368 悪役令嬢はスカートを捲る
エスティアの町は、よく言えば自然豊かで牧歌的、悪く言えば山しかないところだった。比較的標高が高いところにあるハーリオン家の分家と、その近くに数軒の家があり、邸の二階から見渡すとそこここにいくつかの家が固まった集落がある。どこに行けば話を聞けるのだろうかとセドリックは考えた。リュックサックに荷物を詰めたものの、行き先を決められないでいた。
「こういう世界があるなんて、僕は知らなかったよ」
「でしょうね。王都と周辺、大都市にしか行ったことがないでしょ」
「本格的に公務に取り組んだのは去年からだから、行った先が少ないのは認めるよ。……ただ、僕はもっと……」
「ここに来るには時間がかかっちゃうわ。王太子様はお忙しいから、馬車で何日もかけていられないもの、来たことがなくて当たり前ですよ?」
アリッサはがっかりしているセドリックを慰めた。
「祭りがある都市だけじゃない。何もないところの日常も知りたい。……そういうこと?」
「うん。王立学院を卒業して、時間ができたら……僕はマリナと国内全ての町を回りたいと思ったよ」
「マリナちゃんと……」
眉を下げてアリッサが悲しげな顔をした。
「そのためには、ハーリオン侯爵に着せられた濡れ衣をどうにかしないとね」
「……酒場?」
「えっ?」
「小さな町でも、酒場くらいあるわよね。こういうところだもの、酒しか楽しみはないでしょう?夜になったら私も回復するから、聞き込みに行こう。……酔っ払いのほうが饒舌」
顔色が幾分戻ったエミリーは、遠くを見ながら提案した。
◆◆◆
美しい衣装を身に纏った輝く美貌の青年は、王太子の私室で彫像と化していた。
「……ふふふ」
「……」
冷や汗がダラダラと流れて落ちる。上着を脱げば背中にシャツがべったり張りついているかもしれない。
「ねえ、スタンリー?」
「はい……王妃様」
一人掛けの豪奢な椅子に座った王妃は、ゆっくりと脚を組み替えた。
「あなたが素敵な貴公子になって、私、びっくりしたのよ」
「……はあ……」
心臓がバクバク音を立てて、耳が心臓になったかのように音を拾っている。
「学院祭の演劇は、堂々として素敵だったわ」
「あ、あああ、あろ、ありがとうごじゃいます」
スタンリーは盛大に噛んだ。実家の劇場だけではなく、市場の外れにやってくる旅芸人一座に混じって舞台に立っていた経験があるのに、王妃の前では形無しだ。
「私の可愛いセドリックは、どこへ行ったかご存知?」
「うぁっ、は、おっお、太子殿下は、ええと」
レイモンドに指示されたように、いざとなったら王妃を誑し込むなんてできそうにない。呼吸すら満足にできないのだ。スタンリーは涙目になった。
食事の時間に現れず、部屋にこもりきりになっていた息子を心配して、王妃は王太子の私室に
「慌てなくていいのよ?あなたは巻き込まれただけなんですもの。……セドリックは、レイモンドと一緒なのね?」
こくこくと頷くスタンリーに、王妃は優しく微笑んだ。
「そう」
「お、王妃様!」
スタンリーは椅子から転げ落ちるようにして床にひれ伏し、頭を下げたまま続けた。
「殿下は、ハーリオン家の皆様を救うべく立ち上がられました。私も微力ながら、殿下のお考えを実現すべくっ……」
「ええ。そんなところでしょうね」
「……は」
「初めから気づいていたわよ?陛下と宰相が結託して、マリナちゃんを妃候補から外してから、思い悩んでいるようだったもの。何かすると思ったのよね」
フランクに話す王妃に、頭を下げていたスタンリーは拍子抜けして顔を上げた。
「では、王妃様は……」
「私は何か裏があると思っているの。残念なことに、自由に王宮を抜け出せない身で、親友……ハーリオン侯爵夫人の無実を証明できないのだけれど。危険がない範囲でセドリックとレイモンドが調査するのなら、応援したい気持ちでいるのよ」
悪戯にウインクをした王妃は、椅子から下りて土下座をしているスタンリーの頭を優しく撫でた。
「陛下にはセドリックは風邪を引いて寝込んでいたと言っておくわ。『父上にうつすといけないから食事は部屋でとる』と言っていたと」
「ありがとうございます!」
立ち上がり、スタンリーはよく訓練された兵士のようにきびきびと礼をした。
「……ところで、あなた」
「はっ!」
「あなたはどうしてセドリックの手伝いを?」
「はっ!」
「ただではないのでしょう?」
「はっ!……エミリー嬢のガーターベルトをいただけると」
「……」
アイドルを見るようだった王妃の視線が、一気に冷たいものに変わった。
◆◆◆
「レジー。本当に、入るの?」
「そのために着替えたのだからな」
「……いいけどさ。さっきから視線が超痛いんですけど」
裏通りを歩いていくと、街角に立つ娼婦の視線がジュリアに突き刺さる。自分達の縄張りに新参者が入ってきて、客を奪ったと思っているのだろう。さらには、下卑た笑いを浮かべる男達が、値踏みするようにジュリアの身体を見ている。ざらざらした舌で舐められたような気持ち悪さだ。
「ひとまず宿に入るぞ。君は店主からそれとなく話を聞きだしてくれ。いつからこんな町になったのかを。俺は街の人々から話を聞く」
「一人で?危なくない?」
「君を危険な目に遭わせられない。男達の視線を見たか?隙あらば君を組み敷きたいという目だった。男の姿でも、娼婦に誘われて困っただろうがな」
ジュリアはにやりと笑ったレイモンドの上着を引っ張り、
「役目を果たさないのは嫌いなの。一緒に行く!」
と低い声で言った。
部屋に入ると、持っていたトランクから何やら取り出し、ジュリアはベッドに片足をかけてスカートを捲り上げた。
「お、おいっ!」
白い脚が見えてレイモンドが動揺した。アリッサは比較的丈の長いスカートをはいていて、普段のジュリアは黒いソックスを履いている。何も履いていない足を見ることはないのだ。
「準備するから」
「準備って……こういう宿に入ったからと言って、俺は別に君とどうこう……」
顔を背けて中指で眼鏡を上げる。耳が赤くなっている。
「……でーきたっ!じゃーん!」
「……っ!」
「レイモンド、こっち見てよ」
レイモンドは本格的に背中を向けてしまった。
「君は……恥ずかしいと思わないのか?」
「あ、やっぱダメだった?」
「か、仮にも、……君はアリッサの姉で、俺と義理の……」
「何言ってんの?」
グッと腕を引いてこちらを向かせ脚を見せる。
「俺はアリッサを裏切……ん?」
「いいでしょ、これ。腿につける武器なの」
黒いニーハイソックスを履き、腿につけたバンドに短剣の鞘がついている。
「ドレスの時には必ずつけてるんだ。持ってきてよかったね!」
「……あ、ああ……そうだな」
ずり落ちた眼鏡を上げ、レイモンドは力なく呟いた。




