そこから町の外へ向かって点々と血を落として」
「女将さんは、私達を殺そうとしたけど、町の外に逃げたって皆に触れ回って」
「そんなんでいいのかい?」
「あとは、私達の隠れ場所を用意してもらえればいいわ」
◆◆◆
町の人達に掴まって連れ去られる演技をして、アリッサ、エミリー、セドリックの三人は邸を出た。殺人の証拠隠滅のために荷物も持って行くだろうと、持ち込んだ物は残さない。窓から邸を覗いていた者の話では、皆が邸を出て行った後、ジャイルズが部屋から出てきて様子を窺っていたそうだから、近いうちに偽の領地管理人へと報告が行くだろう。
エミリーの指示通り、馬具職人はセドリックを安全な場所に隠した。農園の息子は鶏を何羽か屠殺して広場に血を撒いた。女将は常連客と町の女達の協力を得て、町中に旅人三名が死にかけて逃走した話を広めた。勿論、三人が生きていることは一部の住民しか知らない。町の人達が奔走している間、エミリーはハーリオン分家の邸にある馬車の傍に捕縛の魔法陣を仕掛けた。馬車が走り出せばすぐに捕まるような位置に。
「……これでよし。夜中に描いたにしては上出来だわ」
「エミリーちゃん、空が明るくなってきたよ?町の人、大丈夫かなあ?」
「ジャイルズの働きにかかってる。予定通りに動いてくれるといいけど」
物陰から邸の窓を見つめ、エミリーは大きく欠伸をした。




