370 悪役令嬢は耳を欹てる
「ふあー。けっこう話したね。すっかり暗くなっちゃったよ」
大きく伸びをして、先ほどの娼婦の話を思い出す。彼女が客の一人に誘われるまで、三人は話し込んでいたのだ。
「収穫祭がなくなったのは、二年前か……。侯爵が王都を離れられなかった頃からか」
収穫祭が行われなかった年は、治水工事に男手が奪われ、十分な収穫量が維持できなかったところに、いつもの年の三倍の年貢を課されたと言っていた。
「ハーリオン侯爵は、年貢を厳しく取り立てているのか?」
「まっさかあ。お父様は貿易の会社もやってるんだよ?王家に納める分くらい余裕で稼いでるっての。領地から無理に集めなくてもいいんだよ」
「それなら、娼婦が言っていた、三倍の年貢はどこに行ったんだ?」
レイモンドはノートを取り出した。領地からハーリオン侯爵に納められた年貢――コレルダードの場合は小麦――の量は変わっていない。『男手が奪われた』という治水工事の履歴も確認できない。
「……分からんな。前の年も次の年も、川の状況は変わっていない」
「さっきの人の旦那さんも、連れて行かれて帰ってきていないんだってよ?コレルダードの近くじゃなくて、もっと離れたところかな?」
「コレルダードを含むこのハーリオン家の領地は広い。だが、なかなか帰って来られない距離でもあるまい。帰れない土地へ連れて行かれたか、帰らぬ人となったかだろうな」
「死んじゃったってこと?」
「慣れない土地で、過酷な条件で労働を強いられれば、病に倒れることもある」
「あとさ、自分のところで収穫した小麦を王都の市場に持って行っても、コレルダード産のもので溢れていて売れなかったって言ってたよね。収穫量が増えないんだから、市場に溢れるくらい出てるっておかしくない?」
「皆殆ど年貢に取られているのにな。市場でも聞き込みが必要だろう。騎士団が気づいているのかどうなのか……」
「うーん……」
ベッドに仰向けに寝転び、ジュリアはガシガシと銀髪を掻き毟った。
「この部屋、何かいるんじゃない?痒い」
「一応シーツくらいは洗っているんだろうが、寝転がるのは勇気が要るな」
レイモンドはベッドに腰掛けた。
そこでジュリアは、この部屋の大問題に気が付いた。
「……ねえ、レイモンド」
「何だ」
「今晩、どこに寝るつもり?」
「……なっ!」
レイモンドは自分が座っている大きなベッドが、ジュリアの寝転んでいるベッドである……つまり、この部屋にはベッドは一つしかないと気づいた。
「私は……別に構わないよ?端と端で寝れば」
ジュリアの中では、前世の小学生時代に行った林間学校の気分だ。テントの中で皆寝袋に入って寝た記憶がある。
「……君は危機感がないのか?」
レイモンドは座ったまま、手を額に当てて俯いた。
「ききかん……?」
「男女が同じベッドに」
「あ、別に?だって、レイモンド、私のこと女だと思ってないでしょ?」
起き上がって身を乗り出し、座り込むレイモンドの隣に正座した。やけにフリルの多いひらひらしたドレスが邪魔だ。
「思っていなかったら、……こうして困っていない」
「え……」
――レイモンド、私を意識してるの?
急にジュリアの心臓が音を立てはじめた。
「アリッサの姉でアレックスの婚約者だから、万が一のことがあっては……」
「ねえ、まさかのまさかだけどさ。レイモンド、私に誘惑されるとでも思ってるの?」
「……違うのか?」
「はあっ?」
バン。(ぼふっ)
ジュリアはベッドのくたびれたマットレスを叩いた。白い目でレイモンドを見る。
「私、アレックス以外は興味ないの。馬鹿にするのもいい加減にして!」
襟元をぐっと握って上から目線で怒鳴った。力いっぱいドアを閉め、ジュリアは階段を駆け下りて行った。
◆◆◆
エスティアの町の酒場は人影もまばらだった。
きょろきょろしながらテーブルについたセドリックは、
「ねえ、あれは何?」
としきりにアリッサに訊いている。まるで三歳児のようだとエミリーは思う。
「ここのおすすめは何かな。美味しいものは……」
「スタンリー」
「?……あ、僕か」
「何しに来たのよ。遊びに来たんじゃないわ」
「ごめん……つい、嬉しくなっちゃって」
セドリックはエミリーに叱られ通しだった。三人ではあるが、知識の面以外では役に立たないアリッサと、生活力皆無の王太子である。自分がしっかりしなければとエミリーは思っていた。
「打ち合わせ通り、よろしくね?」
「うん、分かった!」
「頑張るね、エミリー……じゃなくて、エマちゃん」
セドリックは大きく息を吸い込み、エミリーとアリッサに向かって話し始める。
「ああ、ここは空気がおいしくていいね」
「ええ、本当に」
アリッサが答える。
「王都のように馬車が土煙を上げることもなくて、エマにはいい場所ですね」
「コホン、コホン……」
わざとらしく咳払いをして、エミリーは周囲の反応を窺う。王都から来た謎の三人組に、周囲の者達は耳を澄ましていた。
――いける!
「嬉しいわ、スタンリー。これなら、私の病気も……コホン、コホコホ」
「まあ、無理をしてはいけないわ、エマ。治りかけの身体で無理をして、ジャックのようになってしまっては……」
「ジャック兄さんは……残念だったわね。素晴らしい人だったのに。私と同じで病気がちで、あんなに呆気なく逝ってしまうなんて」
エミリーが考えた設定はこうだ。
セドリックに背負われた自分は病弱設定だ。夫のスタンリー、兄の妻で未亡人のアリスと、病気の療養に適した土地へ旅をしている。これと言った観光地もなく、豊かな自然環境以外に特筆すべき点がないエスティアに、旅人が来ること自体珍しいと聞いたからである。
「私、療養するなら、綺麗なお花が見られるところがいいわ」
「花……そうね。春になったら探しましょう」
「お義姉様、私は春までもつのでしょうか」
「悲しいことを言うんじゃない、エマ。君は必ず良くなる!病気など吹き飛ばしてみせるよ。僕の愛で!」
――ちっ、やりすぎだよ王太子!
セドリックの芝居がかったクサイ台詞に吐きそうになりながら、エマは耳を欹てた。
「なあ、お前さん達――」
――釣れた!
エミリーはアリッサと視線だけで会話をし、口の端だけで微かに笑った。




