39 悪役令嬢は王宮に軟禁される
「本当に、平気ですから、帰らせてください」
マリナはかいがいしく世話をする侍女のうち、最も年かさの女に声をかけた。
「いいえ。王妃様がお許しになるまでは、お部屋からはお出にならないようにお願いいたします」
淡々と言って礼をする。
困った。鉄壁の守りとでも言うのか、王宮の侍女は打ち解けてくれない。
子作りがどうだとか言うセドリックに勢いでキスされて、ディープキスされそうになったから突き飛ばしたら、一大事になってしまった。頭を打ったセドリックが気を失って、マリナは王太子の居室から遠い部屋に閉じ込められている。乱れたドレスはゆったりとしたワンピースに着替えさせられ、休むように言われている。
――落ち着かない。
あの時、駆け付けた侍従がマリナの様子を見て青ざめたのを思い出す。
絶対、何かあったと思われている。マリナはどうやってここから帰ろうか思い悩んだ。
連絡を受けた王妃は、ハーリオン家に使者を出したようだ。侯爵は王宮にいて知らせを受けただろう。両親の心配する顔を想像してマリナは天を仰いだ。
◆◆◆
マリナがしばらくぼんやりと椅子に身体を預けていると、侍女に案内されてハーリオン侯爵が入ってきた。慣れない仕事の疲れか、娘に起こった出来事による精神的ショックか、憧れの美男子がヨレヨレのくたびれた中年になっている。
「お父様……」
椅子から立ち上がろうとするマリナを手で制し、侯爵は向かい側に腰かけた。
「話は聞いている……大変だったな」
目にはうっすら涙が浮かんでいるようだ。誤解されている予感にマリナは顔が強張った。
「あの……それは」
「王の御前に一同が会し、橋の復旧について議論していた時、王妃様が執務室へ飛び込んでこられた」
「王妃様が?」
「それはもう慌てた様子で陛下に、セドリック殿下がお前を、と。皆に聞こえないよう、陛下を部屋の隅へお連れになってはいたのだが、何分声が大きくてな」
ハーリオン侯爵は溜息をつき、乱れた金茶の髪をかき上げた。少し疲れた美中年ぶりは、娘のマリナから見ても美しい。
「殿下がお前を手籠めにしたと、皆に知られてしまった。」
「手っ?ちが、違いますよ、お父様!そんなことされてません!」
父の美しさに呆然としていたマリナが我に返り、椅子からひっくり返りそうになりながら侯爵の足元に寄り手を取った。
「王妃様は、お前のドレスが乱れ、泣いていたと陛下にお話しになった。これだけでもあの場にいた貴族連中は、お前が殿下のお手付きになったと思っただろうな」
「神に誓って何もないんです!」
「本当か?」
完全に何もないかと言われれば、キスはされたが。
「……うぅ」
「何かあったんだな」
「キス、されました。あ、舌は入れられていません!」
マリナが慌てて否定すると、侯爵の表情が険しくなった。
「……ほほう」
「お願いですお父様。私、家に帰りたいです。ここから連れ出してください」
父侯爵はマリナをじっと見つめて、緩やかに首を横に振った。
◆◆◆
仕事に戻る侯爵を見送った頃には、すでに夜も更けていた。
マリナは新しい侍女が来るたびに、何とかして家に帰るべく懐柔しようと試みたが、有能な王宮の侍女は彼女の訴えに耳を貸さない。王妃の命令が全てのようだった。
諦めて用意されたベッドに入る。青い色のカーテンが下がった天蓋は、寝転がって見上げると美しく細やかな装飾がされており、肌触りが良い上質な生地のネグリジェは、普段王妃が好んで作らせている店のものだ。流石は王室御用達である。
無意識に唇に指を触れる。
セドリックの熱が、唇の柔らかさが、マリナの唇を撫でた舌のざらざら感が、次々に思い出されて顔が赤くなっているのが分かる。
今世で初めてのキス。
攻略対象者で、自分を破滅させるであろう王太子とのキス。
彼に恋焦がれてはいけない。彼は自分を選ばない。ヒロインとの愛を育て、婚約者である自分は捨てられる。用意された結末は、侯爵邸で夜盗に殺されるか、王妃になって彼の子を身ごもった後捨てられ発狂するかだ。
初めは嫌がる彼にドレスも着せた。きつい言葉で貶めた。嫌ってほしくて冷たく当たったこともある。それでも彼は自分を嫌ってはいない。寧ろ溺愛していると言っていい。
嫌ってほしかった。最初から婚約したくないくらいに嫌ってほしかった。
「……何か、嫌いになれないのよね」
口をついて出た本音は、マリナの胸にじわりと広がる。
初めて王宮で泣いている彼を見た時から、全ては決まっていたのかもしれない。泣いていれば放っておけないと思った。子供なのに一人前に自分をエスコートしようとする姿に見とれた。服を脱がせると顔を赤らめて必死に耐える彼を見て興奮した。この頃垣間見える男らしさに胸が高鳴った。こんなに自分を揺るがすのはセドリック以外にはいない。彼から離れようとしていたのに、前世でダメ男ホイホイだった悲しい性か、どんどん深みに嵌っている。
「……セドリック様……」
マリナは名前を呟き、瞳を閉じた。
アリッサを批判できやしない。
自分も攻略対象者、破滅へ導く元凶の王太子を好きになりかけているみたいだ。
好きになったら、絶対に婚約してはいけない。
――もう婚約しているようなものだけれど。
ヒロインと彼が仲睦まじくしているところを見たら、ゲームの悪役令嬢と同じように嫌がらせをしてしまう気がした。ヒロインだけではなくセドリックにも嫌味を言ってしまう。前世で嫌悪感を抱いた令嬢に、自分はなってしまうのだろうか。
「……嫌よ」
ハーリオン家の長子として恥ずかしくないよう己を磨き、何事も完璧に身に付けてきた。皆が誉めそやす令嬢としての矜持が自分にはある。これ以上セドリックに関わってはいけない。彼との仲を深めれば、自分はもっと彼に堕ちて、独占欲から見苦しい嫉妬を晒すようになるだろう。
セドリックを愛しているかと訊ねられたら、まだそれほど好きでもないと答えられる。でも、この先どうなるか。三日と空けずに会っているのだ。攻略対象者の魅力に抗える自信がない。
――怖い。恋をするのが怖い。誰かに心を許して、突然失うのが怖い。
最後に見た義兄の笑顔が頭にフラッシュバックする。
寝具に顔を埋め、マリナは静かに涙を流した。




